気の向くままに

山、花、人生を讃える

今日の朝

2021年01月30日 | その他

今朝は氷点下となり少し冷え込み、カーテンを開けると庭はうっすらと雪化粧していました。

空は昨日とは打って変わって、明るく、美しい朝焼けの空。

東側のブラインドを開けると、いつもの如く朝の太陽が顔を出す直前でしたが、太陽が昇る位置からは垂直に光の柱が立っていました。初めて見る光景なので、早速カメラに収めたのが下の写真です。 (時間は7時)

ただ、写真ではよく見なければ気づかない位ですが、実物はもっとはっきり見えていました。

      

 

     お日様におっすとあいさつ冬の朝    

 

昨日描いた絵(模写)

    

 

○“わたし”はあなたである。“わたし”はあなたの存在の中核にあり、“あなた”のエッセンスである。それのみが本当に存在する“あなた”自身である。それが「一切衆生悉有仏性」の“仏性”である。“仏性”があなた自身の真実であり実相である。その“わたし”の生命のエッセンスにわたしは色々のアイディアの衣裳を着せて此の世に送り出すのである。このいろいろのアイディアの衣裳があなたの個性となっていて常に“あなた”と“他の人”とを識別する標識となっているのである。 

○“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、“わたし”はアイディアで賦彩(いろづけ)するのである。その賦彩(いろづけ)が“個性”としてあらわれるのである。それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな偏りもない、賦彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生まれる人間としては無くてはならぬ属性として賦彩されたものが個性である。それゆえに“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。表現されるためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異なるが“個”の中に“普遍者”があり、“普遍者”は共通であるから、その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。   
                                                                                                           (谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)

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原始への憧れ

2021年01月29日 | その他

昨日は1日中家に閉じこもり、1歩も外に出なかった。
部屋の中は13℃を切っていて少々寒かったが、我慢の大五郎。
You- Tubeで「早春譜」などの唱歌を聞きながら、優雅に絵の特訓。(大げさですが)

 

下の絵は北海道のどこかの春めいた頃の絵を模写したものです。
私にはちょっと難しそうに見えたけど、「良い景色だな」と思って挑戦してみました。

 

手前の青い色でくしゃくしゃとなっているのは「ヤマエンゴサク」という花が咲いている様子。
雪が降っているように見えるのは、原画はもっと小さい点の木漏れ日?なのに、無造作に描いたので雪のようになってしまいました。

     

 

北海道が出たのでついでに書かせて貰いますが、私が30代終わり頃のこと。
北海道に停泊中、20分程バスに乗って行くと、周囲にヨシの茂った少し大きな沼地があり、白鳥も来る沼地ですが、その沼地を前に立つと、原始の時代にいるような何とも言えない気持ちになります。

ある時、バスを降りて、そのお気に入りの場所に向かって歩いていくと、その路上の真ん中に何か花らしきものが見えました。近づくと、なんとリンドウが1輪咲いていたのでした。

この時、私は初めて花を見て感動しました。それはリンドウの花に感動したというより、園芸の鉢に植えられたリンドウしか見た事がなかったので、「えっ、リンドウって、こんな自然の中にも生えているんだ!」ということで、野生のリンドウに出会ったという事に驚き、しびれるような強い感動を感じたのでした。

 

後ほど、伊吹山でリンドウの咲いているのを見て、山では野生のリンドウが見られる事を知ったのですが、もう、平地で見られることはほとんどないのではと思う。
それにしても、人間は何で原始のような風景に出合うと感動するのでしょうね。

 

○あなたの肉体を、生きている姿で動かしているのは“わたし”である。“わたし”はあなたの心臓を鼓動させ、あなたの肺臓を呼吸させる。“わたし”があなたの肉体から去れば、どんなに肉体の機構が同じように健全な、故障のない相であっても、あなたの心臓の鼓動はとまり、あなたの肺臓の呼吸は止まる。あなただけではない、すべての生き物を生かしているのは“わたし”である。どんな微生物でもどんな巨大な動物でも、皆 “わたし”の生命が生かしているのである。 (谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)

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今朝の夢

2021年01月28日 | その他

朝方、夢を見た。

用があって道を歩いていると、この辺りでは見かけることのない路上販売が行われていた。
何が売られているかと覗くと、長細いテーブルの上に、お椀に入った雑煮と、それをスケッチ用紙に描いた絵が売られていた。

 

雑煮は湯気が立っていて、緑の野菜やかまぼこも入ってうまそうだった。
一方の絵は、その雑煮の入ったお椀と、それを持つ白い手が本物らしくさらっと描かれていた。

 

そして私はその絵が気に入り「欲しい」と思いながら見ていると、

テーブルの向こう側に腰かけていた店のおばさんが、「さあ、どちらがいいですか?」と聞く。

私は絵が欲しいと思って「絵はいくら?」と聞く。

すると、おばさんは「お雑煮は200円ですけど、絵は1万円です」という。

それで私は思い切って絵を買い、家に持ち帰り、机の上に置き、
「あの200円の本物の雑煮と、絵に描かれた餅とどこが違うのだろう」
と不思議に思いながら眺めている。その時、目覚ましで起こされたのだった。

