治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

技術移転(神田橋先生の『発達障害、治るが勝ち!』評) その5・完

2017-09-10 10:48:50 | 日記


さて、2010年に神田橋先生に髪の毛がもじゃもじゃになるいんちき体操を習って以来、私は何度となく神田橋先生に別の種類のいんちき体操を習いました。
やってる本人は真剣でも、周りから見ると「ぷっ」と吹き出してしまいそうなものもありました。
でもその都度、ぶり返すギョーカイトラウマをなだめるのには役立ちました。
先生は教えてくださるたびに「みんなに教えてあげなさいよ」とおっしゃいました。
「いいんですか?」と私はききました。でも今ならわかります。神田橋先生はけち臭い方ではなく「技術移転」を目的としていらっしゃったのだから本気で「教えてあげなさいよ」と言っていたのだと。
その他、鹿児島に出かけた人が新しいことを習ってきて「浅見さんに教えておいてあげてって言われました」と教えてくださることもたびたびありました。私に教えると、広まる、ということを予測して教えあげなさいと言ってくださったようでした。

でも人に教えるのって、プレッシャーかかりますよね。
先生に習ったものを私は正確に再現できているのか? という自信のなさがつねにありますし。
「発達障害は治りますか?」が出たとき、8の字のやり方がわからないから動画にしてくれないかというリクエストが相次ぎ先生にお尋ねしたのですが、しない、ということでした。皆が勝手に「気持ちいい」を追求すればいい、という感じだったのだと理解しました。

先生から習ったことはまず人前ではなく自宅でやってみますよね。
そして人前ではないと言っても、目撃者が一人いるのです。
私がいんちき体操をやっていると「ぷっ」と笑う人が。
そしてその目撃者は、私がやっているいんちき体操を展開して、どんどん体操を考案するのです。いんちきのいんちき版。ダブルいんちきです。でもこれが効くのです。プラシーボ効果かもしれません。何しろ神田橋先生の物まねで勧めてくるからです。「あなたには、これがいいよ。そうそうそう」みたいに。

こよりさんのおうちにはミニ栗本さんが出現するらしいですが、うちにはミニ神田橋先生が出現するのです。そして、これが楽しい。先生のいんちき体操はもしかして人体に関する深い知識に根っこがあり、そのさらにいんちき版にはそんなものないのかもしれない。でもとにかく一日が終わったあと晩酌しながらふたりでげらげら笑いながらやってみるいんちき体操には一日の疲れを吹っ飛ばす効果かあるのは確かなのです。

「いんちきだ~」と笑う私に「でも効果あるだろ?」と神田橋先生の偽者は言います。たしかに。そして、専門家同士の技術移転とは別のレベルかもしれないけど、これもたしかに技術移転で、こうやって家族で笑い合う日々があるから、一歩外に出て七人の敵がいようと、千人の猿烏賊がいようと、私は朝になると元気になって「さて、今日も頑張るぞ!」と思えたのかもしれません。

そして自分で決めた仕事の時間や成果物の量をきちんと守り(この積み重ねが自己肯定感を育みます)、残りの時間で体力づくりをしたりコンディショニングをしたり。そして基本は自炊で野菜たっぷりの(肉や魚もたっぷりの)料理を作り、コスパのいいワインなどをたしなみ(最近は水で済んだりしますが)



楽しく夜を過ごして一日の疲れを癒す。それを繰り返して私は生活しています。人と会い、書物を読み、本を作ります。

アニバーサリーの特別な日にはプロが作ったお料理を食べたり



週末ぽっかり時間が空いたら安い宿を見つけてハイキングしたり温泉入ったり





私は生活者としては結構地味で安定しているのです。

だからね、多忙自慢、運動不足自慢、給食食べられなかった自慢のギョーカイの先生方、コンビニ弁当食べて走り回り「社会の理解ガー」をやって、家庭に帰るとそこは別に癒しの場ではない、という先生方が「どうせ専門性がないから」「どうせ素人だから」と言って私をつぶそうとしても、それは大変ですよ。生活者としての土台ができている人は、なかなか元気を失わないものなのです。そして読者の皆さんが求めるのは「生活者として地道で安定していること」なのですから、その点では(一部の)先生方より私の方が専門性高いかもしれませんよ。

トラウマがトラウマでなくなるとはどういうことか、皆さんもう一度おさらいしてみましょう。

その記憶をなくすことではないですね。

不意にその記憶に取りつかれ揺さぶられる状態を卒業すること。いやな体験はいやな体験として、今度は自分が好きな時に思い出せること、その記憶にのみこまれることなく自分から主体的に使えることです。

そして私のギョーカイトラウマを私が主体的に使い、社会のために役立てようと書いたのが「発達障害、治るが勝ち!」です。

支援があれば支援があれば

の時代から、「いかに支援者に人生をつぶされないか」を考える時代になりました。
あとから振り返れば、この本がその分岐点にあるはずです。

実は、これを書いている途中、私は九州に隠密旅行しました。

一日目は北九州某所にいました。ひみつの作戦会議をしていました。



そして美しい風景を見ながら、九州新幹線で鹿児島に移動しました。宿に入りました。明日どうするかは明日決めよう、と思いました。先生のところに行くのか。それとも別の過ごし方をするのか。

美味しいお魚を食べて、温泉に入って寝ました。

そして

翌朝、私は先生のところには行かないことを決めました。代わりにどこに行ったかというと

先生に最初に連れて行っていただいた場所、桜島です。
折からの九州の豪雨の中、私は一人で桜島を散歩し、癒されました。






最初に愛甲さんとあったとき、ギョーカイトラウマのさなかにあったとき、愛甲さんが私が桜島のようだったと言っていたのを思い出しました。爆発していたのでしょう。でもね、マグマは大地を作るのです。私がギョーカイトラウマにさいなまれたからこそ、とことんギョーカイの死んだふりに怒ったからこそ、「治るものなら治りたい」人たちが声を上げる環境ができたのです。

そしてそのギョーカイトラウマのさなかで出会い、助けていただいた神田橋先生だからこそ

私はもう、先生に依存することなしに歩きはじめなければいけません。
それでこそ本当に、ギョーカイトラウマを脱したことになるのです。

そう思ったから、先生には会いに行きませんでした。
桜島の土を自分の足で踏むことを選びました。

強みは弱みの裏にある。

資質を活かす。

あの本を作ったときにはわからなかったことを、私は七年かけて、自分で体験しました。

これが最大の技術移転かもしれません。
そして私は自分が経験したこのミッドライフクライシスから得た教訓を

一生使っていくつもりです。

【完】

=====

「発達障害、治るが勝ち!」
花風社HPからのお申し込みはこちらへ。
Amazonはこちらにお願いいたします。
一般書店でも発売中です。