自閉っ子通信11号「合理的配慮と発達保障」についてどんどん感想をいただいています。
そのうちのひとつ、クローズドな場所に寄せられた感想のひとつに
「社会に出れば合理的配慮などしてもらえないのだから」という理由で合理的配慮に踏み出せない先生には「ベテランの女性教師」が多いというご意見がありました。
ちょうど私は『愛着障害は治りますか?』のあとがきで、愛甲さんがこう書いていらしたのを思い出していました。
=====
私は長いこと「従う」人生を歩いてきました。両親から女性は生涯「よい子」でいることが美徳であると叩き込まれたことが影響していたのかもしれません。
村瀬先生が言われる「時所位」とは時や場所柄や立ち位置を踏まえて柔軟に対応していくことなので、主体性が獲得できていない者に「時所位」を実践することは不可能です。
私は長いこと主体性のないままに生きてきました。
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これを読んだとき、「そうなのか~」と思いました。まあ愛甲さんが愛着障害相当治ったあとに私は出会ったわけですし、実は私自身は「従うことが美徳」だと習った覚えはありません。いや、教えられたのかもしれないけど聞いてなかった。愛甲さんはご両親が九州出身でうちの両親は神奈川県出身ですが、そういう影響があったのかもしれないしないのかもしれない。でも母の世代、祖母の世代はどこ出身であれ少なくとも私よりは誰かに従うことにためらいがなかったと思います。
そして「配慮なんて社会に出たらしてもらえない」と信じているベテランの女性の先生は、ある意味誰かの敷いたルールに従う人生を送ってきて、それこそが生きやすさを担保するものだと信じていて、だからこそ怖がりなのかもしれません。大学行って決められた教職のコースを取り、教員採用試験を受け・・・という道筋を通ってきたわけですし。
その点私は二社の正社員体験を経て独立したわけですが、二社とも募集していないところに履歴書持って行って「私を雇う気はありませんか?」と交渉するところから始めています。それでそこで仕事を覚え、今度は自分で会社を作ったわけです。そして年齢に応じた働き方を自分で調整しています。だから「自分の働きやすい環境は自分で作る」っていうこととか、「仕事上の効率さえ上がるのなら環境については交渉次第である」ことは身についているのです。
でもおそらく、女性のベテランの先生は、女性という縛りと、従順であることが美徳であるという縛りと、コースに乗ることこそが仕事をするということ、という縛りの中で「合理的配慮がある職場」というのが想像しにくくなっていると思われます。「誰かのルールに従う」ことしか知らないと「自分で交渉してルールを作る」ことはわかりにくいかもしれない。
先日の「自発性・やる気は育ちますか?」のコンディショニング講座のあと、愛甲さんから来たメールです。
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今回の研修で気づかされることがいっぱいありました。
ありがとうございました。
自発性と2次障害について少し考えてみました。
人間の腎臓や筋肉や骨などの器官が各々ネットワークを作って健康を保持していることをNHKの番組で知ったことから、
整体や気功などの身体アプローチがなぜ有効なのかが実証できる日がそう遠くないことを実感しました。
発達障害は自発的に生きるという方向性を誤ると治せません。
どうしてかというと、発達障害の原因が神経発達の秩序の乱れからきているからです。
人間のからだには数えきれないほどの神経が張り巡らされています。
身体器官がお互い伝達しあいながら健康を保持していることを考えると、発達障害が治るためには、自分で選んで決めていく自発性が必須となります。
自分の身体、そして心は自分だけのものであり、ワクワク感は自分にとっての躍動感だからです。
近年の急激な社会の変化によって、これまで美徳とされていた「素直」・「従順」であることが自らの発達を阻害し、生きづらさを増長する要因ともなるようになりました。
時には社会の流れに抗って自分の発達を自ら方向づけることが大切であり必要です。
2次障害は、アイデンティティの探求(自分はどう生きていけばよいか、自分らしく幸せに生きるにはどうしたらよいかなど)には、つきものの自己治療なので、青年期に誰もが経験する2次障害を回避していては、決しておとなにはなれないことになりますし、発達障害も治らないことになります。
発達障害が治るためには、自分が大好きなことを自発的に一生懸命にやっていくことで、人々に貢献できるおとなになっていくこと、そして周囲も自分も幸せになっていくことが求められます。
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素直さや従順さが必ずしも生きやすさをもたらさない時代になった。
ある意味、私が語れる時代になったかも、と思っています。
そのうちのひとつ、クローズドな場所に寄せられた感想のひとつに
「社会に出れば合理的配慮などしてもらえないのだから」という理由で合理的配慮に踏み出せない先生には「ベテランの女性教師」が多いというご意見がありました。
ちょうど私は『愛着障害は治りますか?』のあとがきで、愛甲さんがこう書いていらしたのを思い出していました。
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私は長いこと「従う」人生を歩いてきました。両親から女性は生涯「よい子」でいることが美徳であると叩き込まれたことが影響していたのかもしれません。
