さて、NHKの番組での山中教授の「治ってうれしい」発言を受けて、大久保さんがブログを書いていました。
激しく同意です。
それに付け加え、私は、医師なのに「治さない」ことにしがみついている人たちは、一種の変態なんだと思っています。
私は服巻先生がYTのブログを見て、まさにそこで誹謗中傷されている私に「面白い人です。観察してます」とおっしゃったとき、一種の変態だと思いました。常人の感覚では被害を受けている当人にいえる言葉ではない。とうてい面白くは思えない。それでも同意を求めんばかり、というか被害を受けている私が同じように「面白い人ですね~」と悦に入って眺めると決めつけてでもいるようなその言い方に、「ああ、この人(たち)は一種の変態なんだ」と思いました。自分に害なすものに痛めつけられてひいひい喜んでいる変態ですよ。
私は変態じゃないから、自分に被害を与えてくるものは嫌いなんです。
その方が健全な感覚じゃないですかね。
でも一方で「治る」と私が想定するとき「性格を治す」ことは含まれていないんです。
どっちかというと自閉っ子の好きな面もあるんです。
「発達障害、治るが勝ち!」から引用しましょう。
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私も最初は、「発達障害を治そう」などという気宇壮大な思いを抱いていたわけではない。
第一発達障害を手掛け始めた当時、私は今より支援者と名乗る人たちに「専門性があるのだろう」と敬意を抱いていたから、彼らが「生まれつきの障害なので一生治らない」という以上、それを信じていた。彼らの多くが子どもたちの伸びしろを伸ばさず、治すべきを治さない人たちだとは気づいていなかった。そしてそれが彼らの利権になっているのだとは、気づいていなかった。医者はせめて二次障害は治し、支援者は支援し、就労支援者はトレーニングの場を与え職をもってくるのだと思っていた。
また私は、発達障害の人たちの持つ偏りがそれほど嫌いではなかった。そういう意味で「発達障害を治すべきだ」とは考えていなかった。交流を重ねながら、その世界観の違いも楽しんでいたりした。
でも一方で身体が弱いこと、自分の身体の操り方がままならないことは不便そうだと思った。だからこの身体感覚だけでもどうにかなる方法はないのだろうかと考えてきた。そしてその身体感覚をどうにかする本を出し続けてきた。
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そうなんです。私は別に自閉っ子たちが持っている偏りが嫌いではありませんでした。自分に害なしてこない限りは。
けれども身体の不具合だけなんとかしてあげたい、と思って感覚統合から始め、これじゃ不十分だ、と次々追っていくうちにみんなが一次障害まで治ってしまい、そのあげくに発達障害=神経発達障害だということになり、ああだから治ったのね、っていうのがイマココです。
そして皆さん覚えておいてください。
「障害を治さなくていい」と言い「社会に理解してもらおう」と呼びかける先生たちは基本的に数寄者、変態なんです。痛めつけられてもその相手をおおよしよしすることで満足している、というか自分の中のヌケを埋めている人たちです。
一般社会は数寄者、変態じゃない人が多いんです。
それにね、「治ってうれしい」のは医者だけじゃないですよ。本人ですよ。
治りたいかどうかを決める権利は支援者にはないんです。本人にあるんです。
「納税者になろう」を猿烏賊は卑屈に取って大騒ぎしますが、私は藤家さんが時給100円の作業所に週五日通い始めたとき、大団円を迎えたと思っていました。そのまま60歳まで時給100円で週五日働いても私は、「よかったなあ」と満足したと思います。
でもさらなるステップアップをしたいとご本人が言ったとき
応援する以外の選択肢はありませんでしたよ。
だって自分で決めたことだし。
いくら稼ぎたいかは彼女が決めることだし。
そして彼女の姿は、発達障害の人の持つ可能性
どっぷり二次障害を背負って、おそらく愛着の問題も背負って、青春時代を送った人の持つ可能性を私たちに教えてくれました。
すべて、彼女が主体的に「治りたい」と思ったからです。
そして支援者が変態根性を発揮していくら「あなたは障害のままでいい」と言ったって、それを良しとしない人たちはいるはずなんです。
その主体性を奪って平気でいる。
それが私は切ないんですね。
でも
「治りたい」という人がどんどん増えてきて、うれしいです。
腹の底から同感です。
治らないと言うDr.は
「僕には治せません。」
と、言うのが日本語ではないでしょうか?
面白がって材料にする変態医師には
「先生も治るとよろしいのに、さようなら」
とでも言い、治せないDr.よと、
周辺に教えてあげる親切も忘れません。
私達が巡り巡って出会った小さなクリニック
の女性Dr.は、さっと白衣を翻し、Dr.自身がベッドに四つん這いし、二足歩行になるまでを
説明されました。足を背中を見せながら。
そんなDr.も現実にいらっしゃる。
そして、自身が薬店で働くのには、お客様に
治ってほしい、元気なお顔をまた見せてほしいから。薬を販売しないケースも見極めます。
小さな仕事ですが、一般社会のその各々の
職業意識が、大きく国金の無駄遣い止めや
元気に繋がるのだと思っています。
治りたい人の本気の「治りたい」は誰にも
止める権限はないはずです。親にも。
治ることを知らないお子さんには。
親として教えることもできる。
だって、中枢神経の障害なのだから。
中枢神経は動きでちゃんと育つのだから。
まずは治る部分、身体から始めたらいい。
お金も要らない、今日、今から始められる。
誰にだってできるんだもの。
やってるうちに、親子間からコミュニケーション
力が付いてくオマケまで。
治り始めたら止まらないのです。
徐々に汗をかけるようになり、夜も自然に眠くなる日が増えました。
お通じも楽になりつつあります。
いいことずくめです。
花風社さんのご本に感謝しています。
決してステマではありません。
幼少からの身体の不自由さが、四十過ぎて解消されつつあるのですから。