治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

見張り合い社会と「改善するけど治りません」

2017-05-06 08:55:37 | 日記
昨日の午前中は私からやや距離を取ったところでカオスだった。

メールが来る。
当事者の方。
支援者と保護者の見張りにからめとられてにっちもさっちもいかなくなっている。
明らかに支援者と保護者がおかしい。そしてたぶんこの人はそれに気づいている。
でもそれに反抗できない。
ここで反抗できるかどうかが治るかどうかにつながるけどそれは主体的に決めること。
と思って距離を取った対応をしていた。
見張りにまとわりつかれないで済むようになるだけで、治る価値がある。

でも地域によっては違うのかもしれない。
見張り合うことが当たり前になっているのかもしれない。

そしてFBでは当事者のいちゃもん。これも同地域。
ちゅん平さんも南雲さんも治っていない。こよりさんの息子さんの通ってた高等支援学校はここだと思われてどうのこうの。こよりさんがどこどこ行ってこういうことを書いていたとか、とにかく人んちの事情が気になって仕方ない。久々の猿烏賊的メンタリティとの出会いである。私はこの人が二度と花風社の本を読まなくても花風社の悪口を言って歩いても構わないがとにかく誤学習だけは阻止しようと思って対応していた。あなたが治っていないという南雲さんは講演業という完全な受注商売でありながら受注が途切れない。あなたが治っていないという藤家さんはあれだけの心身の弱さを克服し、視覚も聴覚もフルに使われる環境で六年販売業に従事し有資格者となって白衣で勤務している。その二人の努力にケチをつけるあなたは就職し職場のあら捜しをしては辞めてばかりで仕事が続かない。「完全な健常者になる=治る」というのは、それ自体が障害者差別だからね。そして、フルマラソンでなければ意味がない、としていると、一生努力を軽視し社会を住みにくい場所と罵倒して終わるだろう。五キロ走ろうと思って走り続けるときに、何か事情で三キロで終わったとする。けれども汗はかき、気分は爽快になっている。そういう達成感もあると知らないと他人のあら捜しをする一方で自分が努力することの喜びと必要性、方向性が見えなくなるだろう。

一方で本を作り続けていた。
こういうエピソードがあると、ますます出さなきゃいけない本だと思う。
売れなくてもね。

テレビでは直虎のダイジェストをやっていた。
そしてなぜ私が戦国時代が嫌いだったか思い出した。
とにかく見張り合い社会である。偶然だがメールの読者もFBでからんでくる読者も同じ地域。相変わらず見張り社会が続いている根っこはこの時代あたり、いやもっと前にあったのかもしれない。より強いものの顔色を窺い安堵してもらう。強いものは弱いものを見張って当然だと思っている。後世賞賛されることになった武士道とは程遠い。武士道はおそらく源平と、のちの世の敗者によって印象付けられたものなのだ。真田とか新選組とか西郷どんとか。そういえば真田丸も見なかったなあ。結末が知れているし、私は海のない土地の取りっこに興味がわかなかったから。

私のやりとりを見ていたのか見ていなかったのかこよりさんが「障害が治ったかどうかは自分で決めること」と書いた。
本当にその通りだと思う。
本人が決めること。それを証明しろと言う人たちにはいろいろ都合があると思うが、そのひとつはケチ根性なのだ。「そのとおりにやって健常者になるのなら自分もやってやる。そうじゃなければ重い方が支援が厚い」。いずれにせよ小銭に振り回されているだけの人生なのである。しかも制度はいつまで重度の人に手厚いかわからないのである。だから自助努力をする障害者がたくさんいるのだ。なんで日々を努力し朗らかに暮らしている人々がそういうケチ根性たかり根性を満たすために応えなければいけないのか。

そして吉川徹の無礼発言も思い出した。私が彼に、箱根のこっちに来るなというのは、箱根のこっちでは他人の懐事情にあからさまな興味を寄せたりするのがマナー違反だからである。でも見張り合いが是とされている地域ではそれは無礼ではないのだろう。

