治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

もう一度問い直します。「発達障害は治りますか?」

2012-11-15 08:35:55 | 日記
さて、もう一度ここに立ち戻ります。
私が神田橋先生と初めてお会いしたときのこと。
「発達障害は治りますか?」という質問に対し
「発達障害者は発達します。だってニキさん発達したでしょ」という答えをきいて、感動してあの本を出したということは今までブログでも本でも触れました。

それをベムこと宮本晋とかは浅はかな解釈をして
「発達障害は発達するに決まってる。何言ってるんだ」などとせせら笑っていましたが
もう一度、ここであのとき私が置かれていた状況をまとめておきましょう。
なぜあの神田橋先生の言葉に心を動かされたか。

私は、あのとき十年に及ぶ自閉症者からの法的被害のさなかにありました。
直接受けた被害もさることながら
ギョーカイの「死んだふり」が不可解でしたし、不愉快でしたし、苦しめられました。
私にとって医療は「治す」もの。
加害者が、名医にかかっていたと聞いたとき、「それならばこの妄想みたいなものを治してくれるだろう」と思いましたが、発達障害の世界における名医とは、治す人ではなく「治らないんです。支援してください」と社会に要請する人でした。(これまで)
名医は治さないどころか、見るに見かねて介入しようとした他の支援者の助けさえ拒みました。
治療にも、そして健常者である私たちの人権にも、関心がなかったのです。

その不当さを訴えても、ギョーカイで理解してくれる人はいませんでした。
むしろ「治らないんだ、もう。障害なんだから」ということが言われました。
だったら障害者の迷惑行為には、健常者はガマンしなければいけないのか?
どうやら支援者たちは、本気でそう思っているようでした。それが「社会の理解」と考えているようでした。

だから法的に解決しようと、その途上にあったとき
愛甲さんがこの本の企画を持ってみえました。



「神田橋先生は治すんです」という話を聞き、私は腹を立てました。
だって発達障害は治らないんでしょう。
たとえ世間に迷惑をかけても。他人に被害を与えても、発達障害者は治らないんでしょう。
治るのなら私はこんなに苦しまずに済んだ。

そうやって初めて出会った神田橋先生におききした最初の質問が、あれなのです。
「発達障害は治りますか?」
だからこそ、先生の答えに感動したのです。それまで「一生治らない」「仕方がない」そして「障害特性によって迷惑しているのなら、健常者が被害を甘んじて受けるべきである」という支援者にばかり会ってきたからです。

でもちゅん平は治っていった。
一生自閉は自閉。でも治っていきました。

治る人もいるのです。

治す人もいるのです。

よこはま発達クリニックはYTの妄想を治せなかった。被害を与えているのを知りながら放置した。
でも当時服巻智子先生がいた佐賀のNPO法人それいゆはちゅん平の自己認知を変えたのですから。健康になる礎を築いたのですから。

なぜ私が最初、神田橋先生の企画に腹を立てたのか
それを打ち明けたとき、先生がおっしゃった「医者なら治せんといかんわな」の言葉に私は救われたのです。

「治す」「治る」という概念に激しく抵抗し、それを唱える私を差別者と呼ぶ人もいますが、それが差別なら差別で結構です。
全員が「一生治らない」という絶望に甘んじる必要はありません。
少しでもよくなりたいと思う人がいるのなら、その情報を提供するのに微力を尽くしたい。

そして「治る」「一部に治る人がいる」可能性を探るのが差別なら
今や日本国、厚生労働省もそうでしょう。
あれほど固定的だった「一生治らない」という見解が、政策レベルで変わったようです。
実態を見れば、そして療育先進国の状況を見れば、それは明らかでしょう。
厚生労働省政策レポート「発達障害の理解のために」から一部引用します。



=====

・ 発達障害は「先天的なハンディキャップなので、ずっと発達しない」のではなく、発達のしかたに生まれつき凸凹がある障害です。人間は、時代背景、その国の文化、社会状況、家庭環境、教育など、多様な外的要因に影響を受けながら、一生かけて発達していく生物であり、発達障害の人も同様であると考えていいでしょう。つまり、成長とともに改善されていく課題もあり、必ずしも不変的なハンディキャップとは言い切れないのです。もちろん個人差はありますが、「障害だから治らない」という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます。周囲が彼らの凸凹のある発達のしかたを理解しサポートすることにより、「ハンディキャップになるのを防ぐ可能性がある」という視点をもつことは重要です。

=====

(強調箇所は当ブログ筆者による))

これが今後、国の政策の基盤になるのでしょう。
正当なことだと思います。
支援には税金を投じるのです。
ニートや犯罪者になっても「仕方ないのだ」という支援は淘汰されていくでしょう。
社会適応のために努力する人としない人の差は開いていくでしょう。そしてそれは差別ではありません。結果です。

解散→選挙の流れですね。
「努力する人が報われる国」になってほしい。その実現のために情報を集めて選挙に行こうと思います。
「努力する人が報われる国」という概念にも、激しく抵抗する人がいますが
努力する人は、努力しない人の不幸など願ってはいません。それほど暇ではありません。
努力する人が報われる国は、努力が苦手な人でも努力が報われない国より生きやすい国です。

