気の向くままに

山、花、人生を讃える

スター・デーリー 番外編

2009年11月24日 | スター・デーリー

私が飛田給の練成を受けた時、一緒に練成を受けていた人から聞いた話ですが、高倉健主演の「網走番外地」のモデルと言われていた人が、生長の家の本部講師として飛田給練成道場に数年前までいたということでした。

確か、野尻なんとかという名前の人だったと思いますが、日本教文社から「炎の青春」だったか、そのようなタイトルの本も出しておられて、私も読んだ記憶があるのを思い出しました。

この人は網走刑務所に入っているとき、お母さんから差し入れされた『生命の実相』を読んで、それから信仰の道に入り、本部講師になられた人で、日本版スター・デーリーと言えるのではないかと、ちょっと思い出したので書かせてもらいました。

さて、今日は、スター・デーリーの話の番外編です。

スター・デーリーは金庫破りの名人だそうで、すっかり改心してから一度だけ金庫破りをしたことがあるそうです。
それはどういうことかというと、銀行の金庫が壊れて、アメリカ中の金庫の専門家が開けようと挑戦したのだそうです。ところが、誰も、どうしても開けることが出来ず、最後にスター・デーリーのところへ頼みに来て、それをスター・デーリーが24時間を費やして見事に開けたのだそうです。

このような金庫破りの技を、スター・デーリーは誰に教わったかというと、これがまた面白いのです。
それは、日本で言う「ねずみ小僧」のような、義賊の秘密結社があって、デーリーは13歳の時からその秘密結社の親分に教えられたのだそうです。そして、その秘密結社について次のように語っています。

○彼らは富める者から金を盗って、その全部を貧乏人に与える義賊であった。ベッドの上で寝ず、レストランで食べず、家庭と縁を切り、普通の人の社会とは交際せず、百億ドル以上の金を盗んだが、それを全部貧乏人に与えた。そして、一度もつかまらなかった。

のだそうで、彼ら自身は椀を持って乞食に行き、それで生活していたとのこと。
そして、デーリーが秘密結社に入った13歳からの5年間というものは、物凄い訓練で厳しい期間であったとも語っています。しかしその秘密結社も、酒呑みの一人が入って来たのがもとで、チームが乱れ、解散となったとのこと。

いやあ、惜しいことですね。
今もこのような義賊がいたら、やんやの大喝采でしょうけどね。
私なら、ノーベル平和賞を贈りたいぐらいです。いや、これは冗談。
やっぱり義賊と云えども、「横取り」はいけませんよね。
でも、その秘密結社は、貧しい黒人たちに学校まで建ててやっていたりしたそうですよ。

○世界をまたにかけた、最悪の泥棒の親分であったという彼の眼は、時々、チラッと昔を想わせる凄さを見せていた。(徳久先生)

さて、強盗の親分、拷問にあっても屈しなかったほど剛のスター・デーリーですが、驚く勿れ、最初、獄舎の中で演説をしようと演壇に立ったとき、どんな状態であったかというと、つい3日ほど前に読んだ谷口雅春先生のご文章の中にはこんなことが書かれていました。

○スター・デーリーはどんな強盗の首魁でも彼の名前を聞けば震え上がる程に、肝の据わった泥棒であった。しかし獄舎の中で大衆を相手に説教しようと演壇に立った時には、その肝の据わりはどこへやら、ボーっとして周囲が見えなくなり、一語も発することができないほどに、恐怖心を感じたのであった。

のだそうです。ここでは、谷口雅春先生は、「時として人には到底克服できない嫌悪や不快や恐怖を抱く心の傷があるものである。そういう心の傷は労わってやるべきで攻撃すべきではない」ということをお説きくださっているのですが、私はこれを読んだとき、あの迫真の演説からは想像できないスター・デーリーの一面を知り、「へえー!」と思いました。と、同時にスター・デーリーの次の印象的な話が思い出されました。

長くなったので、続きは明日にします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コトバの力 | トップ | スター・デーリー 番外編(つ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スター・デーリー」カテゴリの最新記事