治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

技術移転(神田橋先生の『発達障害、治るが勝ち!』評) その4

2017-09-09 11:40:25 | 日記
さて、またまたふうりんさんのコメントのおかげでこの先の話が展開しやすくなりました。
区切って引用させていただきますね。

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社会の中で治っていく (ふうりん)
2017-09-08 16:59:42
自分のことを思ってくれる家族がいるのはありがたいですね。きっと心配だったと思いますが、妻を信じて、意志を尊重して見守られていたのですね。照れ臭くもあり寝てる間にされたのかも。
夫婦はわりと自分に合った人を選んでいるものですが、親子はどうでしょう?

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先日某支援者から、「あのとき(神田橋先生の本を出して猿烏賊ギョーカイからの騒ぎが起きたとき)旦那さんどう言ってました?」ときかれました。言っておきますがそういう質問をされてもこちらが決して不快に思わないくらい関係性の出来上がっている間柄です。私は答えました。

基本的な姿勢としては

・強い主張をしていたら反撃があって当たり前。それにひるむことはない。信じる道を行け。

でしたね。そして、本人はおそらく何気なく言ったこの一言が、私をここにとどめたかもしれません。

・保護者や支援者に叩かれたから発達障害をやめる、という決断を浅見淳子はできる。でも読者の人たちは「もう自閉っ子の親いやだ、明日からやめよう」とはいかない。そういう人たちに情報を提供しているという社会的責任を考えろ。

これがおそらく、決定打です。私がその後も発達障害の本を出し続けた。

その話をしたら某支援者は「すごい人だ」と言っていましたが

私にしてみたら「あらそう?」という感じでした。「ひるむことはない。信じる道を行け」というのはあの場面におけるごくごく当たり前の判断だと思うのです。逆の立場だったら、私もそう言うでしょうしそれを応援するでしょう。

でも考えてみたらもりしー()みたいな人だったら「猛毒ブログや」というのでしょうし、大大大博士祭りにびびりまくった岩永先生なら「やめましょう」と言うのかもしれません。

でも結婚相手というのは、親子関係と決定的に違って、選べるんですよね。
だから最初から価値観が似ているような相手を選んでいるはずなんです。

一方親子関係はどうかというと

発達凸凹周辺では「毒親に育てられた」という自己像を持つ人がとても多いですが、親の立場になってみれば「こんなはずじゃなかった」ことも多いと思いますよ。

それこそ見目かたちから、性格から、進路から、まったく好みではない子が生まれてきてしまった、という親御さんも多いのではないでしょうか。

それをしのぐものが「親ばか」で、他人から見たら不細工な子でも「世界一かわいい!」になるし、他人から見たら平凡な子でも天才に見えて

だから神田橋先生は子育てとして「親ばかに勝るものはない」とおっしゃるわけですね。
ただそれを親ばかと自覚せず社会に働きかけると有効性に乏しいだけの話で、親子関係の間では親ばかはいい方に機能すると思うのです。

そして最近思うのですが、「障害を治す」を「性格を治す」とカンチガイしている人が多いですね。

私は「発達障害、治るが勝ち!」の中で、「修行をしないほうがいい親」について初めて言及しましたけど

「障害を治す」を「性格を治す」とカンチガイしている親は、むしろ修行などせず「社会の理解ガー」をやっている方が害が少ないかもしれません。子どもがかわいそうすぎる。そして親との間の問題が未解決で「性格を治そうとされた」被害感を持っている人が涙目で「治らない!」になっている気がします。

性格を自分好みに作り替えることを「治す」とカンチガイしていると、害の方が大きい。

なぜなら性格は変わらないからです。

ただ治った人を見ていると、元から持っていた性格が光りますね。社会の中で受け入れられるもの、社会の中で役立つものになっていく。

さて、もう一度ふうりんさんです。

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子どもは親の逆をやるというし、身体もしっかりしてきて少年期から青年期に入りかけている娘が心配でしょうがないけど、本人がどうしたいかに任せて見守るのがこれからの親の役目になると思います。
本人の内心を尊重しないのでは邪魔していることになります。顔を隠せばいいだろうと延々ブログのネタにしたり許可なく講演のダシにしたりするのは、その人を守ろうとする意識が希薄だからでしょうね。障害があるから公的に守られないといけない、生涯に渡る支援を派が私的な守りがなってないとか冗談みたい。あ、公的な守りも生涯に渡る支援も金づるのことでしたっけ。

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ふうりんさんの歩む道は、難しいけど正しいと思います。
そしてこよりさんのように「卒母する」が最終目標だと思います。
なぜか?
誰もが、主体性なしには(健康に)生き抜けない時代をお子たちは生きていくからです。

実は親の世代でも、そうなっています。
それに気づいていない人が、見張り合い社会、同調圧力社会に適応しようと四苦八苦し、結果「叩かれないから同調している」と自分で主体的に選んだはずなのに、「自分はやらされている感」を持ち被害的になっています。
この世界で言えば「専門家が一生治らないというから」「治らない教」を信奉するようになり、でも本当は治せるものなら治したいので、治そうという人を憎み、治ったという人たちを情弱扱いにしてなんとか自分たちの心の平穏を保とうとします。

「治ったらいいな」という本当の気持ちに従ってしまった方がラクなのに、子どもにとってもいいことなのに、それよりも「叩かれないこと」を優先しています。
それは主体的な選択なのに、その選択にどこか被害感を抱きつつ。

うちの家庭では「主体的な選択を貫く」ということは至極当然なことなのです。
だから花風社はここにあるのです。

さてたぶん、次が最終回です。
こんな我が家での技術移転の様子です。

続く

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