気の向くままに

山、花、人生を讃える

スター・デーリー(3)

2009年11月08日 | スター・デーリー

誰からもサジを投げられていたスター・デーリーは、キリストの愛(神の愛)によって、一瞬にして生まれ変わり、刑務所内でキリストの愛を伝える伝道者となりました。
(刑務所内での伝道の様子については『愛は刑よりも強し』に詳しい)

そして、最も重い20年の刑から模範囚として減刑され、6年あまりで刑務所の扉が開かれることになり、1930年にスター・デーリーは刑務所を出ました。刑務所を出てからは、生活のため10篇ほどの短編小説を書いたとのこと。お金を貯め、自分の生活を確保したうえで、神の道につくそうとスター・デーリーは考えていたそうです。

しかし、ある時、ある婦人の手伝いで、800キロも離れた山の上にある家まで、家具を運ぶ仕事をしていたときのこと、突然にタイヤが外れて車が道路から落ちるというアクシデントがありました。車から降り、転がってゆくタイヤをつかまえようと走ると、タイヤが壁に当たって止まった。そのタイヤをつかまえ、ふと、その壁を見ると、壁には
「お前は、今、ただちに神を求めよ!」と書いてあったそうです。
それを見たとき、「神にすべてをささげよう」と決意するのですが、とりあえず二人は(奥さんと)真剣に、「この仕事を無事に終わらせてください」と神に祈り、その仕事を終わらせることができました。しかし、終わった途端に4つのタイヤはみんなパンクしたそうです。

そういうことがあって、短編小説をやめ、「神のための本を書こう」と決意して書かれたのが『愛は刑務所の扉を開く』だそうです。

徳久先生が、
「金儲けのできる医者をやめて、生長の家へ入ったことをバカだという友人もいるが、私は絶対正しい道を歩んでいると信じ、生長の家に入らせて頂いたことを、心から喜んでいる」と語った時、デーリーは、

○自分も小説を書けば、金はいくらでも儲けることはできるが、それをやめて神の道へ入った。アメリカの大きい出版会社が2つも巨額の金を先払いするから小説を書かないか、という話をもってきたが断った。それは1932年だったが、自分としては一大決心だった。

と、語っています。

『愛は刑務所の扉を開く』は1934年に出版され、人々に大きな感動を与え、スター・デーリーはアメリカ中を講演してまわるようになりました。また講演だけではなく、大学からは「教授になってもらいたい」という誘いも、一つや二つではないとのこと。また、

○上院議員の牧師にきてくれという話もあった。アメリカの最も有名な、アブラハム・リンカーンの創立した教会の牧師であった。私はその教会のメンバーでもないのに、そのような申し込みを受けた。だから真理に立脚していれば、あらゆるものの扉は開かれる、ということを私は知った。

とも、語っています。
このように、「キリストの愛」によって救われたスター・デーリーですが、さらに自身の「神の道に生涯を捧げる」という一大決心が、彼自身の生涯に栄光をもたらし、また多くの人に感動と救いを与えることになりました。

≪余談≫
スター・デーリーの「一大決心」に至る経緯は、谷口雅春先生が「お金がたまってから」と考えておられたとき、「今立て!」との啓示を受けられた経緯とよく似ていると思いましたが、それと同時にその「一大決心」という言葉から、わたしは『神との対話』の中で語られていた、
「わたしからの啓示を受けながら、どんなに多くの人が沈黙してきたことか」
という一節を思い出しました。

谷口雅春先生も求道の末、最後に「物質はない!」から始まる啓示を受けられたわけですが、もし、世間からの批判を恐れたりして立ち上がられることがなかったら、「人間神の子」の教えに触れることもなかったわけで、それを思うと、単に「教え」の有難さばかりでなく、批判や中傷を恐れない、また面倒とも思わない、それにも勝る大きな愛や勇気があったればこそということを、あらためて感じさせられました。

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