気の向くままに

山、花、人生を讃える

肉食と地球温暖化

2019年08月29日 | 社会

九州北部が長時間の豪雨で川が氾濫し、街全体が濁った水に浸かり、大きな被害が出ている。

「こんなことは初めて」というような異常気象が、日本だけでなく、世界中で毎年のように起きるようになってきた。

 

日本の安倍総理は、外交ではよく頑張っていると思うが、もっと温暖化対策に力を入れて欲しいと思う。

経済的繁栄がつづいても、その分温暖化が進み、被害額が大きくなれば、繁栄も意味がなくなる。

 

テレビも温暖化が進んでいることを放送しながら、肉食との関係については一向ふれない。それどころか観光やグルメ番組では、ブランド肉を紹介し、おいしそうに肉に舌づつみを打つ食レポシーンがよく出てくる。まるで「もっと肉を食べ、豊かな暮らしをしましょう」とでもいいたげだ。

 

こういう人たちは、肉食と温暖化の関係を知らないのだろうかと思い、試しにYahooで「肉食と地球温暖化」で検索してみた。するとちゃんと、そう言った記事が出てきた。

 

少し紹介させてもらうと、

「肉消費量の削減が地球温暖化防止に一役?」 (2019年08月26日)  の記事では、米バード大学で都市環境学を専門とする
Gidon Eshel氏の「Scientific Reports」に掲載された論文を紹介している。それには次のようなことが書かれている。

○肉を植物性食品に置き換えれば、家畜に餌を与えるために必要な広大な農耕地や窒素肥料を大幅に削減できる可能性があるという。さらに、同氏は「肉の代替品(野菜や穀物)を中心とした食事は、健康面でも典型的な米国人の食事よりもはるかに優れている。

○Sheth氏は、皿の半分を野菜、4分の1を豆類や豆腐などのたんぱく質、残る4分の1を全粒穀物とする食事が望ましいが、「食事内容は急激に変える必要はない。例えば、月曜日は肉を食べない日にするなど、徐々に肉を減らしていくと良い」と助言している。とのこと。

 

また、「気候変動対策に肉の消費減が不可欠、「欧米で9割減」提言」 (2018年10月11日) の記事では、

○世界は壊滅的な気候変動を回避するために、肉の消費量を大幅に削減することが不可欠だとする研究結果が10日、英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。

○食料生産は気候変動の大きな要因の一つだ。中でも畜産業は、家畜が温室効果ガスであるメタンを大量に排出する上、放牧地を確保するための大規模な伐採によって二酸化炭素を吸収するはずの森林が破壊されたり、持続不可能なほど大量の水が使用されたりする。例えば500グラム分の牛肉の生産には、7000リットル近い水が必要とされる。(今や世界は水不足、水不足が原因の紛争の心配も起きて来ている)

○一般市民が環境改善に明らかに貢献できる一つの方法は、肉の消費を減らすことだと論じ、植物性食料をより多く摂取する食生活への「世界規模での転換」を呼び掛けている。
 また、ずさんな管理によって生じる食品の無駄や廃棄を半減させることができれば、環境への負荷は16%減るとして、食品廃棄物の削減、環境負荷を減らすためのテクノロジーを使った農業・畜産業の実践も提唱している。とのこと。

 )

さらに、「みんなで肉を食べる量を減らしたら気候変動と闘える、国連」 (2019年8月9日) の記事では、

「野菜を中心とした食生活が地球の気候変動の悪化に歯止めをかけられると、国連の専門家が発表した」として、次のように紹介している。 

○国連の気候変動政府間パネル(IPCC)に協力した107人の科学者によると、肉や牛乳の消費量を落とせば、より少ない土地でより多くの人の食料を確保することができるため、気候変動の闘いに大きな影響を与えるという。
 じつは肉を食べるという行為の裏には、家畜を放牧する土地を増やすために森林伐採が行なわれ二酸化炭素を吸収する森林を減らしている、毎日大量の水が消費されている、温室効果ガスであるメタンを大量に排出しているなど、地球温暖化につながる事柄がたくさんひそんでいる。
 そのため、畜産業は地球温暖化の大きな原因のひとつとされてきたが、今回の調査でも、とくに欧米での肉と牛乳の消費率の高さが地球温暖化に拍車をかけていると結論づけられた。

