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さて、続きです。
今回参考にしたのは「藤家寛子の減薬記」で学んだ減薬の大変さ。
そもそも私から見て、なぜ今の藤家さんに薬が必要なのかがわからないのですが、「もう必要ないかもしれないけどやめる過渡期がつらい」という理由で飲み続ける人が多いのですね。
なのにカンタンに学校の教師とかがのめというらしい。
そういうことを踏まえました。
あとは神田橋先生のおっしゃる自発的な遊び。
子どもの自発的な遊びは自分でやっている発達援助。
くるくる回るのも、踊るのも、そしてもしかしたら絵を描くのも自分で自分を発達させる遊びかもしれないのに、薬はそれを取っ払う。
問題行動を薬で抑えるために無気力にしてしまう。
その結果自分でしているはずの発達援助をしなくなる。
それをフィクションにしてみました。
=====
「ところで君、まだ絵を描いてるの?」と大学生は猿烏賊ジュニアにきいた。猿烏賊ジュニアの作品のトートバッグを母が長い間愛用していたのを覚えていたのだ。ジュニアくんは頭もよくて絵も上手くてすごいねと言っていた。
「もう描いてない」と猿烏賊ジュニアは言った。今ではもう、絵を描く気力もない。作業所から帰るとスマホゲームをするかネットを見るかしかする気がない。あとは母が帰ってきて作ってくれるご飯を食べて寝るだけ。
昔は絵を描くのが大好きだった。なにか嫌なことがあっても、絵を描くと忘れられた。けれども絵への情熱を失ったきっかけを、実は猿烏賊ジュニアははっきりと覚えている。
「絵は描く気がしなくなったんだ。中学生のとき、薬のみ始めてから。お前薬のんでる?」
「のんでない」
「のめって言われたことなかった?」
「あった。中学のころ、とにかく夜眠れなくて、母が親の会の理事の医者に相談すると薬出そうかって言われた」
猿烏賊ジュニアも同じだった。
どうしても夜寝られない。朝起きられない。だから学校に行けなかった。
母はなんとかしようと親の会のえらい先生に相談し、夜眠れる薬を処方してもらったのだ。
眠れることは眠れた。
ただ
不快な眠りだった。
最初にのんだときはびっくりした。
のんだ途端目眩が起こり布団に倒れこんだのだ。
そして、目覚めも最悪だった。
のみたくない、と思った。
だが母は、えらい医者のことを絶対的に信じており、息子の抱えている気持ち悪さに配慮してくれることはなかった。
結局睡眠のための薬をのんでも学校には行けなかった。
目覚めが最悪なのだから当たり前だ。
かと言って日中もだるい。おもしろくない。
猿烏賊ジュニアはイライラして暴れた。
家庭内暴力だった。
ジュニアに打たれて母は泣いていた。
けれども叱らなかった。
母は親の会でペアレントなんとかいう講座を受講していて、何があってもありのままに受け入れなければいけないと信じていた。
怯えながら卑屈な目で自分を見る母に怒りを感じ猿烏賊ジュニアはまた母を殴った。
そして母は猿烏賊ジュニアを病院に連れて行った。
えらい医師の診察があり、薬が追加された。
薬が効いたのか、もう暴れたくなくなった。
けれども同時に
なんにもする気が起きなくなった。
とにかく動きたくない。
外に行きたくない。
こうやって無気力なまま、不登校したまま中学時代が過ぎ、えらい先生の監修する配慮のある高校に入ったのである。
ここから大学や専門学校に進学する仲間もいなかったわけではない。
でも猿烏賊ジュニアは違った。
もはや何もやる気がない。
そのまま今の作業所に入った。
作業所では毎日、服薬をチェックされる。
たまにのんでない、という人がいると支援者にのむよう促される。
もはやのみ続けるしかなかった。
それに薬をやめると大変つらい時期があるそうだ。
医師の指導のもと、つらい時期を耐えながら断薬するしかないらしい。
猿烏賊ジュニアにもはやそんな根性があるはずもなく、薬を飲み続けるしかなかったのである。
=====
『藤家寛子の減薬記』
ご購入はこちらから。
今回参考にしたのは「藤家寛子の減薬記」で学んだ減薬の大変さ。
そもそも私から見て、なぜ今の藤家さんに薬が必要なのかがわからないのですが、「もう必要ないかもしれないけどやめる過渡期がつらい」という理由で飲み続ける人が多いのですね。
なのにカンタンに学校の教師とかがのめというらしい。
そういうことを踏まえました。
あとは神田橋先生のおっしゃる自発的な遊び。
子どもの自発的な遊びは自分でやっている発達援助。
くるくる回るのも、踊るのも、そしてもしかしたら絵を描くのも自分で自分を発達させる遊びかもしれないのに、薬はそれを取っ払う。
問題行動を薬で抑えるために無気力にしてしまう。
その結果自分でしているはずの発達援助をしなくなる。
それをフィクションにしてみました。