☆☆☆☆

ああ、ひやっとしました。
でもまあ、勝ちは勝ち。

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4 コメント

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良くも悪くも発達する (かすみんママ)
2012-11-17 18:56:37
私も名医と言われる先生に診断してもらいましたが、その先生には「発達障害は環境によって良くも悪くも発達する。」と言われました。
その話しが出てきたのは私は子供の頃映画館で映画を見ることが出来たのに大人になるにつれて、映画館の映像の切り替わりや大きな音に反応し過ぎてしまい、映画館の椅子で音や映像にびっくりして飛んだり跳ねたりしてしまうようになったのです。
「昔は大丈夫だったのに・・・。」と言った時に「自分に掛るストレスや理解されない苦しみ等から悪く発達してしまったのでしょう。」と言うようなことを言われました。
その名医の先生も発達障害は治らないから周りが発達障害に歩み寄っていかなければいけないとおっしゃる方でした。私の主人はその言葉で未来への希望がなかなか見いだせないでいましたが、私は相談に行った時にそういう風に言ってくださった先生に感謝しています。
今までだって努力しなかったわけじゃない。人と上手くいかないから自分だって辛いんです。だから変わろうと努力してきたんです。でも自分が発達障害だとも知らなかったし、今のように支援センターに相談に乗ってもらっていたわけではなかったので、どう変わっていいか分からなくて変われなかったんです。
だから先生に変われないのは自分のせいじゃないと思ってほっとしました。
それでも変われないからと開き直って生きれるよな世界に身を置いてはいないので、少し元気になったらまた自分でアンテナを張って花風社の本にまでたどり着きました。
私はニキさんや浅見さんの本を読むととても元気になります。でも、発達障害は治らないと言ってくださった先生にもすごく助けられました。その先生の背景にも昔、発達障害の人を治そうとして(神田橋先生のやり方とは違うやり方)と失敗された経験も本を通して知っているので・・・。
神田橋先生の治すと他の先生の治すの意味は同じなんでしょうか?私には治すという同じ言葉でも細かく言えば違うことを治るや治らないと言っているような気がするのですが。どちらもうそじゃないけど・・・ってそんな気がするのですが、私の言ってることっておかしいでしょうか?
私自身は花風社の本に出会い、ウコンで鬱もすごく良くなって生活レベルが随分上がってきました。今GABAも取り寄せ中で、届いて飲むのが楽しみです。
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かすみんママさんのコメントを読んで… (おたけ)
2012-11-18 13:43:32
厚労省の見解もそういう時期が来たのだなぁと思いながら読みました。

子ども達の障害がわかり私自身の特性にも気づいてから、思うところあって保育士試験の勉強を始めたのですが、その中でレディネスという言葉に出会いました。
発達には機が熟すことが大事、というような言葉です。
子どもをよく見て時期を待ちタイミングを逃さずに、でも実際には見通しが立ってないと待てないのが親心で。
子ども達の障害との付き合いの面で、受容して考えて前に進み、色んな本やブログに出会ってまた考えて進み、周りの方々の理解を得てまた進みという流れの中でもたくさんの「そういう時期が来た」感みたいなのがあったような気がします。
かすみんママさんがほっとしてその後アンテナを張ってこられたように、私も親のせいじゃないと言ってもらってほっとした時があって初めて前に進む力を持てた時期があります。
ほっとしたそこがゴールだと思ってしまったり、そこがゴールでないと困る(それぞれの立場の色々な意味で)と感じてしまう人たちが問題なのかなと思います。
障害はある、でもその先にどんな通過点があるのか、動き方次第で未来が変わる可能性、今のソコはゴールじゃないよ、そんなことを子どもに気づかせたり体現して見せてやれるような大人でいたいです。

治る治らないの話で、
二十数年前、短大の社会福祉学科の不真面目な学生だった時に講義で聞いた話なんですが、
事故で左手の指を二本失った場合、その人がバイオリニストだったかそうでないかで人生における障害の意味はすごく違ってくるが、もしそのバイオリニストが工夫して三本の指でも五本の指の時と変わらない演奏ができるようになったとしたら、本人にとっては障害はないのと一緒、障害とはそういうもの
と、確か著書にも書いておられた先生がおられました。
卒業もギリギリなホントに不真面目な学生だったので先生のお名前もはっきり覚えてないんですが(二年間で記憶にあるのはその話とゼミだけだったりします。情けない…)、
治るとか良くなるとかって、きっとこういうことなんだろうなって思っています。


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私は腹を立てたのです (浅見淳子)
2012-11-19 07:24:36
かすみんママさん、おたけさん、ようこそ。
最初愛甲さんが「神田橋先生のもとでは治っていく」というお話をされたとき
私の反応は「怒り」だったのです。「そんなわけはない」と思ったのです。
それでも信じざるを得ないことがたくさん起こりました。本を出す前も、出したあとも。

神田橋先生が、発達障害が治るかどうかについてのお考えは、本のP316に集約されていると思います。

先日「治る」ということの定義について、愛甲さんと時間をかけて話し合いました。いずれどこかで発表できればいいなと思っています。

またお越し下さいませ。
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発達障害当事者です。 (花梨)
2018-11-10 10:28:00
私は治るなら治したい、ずっと障害者のままで良いとは思って無いんです。ずっと自分は個性だと勘違いしてきました。周りに馴染めず学校にも居場所なんて無く、辛い学校生活をしてきました。ハローワーク行っても就職さえ断られる事もしばしばありましたこのままでは就職出来ないと親と市役所に訪れたのが、18でした。その時知能検査をしたのですがその時に発達障害であることが分かったんです。私はその時にやっとずっと抱えていた違和感の正体が分かったんです。とはいえ何にも出来ないということはありません、努力に努力を重ねた結果、働くのに苦にはならなくなったんです。発達が成長してきているのかなと感じます。学校生活が苦しかったのは、皆の様に努力をしなかった、もしくはしようとしても方法が見つからなかったからだと今思っています。本当に治るなら、世間社会から障害者が忌み嫌われずゴミ扱いとか迷惑かけるとかにならずに社会と関わっていけそうな気がします。良い、先生に出会えて良かったですね。
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