 

など、など。

このように多くの科学者たちによって肉食を減らすことが提言されている。このことは、もっとたくさんの国民が知らなければならないことだと思う。

 

下は約1年前の「肉食・飢餓・温暖化」と題した記事のアドレスです。興味のある方に読んでいただければ幸いです。

肉食・飢餓・温暖化

 

 

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この年になって「愛」について思う

2019年08月29日 | 人生

私が入学した高校は男ばかりの全寮制だった。そして中にはいろんな上級生がいた。人生とは、恋愛とは、善とはなど議論の好きな人、「女なんて小便臭くってよ~」が口癖の人、喧嘩自慢の人、怪談話が好きな人、色々であった。怪談話など実に巧みに話す先輩もいて、今思い出しても感心させられる。

 

さて、今思い出すのは、怪談話ではなく、「恋愛論」である。まだ高校生という純情時代、恋愛と言えば、相手がたとえ病気やケガで醜くなったとしても、尚、好きでたまらないというのが、本当の恋愛であるということに異論をはさむ者はいなかった。

 

しかし、「あれから40年」ではないが、あろうことか、ひたすら家族のためにと、辛いことも乗り越えて定年まで頑張ってきた夫を、その夫が毎日家にいるようになると、それを鬱陶しいという奥さんがいるらしい。(男にとって、家庭は最も心を休めることが出来る場所と思うが。)こんな話をたびたび聞かされるが、こんな理不尽なことがあってよいものだろうか。と男の私は思う。

 

もし、自分の妻が、わたしのことをそんなふうに思っている事がわかったとしたら、「俺は今まで何のために生きてきたんだ」と世をはかなんで、自殺してしまうかもね、である。

 

スポーツのコーチや議員などの暴力、暴言の話を聞くと、自分の中にもそんな血が流れているのを知っているから、男はつくづく駄目な生き物だと思ったりもするが、家族のために辛いことも乗り越えて、定年まで頑張って働いて来た男たちが、妻からうっとうしがられているなどという話を聞くと悲しい気持ちになる。たいがいの男たちは、なんだかんだと言いながら、奥さんを愛していることを知っているから、同じ男として、一層悲しい気持ちになる。

 

そして、翻って、自分を思い、家内を思い、自分はどうかと考え、家内に多少の欠点があるからとて、そんなわずかな欠点に気を取られることなく、今までどんなにありがたかったかを思い、これからも共にいてくれることの有難さを思い、もっともっと家内にやさしく親切でなければと思ったりする。そして、この年になって「愛とは?」と、再び考えさせられたりもするのである。

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立ち直っていく青年たち

2019年08月12日 | 人生

生長の家の練成会では、「人間は神の子であって、本来完全円満である」という話をするのだが、その練成会には、家庭では困りものの不良といってもいい青年が、親戚のおばさんとか誰かのすすめで練成会に参加してくることが多い。そして、たいがいはまっとうな青年になってかえって行く。

 

それは不良に見えても、生き甲斐を見出せず、歓びや希望が見出せずにもがいていて、それが不良青年の如くあらわれているだけだから、生き甲斐を見出せばたちまち本来のまっとうな青年に立ち返ることが出来るのだろう。

 

以下は、わたしが20代前半にはじめて練成会に参加したとき、その講師の講話に感動し、メモしていた話です。

 

ある時、やはりそんな不良青年が参加していて、講師の「人間は“神の子”である」という話に食って掛かってきた。

 

「俺みたいな悪党をつかまえて“神の子”とはチャンチャラおかしい。いい加減なことを言うな」

 

そう言って、アコーディオンをうるさく鳴らし、話の妨害をしてきたとのこと。

 

それで、その本部講師は講話を中断し、彼に近寄って言った。

講師:それが、君が“神の子”である証拠だ。

青年:何が俺が神の子か。ウソを言うな!