=====
「ところで君、まだ絵を描いてるの?」と大学生は猿烏賊ジュニアにきいた。猿烏賊ジュニアの作品のトートバッグを母が長い間愛用していたのを覚えていたのだ。ジュニアくんは頭もよくて絵も上手くてすごいねと言っていた。
「もう描いてない」と猿烏賊ジュニアは言った。今ではもう、絵を描く気力もない。作業所から帰るとスマホゲームをするかネットを見るかしかする気がない。あとは母が帰ってきて作ってくれるご飯を食べて寝るだけ。
昔は絵を描くのが大好きだった。なにか嫌なことがあっても、絵を描くと忘れられた。けれども絵への情熱を失ったきっかけを、実は猿烏賊ジュニアははっきりと覚えている。
「絵は描く気がしなくなったんだ。中学生のとき、薬のみ始めてから。お前薬のんでる?」
「のんでない」
「のめって言われたことなかった?」
「あった。中学のころ、とにかく夜眠れなくて、母が親の会の理事の医者に相談すると薬出そうかって言われた」
猿烏賊ジュニアも同じだった。
どうしても夜寝られない。朝起きられない。だから学校に行けなかった。
母はなんとかしようと親の会のえらい先生に相談し、夜眠れる薬を処方してもらったのだ。
眠れることは眠れた。
ただ
不快な眠りだった。
最初にのんだときはびっくりした。
のんだ途端目眩が起こり布団に倒れこんだのだ。
そして、目覚めも最悪だった。
のみたくない、と思った。
だが母は、えらい医者のことを絶対的に信じており、息子の抱えている気持ち悪さに配慮してくれることはなかった。
結局睡眠のための薬をのんでも学校には行けなかった。
目覚めが最悪なのだから当たり前だ。
かと言って日中もだるい。おもしろくない。
猿烏賊ジュニアはイライラして暴れた。
家庭内暴力だった。
ジュニアに打たれて母は泣いていた。
けれども叱らなかった。
母は親の会でペアレントなんとかいう講座を受講していて、何があってもありのままに受け入れなければいけないと信じていた。
怯えながら卑屈な目で自分を見る母に怒りを感じ猿烏賊ジュニアはまた母を殴った。
そして母は猿烏賊ジュニアを病院に連れて行った。
えらい医師の診察があり、薬が追加された。
薬が効いたのか、もう暴れたくなくなった。
けれども同時に
なんにもする気が起きなくなった。
とにかく動きたくない。
外に行きたくない。
こうやって無気力なまま、不登校したまま中学時代が過ぎ、えらい先生の監修する配慮のある高校に入ったのである。
ここから大学や専門学校に進学する仲間もいなかったわけではない。
でも猿烏賊ジュニアは違った。
もはや何もやる気がない。
そのまま今の作業所に入った。
作業所では毎日、服薬をチェックされる。
たまにのんでない、という人がいると支援者にのむよう促される。
もはやのみ続けるしかなかった。
それに薬をやめると大変つらい時期があるそうだ。
医師の指導のもと、つらい時期を耐えながら断薬するしかないらしい。
猿烏賊ジュニアにもはやそんな根性があるはずもなく、薬を飲み続けるしかなかったのである。
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『藤家寛子の減薬記』
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長期にわたって薬物治療をしていると、向精神薬の副作用や向精神薬を飲んでいる最中に突然起きた症状が、向精神薬をやめても治らなくなる事があるからです。
例えばメジャートランキライザー 服用中に癲癇様症状が出たとします。その場合、メジャートランキライザー は断薬出来ても今度は抗てんかん薬を飲み続けなければならなくなります。
また、猿烏賊ジュニア君のように向精神薬によって暴力的になったり無気力になったりする人の様子を副作用ではなく病気の悪化だと判断する精神科医もいまだに存在します。
そういう場合どうなるかというと、嶋田和子さんや内海聡医師や笠陽一郎医師の書籍にあるように、「薬をもっと出さなければ」と考えたバカ医者によって多剤大量投与をされたり閉鎖病棟(オプションとして五点拘束や保護室行きや電気ショックあり)に入れられたりします。
発達障害支援以外の精神医療業界は障害者に人権ナシですから、最悪の場合看護師の暴力?で死ぬ事もあります。(しかも殺した看護師は精神病患者を制するのは仕事のうちだからという理由で無罪または罰金しか課せられない)
オマケに猿烏賊ジュニア君はもう成人ですが、ADHDの薬には成長遅延を起こすものもありるので背が伸びなくなったり体重が同年齢の子よりも著しく少なくなってしまった子もいるそうです。
人権擁護の会の世話人の方が書いた「発達障害バブルの真相」という本に書いてありました。
向精神薬は恐ろしいものです。まして子供の頃から飲むものではありません。