治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

ベムの浅知恵

2017-09-19 15:33:52 | 日記



レジュメ用意していて思い出したこと。

一部障害児親の犯罪リスクを考えるとき、案外偽計業務妨害が可能性高いな~と思いました。

とにかく障害児親でよく見られるのは
「考えの違う他人が許せない」っていうこと。
いや、そこまで至っていない人もいる。
「考えの違う他人の存在が信じられない」というね。これはもう、脳もしくは社会性のキャパが狭いとしか思えない。

うつ病で休職していた暇にまかせてぎゃんぎゃん吠えたててたベムこと宮本晋ですが、それをやめた理由のひとつは彼が当初絶対に信じなかった「浅見にも支持者がいる」とか「自分もきちがい扱いされている」ということにはたと気づいたから。
逆にそれまで気づかなかったおばかさんです。
自分が正義感に駆られ「浅見講演やめろメール」送ったことで主催者が捜査に任意協力したっていうのも決め手になったでしょう。

どんな考えの違う人も支持者がいるんですよ。
そしてそういう人が行う講演を阻みたいのなら、自分の方が間違ってると見なされ措置を取られるかも、というリスクも勘定したうえでやることですね。
もちろんテクニカルに勝算があるときもあるよ。たとえば政教分離の原則に外れそうな講演会に公費が注がれそうだとかね。
でもそうじゃないとき、「自分が気にくわない」で誰かの活動を邪魔するときには
・うまくいくかもしれない
けど
・自分が法的リスクを背負うかもしれない
ことをお忘れなく。

ベムは当時、自分の方こそ名誉棄損されている、と警察に訴えたらしいよ。
これは当時聞いた話。決して事後民間人になった担当者から聞いた話ではなく、当時渦中で聞いた話ですのでその辺誤解しないように。

だから私は「だったら司法手続き取ればいいですね」と言いました。
私はYTに対して司法手続き取りました。ベムもそう思うのなら取ればよいのです。これはギョーカイ人や大御所も同じ。名誉棄損だと思うのならきちんと司法手続き取ればいいんです。本人たちが。
そうしたら私も反論します。そして司法が判断するでしょう。それが法治国家の手続きです。
それをやらない、っていうことは
「言論の自由の範囲だとみなしている」もしくは
「めんどくさい」もしくは
「自己保身」で
この「めんどくさい」と「自己保身」を私は「死んだふり」と呼んでいます。そして私に名誉棄損されているという認識を誰かがもっていて、それでも私をどうにかできないこと自体、皆さんに何かを教えてくれます。それは、ギョーカイ人に胆力がないっていうことですよ。それほどの胆力がない人たちが「発達障害者と社会の架け橋」になどなれるわけがないです。私がずっと指摘しているのはそのことです。

話は変わりますが

ずっと以前、かなり重度なお子さんを持つ親御さんにこういう話を聞きました。「うちの子は重度だけど、将来的にもできれば施設に入れたくない」というのです。
なぜかというと、施設では運営の都合上、夜は大量の薬を飲ませて入所者を眠らせる。そうやって健康で入った子がヨレヨレになっていく。そういう目に合わせたくないというのです。
もちろん人権意識の高まりとともに、そういうケースは減っていると信じたいですが、親御さんとしては当たり前の親心だと思います。

でも一方でこの事実が示唆するのは
「親の中にも、子どもの主観的な健康状態等よりも手のかからないことを優先させて薬を使っている人がいてもおかしくない」ということですね。
そしてそういう使い方をしている人たちは鬼畜でなければ、一抹の罪悪感を感じているでしょう。ベムのように薬のために運動会の日もよだれたらして眠るわが子の写真をブログにアップして「寝る子は育つ」とタイトルつけられるほどの鬼畜親はめったにいないでしょうから。
そしてそういう人たちは、「自分の平穏のために」「もしかしたらわが子の心身に負担をかけ」「薬を使わせている」という意識を持つ人たちは、薬の害を声高に叫ぶ人たちや、そこまで極端な思想ではなくても、できれば薬を使わないでよくしようと試みる人たちの存在に、発狂するようですね。おそらく、自分の罪悪感を刺激されるのでしょう。ベムの攻撃もそういうのだったのかもしれません。

でもそこで、自分と考えの違う人たちの活動に異を唱えるのは覚悟してやってくださいね。
要求が通るかもしれない。でも一方で
法的リスクも同時に背負うのですからね。
それを背負ってもいい、いざとなれば戦う、という覚悟でやってくださいね。



写真は臨海学校のときの写真。ビーチのマッサージ屋さんも多角経営で、三つ編みの営業もしています。
でもこれ、日本人が見るとさらし首ですね(笑)

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