村瀬先生が言われる「時所位」とは時や場所柄や立ち位置を踏まえて柔軟に対応していくことなので、主体性が獲得できていない者に「時所位」を実践することは不可能です。
私は長いこと主体性のないままに生きてきました。
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これを読んだとき、「そうなのか~」と思いました。まあ愛甲さんが愛着障害相当治ったあとに私は出会ったわけですし、実は私自身は「従うことが美徳」だと習った覚えはありません。いや、教えられたのかもしれないけど聞いてなかった。愛甲さんはご両親が九州出身でうちの両親は神奈川県出身ですが、そういう影響があったのかもしれないしないのかもしれない。でも母の世代、祖母の世代はどこ出身であれ少なくとも私よりは誰かに従うことにためらいがなかったと思います。
そして「配慮なんて社会に出たらしてもらえない」と信じているベテランの女性の先生は、ある意味誰かの敷いたルールに従う人生を送ってきて、それこそが生きやすさを担保するものだと信じていて、だからこそ怖がりなのかもしれません。大学行って決められた教職のコースを取り、教員採用試験を受け・・・という道筋を通ってきたわけですし。
その点私は二社の正社員体験を経て独立したわけですが、二社とも募集していないところに履歴書持って行って「私を雇う気はありませんか?」と交渉するところから始めています。それでそこで仕事を覚え、今度は自分で会社を作ったわけです。そして年齢に応じた働き方を自分で調整しています。だから「自分の働きやすい環境は自分で作る」っていうこととか、「仕事上の効率さえ上がるのなら環境については交渉次第である」ことは身についているのです。
でもおそらく、女性のベテランの先生は、女性という縛りと、従順であることが美徳であるという縛りと、コースに乗ることこそが仕事をするということ、という縛りの中で「合理的配慮がある職場」というのが想像しにくくなっていると思われます。「誰かのルールに従う」ことしか知らないと「自分で交渉してルールを作る」ことはわかりにくいかもしれない。
先日の「自発性・やる気は育ちますか?」のコンディショニング講座のあと、愛甲さんから来たメールです。
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今回の研修で気づかされることがいっぱいありました。
ありがとうございました。
自発性と2次障害について少し考えてみました。
人間の腎臓や筋肉や骨などの器官が各々ネットワークを作って健康を保持していることをNHKの番組で知ったことから、
整体や気功などの身体アプローチがなぜ有効なのかが実証できる日がそう遠くないことを実感しました。
発達障害は自発的に生きるという方向性を誤ると治せません。
どうしてかというと、発達障害の原因が神経発達の秩序の乱れからきているからです。
人間のからだには数えきれないほどの神経が張り巡らされています。
身体器官がお互い伝達しあいながら健康を保持していることを考えると、発達障害が治るためには、自分で選んで決めていく自発性が必須となります。
自分の身体、そして心は自分だけのものであり、ワクワク感は自分にとっての躍動感だからです。
近年の急激な社会の変化によって、これまで美徳とされていた「素直」・「従順」であることが自らの発達を阻害し、生きづらさを増長する要因ともなるようになりました。
時には社会の流れに抗って自分の発達を自ら方向づけることが大切であり必要です。
2次障害は、アイデンティティの探求(自分はどう生きていけばよいか、自分らしく幸せに生きるにはどうしたらよいかなど)には、つきものの自己治療なので、青年期に誰もが経験する2次障害を回避していては、決しておとなにはなれないことになりますし、発達障害も治らないことになります。
発達障害が治るためには、自分が大好きなことを自発的に一生懸命にやっていくことで、人々に貢献できるおとなになっていくこと、そして周囲も自分も幸せになっていくことが求められます。
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素直さや従順さが必ずしも生きやすさをもたらさない時代になった。
ある意味、私が語れる時代になったかも、と思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/47/3ebd9f858d769bf41a8af58b60985e9e.jpg)
学校は手を打ってなかった責任を取らされそうなときの対応は早いです。身の危険に関わるようなことでも配慮を拒まれるなら、合理的配慮がなかった場合に結局学校の不利益になる可能性があることを説明することで攻めてみるといいかもしれません。担任がガチガチなら校長、校長もダメなら教育委員会に。もちろん感覚過敏なら治すのがいいし、本人としても成長しているところで必要最小限にすると取り決めしておく、家庭と学校で連携してやっていくなどで、学校側の抵抗感を減らせます。
娘は春から高校生です。いっぱいいっぱいになって倒れていた子が丈夫に育ってとてもうれしい。発達障害対策としてやっているのは花風社の本を読むことだけなので、浅見さんのおかげです。本当にありがとうございます。何もわからず情報を集めていた頃、ギョーカイ系の本や講演がつまんなくて眠たいのを、障害児の親として自覚がないからとせずに、用はないときっぱり割り切ったのが良かったと思います。