先日ある人に教えてもらったんだが
たとえば「これやるといいみたいよ」っていう話が出てきたとき
自分なりにアレンジしてそれにトライできるかどうかも「強さ」なんだそうだ。
神田橋先生の本とか。
「やってみよう」って思える人はある意味強い人なんだって。
一方で
「効果なかったらどうしよう」と思って、結局なんにも手を出せない人はいるんだってさ。
現場でたくさんの保護者を見ている人の感想。
で、その手を出せない人たちに、
たった一言でも「わかるわ~」と言ってあげたらまだ気が済むんだろうけど
浅見さん心底わかんないからわかるって言わないんですよね、って言われた。
わかんないね~。カケラもわかんない。
セオリーオブ猿烏賊マインドがないんだ私。
自分が手を出せないなら出せないで別にいいけど
他人の決断にあれこれ口出すのがわかんない。
この人たちが「自己責任」という言葉に残酷さを感じてるらしいのもわかんない。
一番すっきりしていてわかりやすいのに。自己責任。
自己責任の放棄っていうのはね
主体性の放棄ですよ。
あ、でも考えてみれば
主体性を放棄したような保護者はいるんだろうね。
だから支援者が人として出過ぎたこと言うんだよ。
「家事のできる引きこもり」発言を知って地元名古屋の読者から「怒りで手が震えた」っていうお便りもきたし
近畿の方から「箱根だけじゃなく関ヶ原も越えてほしくない」っていうお便りもきたけど
なんでこの方たちが怒りを感じるかというと
「生き方をうんぬんすることは、支援者の分際を越えてる」ってことでしょ。
でももしかしたら、主体性を放棄している人ばかり支援すると
花風社の読者みたいな人の姿は見えないのかもね
って思いました。
そう思ってキラキラ差別とか、新しい治療法は研究してもいいけど発表するなと真顔で言う人たちとか、障害者の犯罪は報道するな系の人たちのこと思い浮かべてみると
基本的に「保護者のリテラシーをバカにしてる」人たちですわね。
見えている「層」が違うんだろうな、私と。
ああ、これか。
神田橋先生のおっしゃってた「知らしむべからず、依らしむべし」っていうのは。
バカな保護者にバカな支援者か。だったら別にいいや。こっちの邪魔をしなければ。
まあね、「自分たちが傷つくから」あの情報を出すな、この情報を出すな
良くなった例を出すな、と真顔で他人の権利を制限している保護者や支援者を見ると
私はニキさんの「教頭先生の書道展」を思い出しますね。
ニキさんがこらえられたことを、先生たちはこらえらんないのね。
詳しくは「自閉っ子のための努力と手抜き入門」で。

たとえば「これやるといいみたいよ」っていう話が出てきたとき
自分なりにアレンジしてそれにトライできるかどうかも「強さ」なんだそうだ。
神田橋先生の本とか。
「やってみよう」って思える人はある意味強い人なんだって。
一方で
「効果なかったらどうしよう」と思って、結局なんにも手を出せない人はいるんだってさ。
現場でたくさんの保護者を見ている人の感想。
で、その手を出せない人たちに、
たった一言でも「わかるわ~」と言ってあげたらまだ気が済むんだろうけど
浅見さん心底わかんないからわかるって言わないんですよね、って言われた。
わかんないね~。カケラもわかんない。
セオリーオブ猿烏賊マインドがないんだ私。
自分が手を出せないなら出せないで別にいいけど
他人の決断にあれこれ口出すのがわかんない。
この人たちが「自己責任」という言葉に残酷さを感じてるらしいのもわかんない。
一番すっきりしていてわかりやすいのに。自己責任。
自己責任の放棄っていうのはね
主体性の放棄ですよ。
あ、でも考えてみれば
主体性を放棄したような保護者はいるんだろうね。
だから支援者が人として出過ぎたこと言うんだよ。
「家事のできる引きこもり」発言を知って地元名古屋の読者から「怒りで手が震えた」っていうお便りもきたし
近畿の方から「箱根だけじゃなく関ヶ原も越えてほしくない」っていうお便りもきたけど
なんでこの方たちが怒りを感じるかというと
「生き方をうんぬんすることは、支援者の分際を越えてる」ってことでしょ。