講師:いや、君が今、自分みたいな悪い奴を・・・と言っていたが、その“悪い”と分かるというところが素晴らしいのだ。君が本当に悪い人なら、自分が悪いという事がわからないんだ。君の中にかくれている“善い心”こそ君の本当の心なのだから、君は本当は素晴らしいのだ」と話した。

 

すると彼は「なる程、自分の中には、自分でも気づかなかった“善い心”があるんだな」とはっと気づいて、それ以後も、すすんで練成に参加するようになり、次第に善良な青年に変わっていった、という話である。

 

忘れていた昔のメモしたノートを読んで思わず目頭が熱くなり、この話を紹介したくなった次第です。

読んでいただき、ありがとうございます。

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愛知トリエンナーレに関して思うこと

2019年08月10日 | 社会

「愛知トリエンナーレは、2010年から3年ごとに開催されている国内最大規模の国際芸術祭です。」

とのことらしい。

 

その芸術祭で、ある企画の展示が中止に追い込まれたことで、論議を呼び、物議をかもしている。
それは「表現の不自由展・その後」と題したテーマで展示された作品であるそうだが、その展示作品の中に、韓国の慰安婦像(平和の少女像)と、昭和天皇の写真を燃やす映像が展示されていたというのである。

 

それて、名古屋市の河村市長が展示を中止するよう大村愛知県知事に申し込んだ。それに対して大村知事は「言論の自由をうたっている憲法に違反する恐れがある」と反論、若しくはけん制したとのこと。

 

私は憲法をきちんと勉強した訳ではないから、違反になるのかどうかは知らない。が、言論の自由があるからと言って、何でも表現していいとは思わない。

 

しかし、この問題の本質は「言論の自由・表現の自由」云々ではなく、芸術祭の展示として、このようなものの展示が相応しいかどうか、それが事の本質ではないかと思う。

 

オリンピックというスポーツの祭典に、政治的意図があって、誰かがその示威行動をすれば、その行為は主催者によって止められるべきであり、また「恥ずべき行為」として非難されても仕方のないことである。

 

それと同じように、芸術の祭典で、我国への敵愾心の産物であるとも受け取れるような作品や映像を展示して、まさか「政治的意図はない」などと言い逃れはできまいと思う。理屈を言えば、泥棒にも3分の理で、「表現の自由」とか「論議を巻き起こすため」とか何とか云って話をすり替えることもできるかもしれない。しかし、そんな話のすり替えや、言い逃れのようなことを言っても、私には「卑怯」で「悪質」なやり口としか思えない。

 

芸術の祭典と言われるような催しで、昭和天皇の姿や骸骨か何かが映っている写真を燃やす映像など流して、どういうつもりかと、わたしは言いたい。

 

私はこのような展示を中止に追い込んだことが悪いのではなく――悪いどころか、よく止めてくれましたと喜んでいるのだが――こんな作品の展示を企画した監督を選んだのがそもそもの間違いであり、そしてこんな作品の展示をゆるしたことこそ、責任を問われてしかるべきだと、私は思う。

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「ホワイト国」適用除外について思ったこと

2019年08月08日 | 社会

日本は韓国を輸出管理優遇措置から撤廃することを閣議決定した。つまり「ホワイト国」の適用から除外した。その理由として「日韓間の信頼関係が著しく損なわれた」事と、「大韓民国に関連する輸出管理をめぐり不適切な事案が発生した」事の2点を挙げている。

 

それに対して、韓国の文 在寅(ムンジェイン)大統領は元徴用工訴訟の韓国大法院(最高裁)判決に対する「経済報復だ」として日本を激しく非難している。そして「すべて日本の責任である」とも言っている。

 

だが、本当にそうなのか?
8月5日ぐらいだったか、NHKの夕方6時のニュースを聞いていたら、韓国はこの4年間で、不正輸出が156件あったことを報道していた。それに対して、ホワイト国の適用を受けていない香港、台湾の同時期の不正輸出件数は、正確に数字を覚えていないが、4~5件ぐらいで、ともかく10件にも満たない数字であった。

 

このニュースを聞いたとき、ならば日本は韓国の「ホワイト国」たるに値しない、この具体的事実をもっとはっきりと国民に知らせるべきだと思った。何故なら、韓国にそんなに多くの不正輸出件数があるなら、ホワイト国から除外して当然と、疑義を挟む余地はないし、相手の韓国から非難されるべきものでないことは、誰にもはっきりとわかるからだ。それで、パソコンで新聞記事を調べていたが、そういう話は出ておらず、なんでこんな大切なことが出ていないかと不思議に思っていた。

