10月12日(土)の夜から長野県に最接近した台風19号は、千曲川の氾濫など東北信地方で甚大な被害を発生させました。
被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
私は、今回の台風は通過するルート予想が、過去の台風の例から千曲川上流の佐久地方で多くの雨量を記録するのではないか。また、今回の台風の規模が歴史的にも大規模であることから、千曲川での氾濫や暴風による災害を覚悟していました。
そのため、11日からは台風に備えて久々に我が家周辺の風で飛びそうな物を片付けたり固定する作業をするとともに、家にある懐中電灯やガスボンベ等の点検を行いました。
そしていざ台風が接近。
予想通り佐久地方で記録的な豪雨があり、その後、午後6時10分に気象庁から長野県が「特別警報」対象となったとの緊急速報メールがあり、その後もマスコミ報道や千曲川河川事務所HPの各箇所のライブ映像を確認していると、午後8時35分に上田市国分付近で氾濫発生にはじまり、午後8時50分に長野市篠ノ井横田付近で氾濫発生、午後10時10分には千曲市雨宮付近で氾濫発生等々の情報が入り、その途中で、午後6時35分に長野市が千曲川の氾濫の危険があることから、沿線住民の広い範囲に避難勧告を出したとの報道あり、その後、地元区長から「避難所が長野運動公園に開設されたので、自宅の2階か必要により避難所に避難して下さい」との携帯電話へのメールがありました。
この時点で我が家は避難するかどうかの判断を迫られましたが、改めて家族で市が出している千曲川等の決壊など100年に1度を想定した「洪水ハザードマップ」を広げ、再確認したところ我が家はかろうじて想定区域外にあることから、孫もいたり避難所も混乱が予想されることから自宅待機とし、いざというときには2階避難することを決めました。
そして、長野市内では翌13日の午前0時45分に、緊急避難指示が広範囲に発令され、私の住む朝陽地区も全域が避難対象となりました。
一夜明け朝6時、埼玉に住む次男が心配して電話をくれ目覚めましたが、長野市穂保地区で堤防が決壊したことを知りました。
そして、この地区での堤防の決壊がいかに甚大な被害を及ぼすか恐れていただけに、今後の被害状況を見届けるとともに、これまでの私の議員生活で取組んで来た大きな課題は千曲川等の治水対策等であっただけに、今回の災害は自分の人生が全面否定されたかのような思いになりました。
この思いについては、後に、今後の課題も含め、このブログに掲載したいと思います。
ところで、我が家に同居する長男は千曲市に勤務しており災害担当で、12日早くから翌日夕方まで勤務で徹夜し、翌朝も早く出勤しています。
また、息子嫁は老人福祉施設に勤務しており、被災住宅の介護が必要な方の受け入れが殺到し、松代の実家が被災しているにも係わらず勤務を強いられました。
さらに、我が家は、孫達が連休中であり自宅で面倒を見なければならないため、身動きが出来ず、せめて松代の長男嫁宅の復旧作業準備のための、ブラシや平スコップを近くのストアー開店直後に買い、今後に備えるしかありませんでした。
私は、今回の台風は通過するルート予想が、過去の台風の例から千曲川上流の佐久地方で多くの雨量を記録するのではないか。また、今回の台風の規模が歴史的にも大規模であることから、千曲川での氾濫や暴風による災害を覚悟していました。
そのため、11日からは台風に備えて久々に我が家周辺の風で飛びそうな物を片付けたり固定する作業をするとともに、家にある懐中電灯やガスボンベ等の点検を行いました。
そしていざ台風が接近。
予想通り佐久地方で記録的な豪雨があり、その後、午後6時10分に気象庁から長野県が「特別警報」対象となったとの緊急速報メールがあり、その後もマスコミ報道や千曲川河川事務所HPの各箇所のライブ映像を確認していると、午後8時35分に上田市国分付近で氾濫発生にはじまり、午後8時50分に長野市篠ノ井横田付近で氾濫発生、午後10時10分には千曲市雨宮付近で氾濫発生等々の情報が入り、その途中で、午後6時35分に長野市が千曲川の氾濫の危険があることから、沿線住民の広い範囲に避難勧告を出したとの報道あり、その後、地元区長から「避難所が長野運動公園に開設されたので、自宅の2階か必要により避難所に避難して下さい」との携帯電話へのメールがありました。
この時点で我が家は避難するかどうかの判断を迫られましたが、改めて家族で市が出している千曲川等の決壊など100年に1度を想定した「洪水ハザードマップ」を広げ、再確認したところ我が家はかろうじて想定区域外にあることから、孫もいたり避難所も混乱が予想されることから自宅待機とし、いざというときには2階避難することを決めました。
そして、長野市内では翌13日の午前0時45分に、緊急避難指示が広範囲に発令され、私の住む朝陽地区も全域が避難対象となりました。
一夜明け朝6時、埼玉に住む次男が心配して電話をくれ目覚めましたが、長野市穂保地区で堤防が決壊したことを知りました。
そして、この地区での堤防の決壊がいかに甚大な被害を及ぼすか恐れていただけに、今後の被害状況を見届けるとともに、これまでの私の議員生活で取組んで来た大きな課題は千曲川等の治水対策等であっただけに、今回の災害は自分の人生が全面否定されたかのような思いになりました。
この思いについては、後に、今後の課題も含め、このブログに掲載したいと思います。
ところで、我が家に同居する長男は千曲市に勤務しており災害担当で、12日早くから翌日夕方まで勤務で徹夜し、翌朝も早く出勤しています。
また、息子嫁は老人福祉施設に勤務しており、被災住宅の介護が必要な方の受け入れが殺到し、松代の実家が被災しているにも係わらず勤務を強いられました。
さらに、我が家は、孫達が連休中であり自宅で面倒を見なければならないため、身動きが出来ず、せめて松代の長男嫁宅の復旧作業準備のための、ブラシや平スコップを近くのストアー開店直後に買い、今後に備えるしかありませんでした。