でももしかしたら、主体性を放棄している人ばかり支援すると
花風社の読者みたいな人の姿は見えないのかもね
って思いました。
そう思ってキラキラ差別とか、新しい治療法は研究してもいいけど発表するなと真顔で言う人たちとか、障害者の犯罪は報道するな系の人たちのこと思い浮かべてみると
基本的に「保護者のリテラシーをバカにしてる」人たちですわね。
見えている「層」が違うんだろうな、私と。
ああ、これか。
神田橋先生のおっしゃってた「知らしむべからず、依らしむべし」っていうのは。
バカな保護者にバカな支援者か。だったら別にいいや。こっちの邪魔をしなければ。
まあね、「自分たちが傷つくから」あの情報を出すな、この情報を出すな
良くなった例を出すな、と真顔で他人の権利を制限している保護者や支援者を見ると
私はニキさんの「教頭先生の書道展」を思い出しますね。
ニキさんがこらえられたことを、先生たちはこらえらんないのね。
詳しくは「自閉っ子のための努力と手抜き入門」で。

場所をわきまえずにコメントを残してしまっていたらすみません。
1年程前にアスペルガーの診断を受けた3歳の発達障害の女の子を持つママです。
自閉っ子と未来への希望を読ませてもらって(まだ途中ですが。。。)、自分の中の未解決問題の原因にたくさん気づくことができました。ありがとうございます。
「物事が平べったく見えている」の言葉とても的確で分かりやすかったです。
恩を受けているはずなのに、ちょっとしたことで怒りが収まらずに何度仇で返してしまったか分かりません。
毎回のやり取りが1回勝負になっていて、物事をトータルで考えて人とのコミュニケーションを繋げることが出来ませんでした。
とてもお世話になっているはずなのに、とってもいい人なのに何故私の怒りが収まらないのかずっと消化不良で悩んでいました。
原因が分かりほっとしました。と同時に怒りが収まりました。
後は、楽しいことの後に気持ちがヘタレるのは気持ちが高ぶったことに対する疲れだと思っていました。また、人と一緒にいてエネルギーがどこかへ吸い取られていくから疲れてしまうのだと思ってました。
主人とのコミュニケーションの問題も具体的に見えてきました。
今の私が一番必要としていた本です。
分かりやすい言葉ではっきりと具体的に書いていただいてありがとうございます。
御社のご活躍を心からお祈り申し上げます。
「自閉っ子と未来への希望」をお読みいただきありがとうございます。
たしかにあの「平べったく見えている」は、成人当事者がいちばん恩になっているはずの優れた支援者に食ってかかっていくという恩知らずの様子を見て分析したものです。
感謝の方向音痴なのですよね。
それでも支援をするのが支援者というものです。それがお仕事だし、対価が発生しますから。
でも一般人にそれを期待するのはただのクレームだし、一般人はむしろ引いていくでしょう。
そう思ったのであのことについて書きました。
どうぞお役立てください。
こちらにもまたお越しくださいませ。
本1冊読み終える前に感動の勢いでコメントしました。
ウツのどん底にいる時にいた1年半前にアスペルガーと専門医の先生に言われた時に回復する時は力が湧いてくると言われました。
治らないと言われ、「お互いに歩み寄るのではなく、彼だけが一方的に私の特性を受け入れ、合わせていかないといけない」と思わせてしまった主人がとても気の毒に思えました。
でも、浅見さんの本を読んで、回復出来る自分を想像することができました。そして力が湧いて来ました。
私も発達出来るかもしれない。そして娘にもきちんと話して修行してもらえば、私のように転々と職場を帰ることなく、社会人として働ける成人になってもらえる可能性も十分あるんですね。
花風社の本は今の私の希望です。これから他の本も読んでしっかり前を向いて生活できるように回復します!
うちの本を読んで元気になってくださってうれしいです。
「未来への希望」の最後には、私の作った本たちの簡単な説明が載っていますから、それを参考にして読みたいものから読んでみてください。
ここにもまたお越しくださいませ。