 

すると、7日、gooの「ニューストピックス」に

「韓国から戦略物資ダダ洩れ?優遇措置撤廃で怒る韓国の『不正輸出』リスト入手」

(https://news.goo.ne.jp/article/fnn/world/fnn-00047178HDK.html?from=popin)

というタイトルの記事が出ていたので、それをクリックしてその記事を読んだ。するとそこにはNHKのニュースで報道されたより、もっと具体的なことが書かれていて、しかもこの不正輸出のリストは韓国議員から入手されたものとのことである。私はこれを読んで、日本が韓国をホワイト国の適用から除外したのは当然の処置、或いはやむを得ないことで、何ら、非難されるべきことではないと知って安心したのだった。(もちろん、日本が理由もなく、何かの報復のようなことはしないと思っていた)

 

更に付け加えれば、この記事には、2017年5月の文在寅大統領就任前後で不正輸出発生件数を比較して、「就任前は年平均約18件だった不正輸出が、就任後には年平均約60件ペースに急増している。」と書かれている。

 

ああ、何をかいわんや、である。

政治に関心のない人たちにも、この事はぜひ知ってもらいたいと思って書かせてもらいました。

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御岳登山と人魂の話②

2019年08月06日 | 

 

翌朝も雨が降り続いていて、最近奥さんを亡くし、奥さんの名前を彫りつけた杖を持った、私と同年代の男とコーヒーを飲みながら雨が止むのを待っていた。すると10時頃、学生風の男3人が、小ぶりになったのを見て、小屋を出ていった。が、30分もすると、雨に濡れてまた小屋に戻ってきた。結構風が強いとのこと。

 

「コーヒーが1杯分しかないが、良かったら煎れるよ」というと、「はい、いただきます」というので、さっそく湯を沸かして煎れてやると、3人で回し飲みをしていた。そして、お返しに「味噌パン」を分けてくれたが、その味噌パンがとてもうまかった。聞けば、2人は大阪の芸大生で1人はそのOBとのことだつた。

コーヒーを飲み終わった頃、いよいよ天気も回復し始めたので、5人そろって小屋を出て、なんとなく5人が一緒になって、三の池、五の池と、池巡りをしながら最北端の継子岳まで足を延ばした。

学生たちは、上からかぶるだけの合羽を着ていて、まるでマカロニウエスタンを見るようで、吾々は「荒野の用心棒」気分だった。その彼らがときどき奇声を発して万歳をするので、いつの間にか中年2人もつられて万歳をする。そして万歳のたびごとに童心に帰っていくようだった。

 

三の池にある祠の前では、両の膝が大きく口のあいているジーパンをはいた芸大OB氏が、奉納のため「南京玉すだれ」と「皿回し」を披露。それを見ながら後の4人は、誰もいないのを好いことに、やんやの拍手大喝采。彼は始めから、奉納するつもりでその道具を持参していたのだった。

すっかり打ち解けた1行は、暗くなりかけた頃、ようやく登山口の標高1800mの濁河温泉(にごりご)に到着。
芸大OB氏が、自分は毎年夏になるとA旅館で泊まり込んでアルバイトをしている。今日は女将さんは留守で休業しているから、露天風呂もあるので入っていけと熱心にすすめてくれる。それで甘えることにし、温泉につかりながら星空を眺め、芸術談義に花を咲かせた。風呂からあがると、岩魚の御馳走まで用意してくれた。

すっかり夜もふけて、さて帰ろうとすると、今度はやもめ氏が、自分はここから近くの保養所の料理人をしているから、ぜひ泊って行ってくれと何度も熱心に勧めてくれた。が、私も少し疲れていて、家でぐっすり休みたかったので、名残を惜しみつつ別れた。奥さんを亡くして間がない彼は、ちょっと寂しかったのかと思うが、あとで、ちょっぴり後悔した。

家に帰って楽しい思い出の写真を焼き増しして、それぞれに、「お陰で楽しかった」という手紙を添えて送った。学生からはやはり「楽しかった」という返信があり、写真が趣味のやもめ氏からは、また、是非一緒に御岳山に登りたいという手紙と、たくさんのきれいな花の写真が送られてきた。その後何度か、手紙の往復があったが、残念ながら一緒に登る機会がないまま、だんだん疎遠になっていった。