そしてこういう地域では、他人の事情を詮索し他人と比べるのがマナー違反ではないから、お互いに自重する生態系が自然に出来上がるだろう。その中ではこよりさんのように空気が読めない人じゃないと、「字も書けるようにならない」と言われたお子さんに高等支援学校を受験させるようなことはできないだろう。そして縮小再生産の人生が推奨され、自分のところも縮小再生産を選んだのだから他人もきちっと縮小再生産を選ぶように見張り合うだろう。そうやって活動する親の会にいればいるほど自立は遠くなっていく生態系のいっちょ上がりである。

やだねえ。
と思っていたら夕方になってこよりさんのブログが上がった。
専業主婦と小遣いについて。
こよりさんはまっとうだ。
そしていつも、こよりさんの周囲の民度の低さにびっくりする。
どうしてここまで人んちの事情に突っ込めるのか。

これを読んで「なぜこの人たちと付き合ってるの?」と疑問を持つ人がいた。自分なら付き合いをやめる、と。私もそうだけど、こよりさんはアスペルガーのいいところを発揮している人で、争うこともなくのらりくらりと言うことに飲み込まれないんだよね。

ニキさんはちょっと違う。
ニキさん自体は高潔な人なのでこういうことはしないし、わずらわしいとは思っている。でも「そういう人に悪く言われまい」という方向に反射が働く。私が二次障害だと思っていてニキさん自身は自分の身を守る一次特性だと思ってたのはそれ。
私はニキさんが何を怖がっているのかいつもわからなかった。
翻訳家志望の専業主婦が食器洗い機買うことにケチをつけてくる人が実在するとは思っていなかった。
猿烏賊騒動が起きて初めて、「ああ、これか」と思った。つまり猿烏賊的な人はそれまで、ニキさんの周囲にはいても私の周囲にはいなかったわけである。

未知の猿烏賊と出会った私が取った戦略は、こよりさんのようにのらりくらりでもなく、ニキさんや昨日メールをくれた読者のように「心ならずもその価値観を内面化していく」でもなく、「なぎ倒す」であった。
そしてちゅん平さんや南雲さんは私のようにブルドーザー的にではないけど、やはり立ち向かっていくタイプなんだと思います。

そしてね~
ギョーカイ人の決まり文句「改善するけど治りません」もそれなんだよ。
そういわないと、ギョーカイ戦国時代の中で領地を安堵してもらえないの。
だからお約束でそう言ってるの。
だから岩永先生は主催者が希望しても「自閉症児の脳を育てる」を講演タイトルにできなかったの。それを架空の脳科学者のせいにしているけど、脳科学での分野ではむしろ発達障害ギョーカイより運動が脳機能を高めるっていう議論花盛りじゃないですか。認知症だって歩いて防ごうっていう時代だし。
だから岩永先生が気にしたのは脳科学者じゃなく、ギョーカイ内戦国時代のより強い大名ですよ。
勝手に領土を安堵する権利があると思っている道化大名たち。
そんなのに巻き込まれるのはごめん。私は長城の向こうにいるわ。

そして「改善するけど治りません」を真に受けてる人たちは
ギョーカイ人がお互いを見張り合っているから交わして仲間だと確かめ合っている決まり文句を真に受けてるだけなの。
ばっかみてえ。

では本日
横綱昇進披露宴
愛甲さんと一緒にいってきます!


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3 コメント

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行ってらっしゃいませ (こより)
2017-05-06 10:00:17
愛甲さんと 横綱昇進披露宴!おめかししてお出かけのご様子を 想像して私もワクワクです。素敵な時間になるでしょうねえ。
親と子供 (のんの)
2017-05-08 14:21:28
人の親になったことはないですが、十数年後亡き母の年を追い越す当事者です。子供に対して社会で生きる術を伝授出来れば、親としての役割は十分果たされたと思うのです。ある作業所の話ですが、ボランティアで手伝う親御さんの中にPSWの資格を取得した方がいました。頑張るなあ、と思う反面、自分の親がそうだったとしたら、素直にそう思えるだろうかと複雑な気分になりました。
Re:親と子供 (浅見淳子)
2017-05-11 05:38:13
確かに。
自分の親がそういう方向に努力を傾けたら、子どもとしては複雑ですね。

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