治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

国を支えて国を頼らず

2011-04-20 07:45:33 | 日記

昨日の画伯ブログ
政治家と国民とどっちが優れてるかみたいなテーマが取り上げられていました。

私はこれ、福祉周辺の人とも話したことがあるんですが
(アメリカと日本の特別支援教育の違いを説明するという文脈で)

人工国家であるアメリカ国民にとって
国は義理の親である気がします。

だからやってほしいことは要求し、勝ち取らないといけない。
だからことさらに忠誠を誓う機会を設ける。
この震災で日の丸に対する嫌悪感が払拭されるといいと個人的には思っていますが
とにかくアメリカ国内に入るとやたら星条旗が目立ちますよね。
自由の国アメリカには
国旗を侮辱することを許されているような自由な学校のセンセイたちはいません。

一方で個人の銃所有を憲法で保障する。
これはお上と対等でいるための権利という観点から考えないとなかなか私たちには理解の及ばないところですね。

翻ってわが国を見てみると
何しろ基本的な体制が千年以上変わらない。
こういう国ではもう
お上は実の親なんですね。

だからどんな要求してもいいし
何言ってもいいし
わがまま聞いてもらって当然だし。
あんまりはっきり頼まなくても
痒いところに手が届くようなケアをしてくれて当然。

じゃないと不満。

お上は自分のことを気遣ってくれて
なんでも面倒みてくれて当然。

そういう観点で今の政府を選んだのは国民です。

私が以前から、すごく不思議に思っていることがあります。

地方の人々は、自分の土地に対する利権で政治家を選んだりするんでしょ?
たとえば改憲とか、国防とか、税制改革とか、そういう国家的な国の方向ではなく
道路が通るかとか、橋が架かるかとか、新幹線の駅ができるかとか
そういうのを優先して政治家を選んできたんでしょ?

原発だってそうやって今あるところにあるわけで。

違ったら教えてくださいね。
私も見識を改めたいので。

でも都会の住民はわりあい地元意識が薄い分
国家的な戦略を優先させるんじゃないかな。政権を選ぶとき。
少なくとも私の周辺はそうですが。

で、地方の人々は我々よりずっと重い一票を持っている。
私たちより力のある一票を、自分たちの地元の利益を考えて投票してきた。

その結果どうして地方が衰えて都会が栄えるの?

私はこの謎がどうしても解けません。
誰か頭のいい人教えて。

とにかく
こういう「自分の保身」を最優先させる考え方が
放射能への過度な恐怖とかにつながり
福島の人たちへの差別につながっていると思うので。

結論として私は怖がりの人間は大嫌いだということがわかりました。
怖がりは人に対してフェアに振舞えない。
今福島を差別している人たちは非科学的なだけが理由じゃない。
わが身の安全しか考えていないから
それで脳みそが一杯になっちゃうちっちゃな脳みそしか持ってないからだ。

弱虫は罪。決まり。

まあともかく

私がこの震災で改めて思ったのは、ずっと前に読んだ福澤諭吉先生の伝記のタイトル

「国を支えて国を頼らず」

こういう人間でありたいということ。

それは私が健康で、家族に障害者がなく、親が年齢のわりに健康を保ってくれているという
いくつもの条件をクリアしている人間だから
だからこう誓いました。
身体がきくあいだは
「国を支えて国を頼らず」を心がけようと。

もちろん、たいしたことはできないよ。
でも私にもできる小さなことから。
その一つは自分の健康を保つこと。
そして「発達障害だからできない」っていう悲観的な考えに陥っている人たちに
「できるよ」「できるようになるよ」って伝えることも大きな仕事。

たとえ定期的に死にたがる弱虫に邪魔されてもね。

ところで
昨日はここにほんのちょっぴり送金。

http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/

これだけの好意を寄せてくれた隣国台湾に、日本は国としてお礼が言えない。
国交がないばかりに。
国はそういうものに縛られてしまう。

ならば民間人が微力を尽くしましょう。

カンができなくても

民でやれることは民でやりましょう。

民間人だからできることがあります。

それにさ

ご挨拶は大事だもの。


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