あやしげな人魂様を見ることはできなかったが、しかし、1泊2日ながら、本当に心に残る楽しい山旅だった。

 

≪やもめ氏が送ってくれた写真で懐かしい1枚である  五ノ池で≫

 

これは何年か後、家内と登った時の写真で 三ノ池 (行者の白装束と真っ青な池とのコントラストが印象的だった。)


○宇宙のゲームに参加しているほかのプレーヤーがときどき、あなたといっしょになる。短い出会いであったり、ちょっとした通りがかりであったり、一時のチームメイトということもあれば、長年の知り合い、親戚、家族、・・・中略・・・そうした人たちの魂は、あなたが引き寄せているのだ。そして、あなたも彼らに引き寄せられている。 『神との対話』(ニール・土ナルド・ウォルシュ著)より

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御岳登山と人魂の話

2019年08月05日 | 

今からちょうど20年前のある夏の日、私は木曽の御岳山(3067m)に登った。この山に登るのはこの時が初めてだったが、ある目的があった。それは西丸震哉という人が書いた『山とお化けと自然界』という本の中に、御岳山の賽の河原で深夜無数の人魂を見たというのであった。そして、その人魂について詳しく書かれているのを読んで、大いに興味を持ち、幽霊は見たくないが、そんなこの世ならぬものがあるならぜひ見たいと云う訳であった。

 

山小屋につくと、山小屋の主人らしく思える初老の爺さんと客人が茶を飲みながら話をしていたので、わたしは宿泊の手続きももどかしく、早速尋ねた。

わたし:本の中に、賽ノ河原に無数の人魂のようなものが出るという話が出ていたが、本当ですか?
主 人:ああ、以前にも大学生が同じことを聞いてきたことがあったなあ。その大学生はテントで一晩泊って行ったが、見なかったそうだ。わしも昔はよく見たけど、ここ20年ばかり見たことないなあ。かなり前だがテレビの取材もあったよ。

 

賽ノ河原というのは、その小屋からは目と鼻の先であった。石がゴロゴロした台地に、積み石がニョキニョキと無数に積まれていて、人がいなければ、昼間でも薄気味悪いようなところだ。

そのニョキニョキした積み石のことを、御岳行者たちは「人間業でできることではない。人魂様が積んだものだ」と噂しているらしいが、西丸震哉は「それは笑止のいたり。我々の経験から割り出せば1日8時間、10人がかりでやって1週間ぐらいでできるだろう思う」と書いていた。

 

人魂様の仕業かどうかはともかく、西丸震哉が見た人魂とはどんなものか?
彼も、御岳行者から人魂様の話を聞いて、確かめにやってきたのだった。
以下、『山とお化けと自然界』からの抜粋だが、凡そこんなことが書かれている。

○寒さで目を覚ますと夜の11時。テントから這い出ると星は満点にぎらぎらまたたいて、お化けのような積み石群が黒々と立ち並び、生き物みたいに鬼気迫る感がある。風は強くなっていた。人魂様は風が強い日に出るらしい。

○やがて人魂様がお出ましになってきた。考えていたよりもかなり貧相な人魂で、光はひじょうに薄く、大きさはコブシ大程度、ただし数は相当なもので、何百あるか見当もつかない。

○補虫網をさっと振ると一匹たしかに入った。と、思ったら網の底から平気で抜けて行ってしまった。

○飯盒を取り出してきて、これで正面から飛んでくる奴の進路を阻んだ。驚いたことに奴は飯盒の底を平気で抜けて行った。まるで底が抜けているみたいで、一瞬も奴の邪魔をしなかったようだ。

○ヤケを起こして素手でたたきつけてみたら、手応えは全くないが、奴は手のひらを抜けそこなって景気よくはね返っていった。

○手でつかもうとしても、指の間が少しでもすいていれば、スーッと洩れてしまうのでまったく始末が悪い。

○捕まえるのは無理と分かって、しばらく見物しているとあわてんぼうの奴がぶつかってくるが、これもはね返ってしまう。どうやら生き物は通り抜けることができないで、はね返ってしまうらしい。

