治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

社会は多様性を許さないのか?(『発達障害、治るが勝ち!』表紙発表)

2017-06-15 09:10:04 | 日記
今日は土日の連続講演を控えて忙しいので、近刊「発達障害、治るが勝ち!」の表紙と一文を掲載します。
表紙はこれからさらに調整されると思います。全体のイメージは変わりません。
こんな感じです。




今になって考えて見れば「治らないという考え方は治りませんか?」って深いですね。そして今度の本は、「治らないという考え方を治そう」という私の「もがき」の帰結だという気がします。もちろんこれでギョーカイ人の「治らない考え方が治る」とは思いません。でも「治りやすい人から治る」でいいと思うし、すでに治っている人が、周囲にインチキ扱いされたときの理論武装に使えばいいと思います。言い返してもいいし、それができなければ、心の中でこの本の内容を唱えているだけでも平穏になるはずです。

そもそもギョーカイが嫌いなのは、恩知らずだからです。そして社会を実際以上にひどいところに見せるからです。まあそれも胎児性の愛着障害やら恐怖麻痺反射の残存やらの産物なのだと思いますが。

では一節、お楽しみください。

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社会は多様性を許さないのか?

 ギョーカイの支援者たちは「一次障害は治らない」と言う。そして二次障害になってしまうのは「社会の無理解のせい」だと言う。二次障害を防ぐには「社会の理解が必要」で、二次障害を治すのには「周囲が配慮すること」が必要。つまりギョーカイの仕事はない。ならば自分たちが事業費をせしめるのではなく社会に金をばらまいた方がいい。実際に仕事をするのは社会なのだから。それを今のところ、「社会の理解が大事」と言うだけで支援事業費をもらっている。ギョーカイは好待遇を受けている。社会に感謝こそすれ恨むいわれはないはずだ。
 ところがこのプロ支援者たち、仕事もせずにお金をもらっている割には必死に汗水流して血税を納めている社会の皆様に文句ばかり言う。彼らが言う文句のひとつは「社会が多様性を許容しない」ことだ。社会がもっと多様性を許容すれば発達障害の人はもっと生きやすくなるそうである。そしてこれも大嘘である。

「改善するけど治りません」のように、よく考えたらつじつまの合わないフレーズを支援者はよく使う。そんなことがありえるかよく考えず、オウム返しで覚えてそのうち本気にしてしまう人がいるように、制度上は支援者の世話になっている当事者保護者の人たちは本気で「社会は多様性を許容しないところ」と思いこんでいるかもしれない。そうすると、選ぶ道を誤る。
 社会は支援者が罵詈雑言を浴びせるよりずっと多様性を許容する場所である。少なくとも支援の枠組みという養鶏場でめんどりの生を押し付けられるよりはずっと多様性を許容する場所である。社会に出たら障害者枠では巡り会えないような仕事とも出会える。そして何より、支援者の世界では箸の上げ下ろしまでうるさくチェックされる。
 ソースは私、である。「治る」というごくふつうの言葉を一つ使うだけでこれだけごたごた言われる。自閉っ子も努力が必要というだけでがたがた言われるのだ。こんな偏狭なクラスタ、一律な考え方を皆が共有することを当然視して同調しないと食ってかかる人々には生まれて初めて出会ったというのが正直な思いである。
 発達障害支援にかかわらない一般社会では、もっと「人は人、自分は自分」が保障されている。できるだけ早く支援が必要でなくなるように修行して、さっさと一般社会に出てしまえばそこの方が支援者の支配下にあるよりずっと多様性が許されている。

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