○テントの中で寝ていると、テントを抜けた奴が顔の上をツーと横切って反対側のテントの中へ吸い込まれて消える。テントの布から泡のように湧いて出てきてポンと飛び出し、消えるときは布に溶けていくようなもので、これが非常にスピーディーに行われるからとても面白い。

○人魂には自分の意思なんてないように見うけられる。追えば逃げる虫の方がよほど高等動物だ。

ざっとこんなふうですが、夜半目を覚ますと、残念ながら激しく雨が降り続いていて、外へ出ることできず、この世ならぬものも見ることができなかった。しかし、山小屋の主人が、以前にはよく見たと言うのだから、いたことは確かだろう。

ただ、貧弱な鈍い光というから、人魂ではなく、何かの動物の魂なのだろうかと想像するほかはない。そして、飯盒は簡単に通り抜けるが、人間や生き物の体は通り抜けることができず、跳ね返るというのだから、所謂この世的なものではないことは確かだろうと。開発が進んで、こういうものが見られなくなるのは、何だか寂しい気がする。  つづく

 

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今さらながら、気づかせてもらったこと

2019年08月01日 | 人生

昨日の名古屋の最高気温は36.8度。今日の予想最高気温は38度近くまで上がるらしい。
そして最低気温は28度との予報だった。

 

普段めったにはエアコンを使わないが、さすがに昨日は入浴後はできるだけ汗をかきたくないということで、夜の9時にエアコンをつけ、一晩中エアコンのお世話になった。ちなみに、昨日の日中の私の部屋の温度は34度。夜9時のエアコンをつける前の温度は32度だった。

 

私の小学生の頃の夏休み中の最高気温は32度が多かった。33度というのはあったかもしれないが私の記憶にはない。
そして、小学生以後は最高気温何度ということに自然と関心がなくなっていった。

 

そして、再び最高気温を意識するようになったのは、35度とか36度の日が何日か続いて、猛暑が騒がれた年だった。
私が40代前半の頃ではなかったかと思う。

 

その頃、暑さで食欲がないとこぼしたのだろうか。私が乗船中、家内が仏壇に私のための陰膳を供えてくれていたことを聞いた。
その陰膳の効果のほどは分からないが、それを聞いて、心強く、うれしく思ったのは間違いない。

 

思い出したが、最近、わたしは毎日の食事を作ることの大変さをある方のブログを読んで初めて知った。
それは、その方がブログの中で、仕事を終えて家に帰った後、家族が腹を減らして待っているのを感じながら、疲れた身体で急ぎ仕度することのプレッシャーや、手伝う気持ちもなくテーブルに座っている夫への不満などが書かれているのを読んだのだが、その時、私とその夫とが重なり、その夫の気持ちもわかる気がしたし、同時に、仕事をもちながら毎日、3度の食事を作ることの大変さも、初めて実感として伝わって来た。そして、自分もこのご主人と同じだったと大いに反省させられたのだった。

 

私は食事の用意をするのは家内の仕事だと、当たり前の如くに思っていて、「ご苦労様、ありがとう」というほどの気持ちは持ち合わせてはいなかった。

 

何が始まりだったかは覚えていないが、家内が、
「私だって働いている」と言ったとき、私は語気を強め、
「パートと一緒にするなっ」と怒ったのをよく覚えている。
そして、それも一度ではなく、3回ぐらいはあったと思う。

 

昨年、家内が入院したこともあって、少しは食事を作ってもらえることの有難さも分かっては来たが、それでも具体的にその大変さやご苦労に思いを馳せることはなかった。ブログを読ませていただいて、初めて作る人の気持ちになり、その大変さを肌で感じるように気づかせてもらうことができた。

 

そして、逆に、どうしてこんなことに今まで気づかなかったのかと思ったりもするが、これは多分、それだけ自分が自己中心的になっていた、あるいは「夫婦なんだから当たり前」という感覚に支配されていたせいかもしれない。
いずれにしても、未熟だったと大いに反省させられたことでした。

 

こうなると、夫婦は所詮他人なんだと思って、その他人様に世話していただいていると思った方がよいかもしれない。
そしてある認知症の奥さんが、世話してくれているご主人に、

 

「どなたか存じませんが、何の縁があって私にこんな親切をしてくれるのか・・・ありがとうございます」

 

と、言ったという、その言葉が、思い出されたことだった。

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