おいしそうとは言え、いっぱい200円の日常的食物が、それをさらっと絵にすれば、1万円でも買いたくなるほど価値あるものに見えてくる。それが不思議なのである。

 

今日の朝、家内が「雨戸を開けたら、まだロウバイのいい臭いがぷ~んと匂ってくるよ」と言うので、どれどれと私も硝子戸を開けてみれば、やはりその微かな臭いが漂ってきた。今晩、夢の中で、満開のロウバイの絵を描くぞ!と思った。(笑)

 

○“わたし”は“あなた”の実相としてあなたの内に宿っている。そしてあなたの肉体を生かしている。肉体は自分で生きているように思っているけれども“わたし”があなたの肉体から去ったら、肉体は死んでしまう。あなたの肉体に生気を与えているのは“わたし”である。そしてあなたの“本当の自分”は此の“わたし”すなわち”神”なのである。  (谷口雅春著『神真理を告げ給う』より)

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今日も良き日

2021年01月27日 | その他

ふと見れば、生垣のツツジの陰で、例年なら3月中ごろから咲き始める椿が根元の方で一輪咲いていた。

  

 

それを見て思い出した句

      渡り鳥やっぱりはみ出す奴がいる

これは「お~いお茶」の募集に投稿された13歳の少年の句だが、渡り鳥はともかくとして、はみ出して早く咲いてくれれば、もう春が来たようにも感じられて嬉しいので歓迎である。

 

そう言えば、今日の最低気温は6℃、最高気温の予報は15℃とのことで、時ならぬこの暖かさ。
あんたもはみ出してますねえ。

 

今日は午後から散歩を兼ねて1500メート程先の市役所に出かけ、マイナンバー・カードの更新に行く予定。
先日、2500メートル先の歯医者まで歩いたが、マスクを忘れ、途中のドラッグストアーで買えて助かった。
ノー・マスクという「はみ出し」は歓迎されないから、忘れないようにしよう。

 

久しぶりに練習で描い絵 (絵と言えるかどうか別にして) 笑うより、恥ずかしさを知らない勇気に拍手を!(笑)

  

  

  今日も最高に良き日! 

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ヨコハマの思い出 ⑦

2021年01月26日 | その他

横浜での生活は楽しいことがいろいろあり、未練があったのですが、やはり、毎朝畳の上で瞑想し、仏前で先祖供養する日々を送りながら、一歩でも「人間・神の子」の信仰を深めたい、そんな気持ちがあったので、当初の予定通り60歳の迎えた時、あっさり退職させてもらいました。

 

今では畳の生活にすっかり慣れ、退職した当初のような感激はなくなりましたが、思い浮かべることはできるので、時々、そのありがたさを思い浮かべています。

 

また、家内は特別に料理が好きでも得意でもなく、ごく普通の主婦ですが、とにかく手料理を戴けるという事は実に有難いことだと思っています。

 

私は、費用はそれなりに要していても、「おいしいモノを」という気持ちの無い、ただ機械的に作られるだけのような味気ない料理を何年も頂いてきたので、気持ちがあるのと無いとの差、よくわかるのです。

 

それから、船に乗っている頃は、いくらヨコハマが良くても、やっぱり下船日が楽しみでした。
やはり仕事から解放されて自由になるのが嬉しかったのです。

 

それはともかく、退職してすでに11年が過ぎましたが、「退職したら・・・」と描いていた夢は、今じゃどこへやら。ここらでまた褌を締め直さなければ、などと思っている次第です。

 

というわけで、これで「ヨコハマの思い出」は終わります。

それにしても鴎さん、やっぱり懐かしいねえ。

  

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ヨコハマの思い出 ⑥

2021年01月25日 | その他

大桟橋を出て、山下公園を通り抜け、山手に向かって歩いて行くと、やがて山道のような細い坂道があり、それを登って行くとかつてのフランス領事館跡地に出る。そこにはスズカケノキの3兄弟が並んでいて、立ち止まって一息入れたくなる気持ちの良い小広場になっていた。下の写真はそのスズカケ3兄弟です。

 

鈴懸の木(スズカケノキ)はプラタナスともいわれ、剪定に強く、樹皮の斑紋が特徴的。またスモッグにも強いらしく、街路樹に使われる木としては世界で一番多い、と手元の本には書かれている。

 

 

そして、その小広場の隅にはこんな句碑もあった。

 

「えっ、白い巨船が来ると、なんで春も遠からじ、なの?」なんて、野暮な理屈は言いっこなし。
せっかくだから私も一つひねってみました。

       寂しさや見送る人なき冬波止場 

       出港を告げるドラの音春近し       う~ん、どれも安っぽくてすみません。

       春を待つ同じ心であなた待つ      はっはっは、誰も言ってくれませんよね~。

 

さて、笑っていただいた所で、話を元に。
この旧フランス館跡地を過ぎるとすぐ「港の見える丘公園」に出ます。ここもまた横浜の人気の名所でバラ園等、変化に富んだ庭になっていて、沢山の木々や花が季節ごとに目を楽しませてくれます。
その一画に旧イギリス西洋館があり、一部を利用してカフェーが営業されている。下の写真はそのカフェ・テラスで庭を眺めながら、コーヒーとショートケーキで寛いでいるところですが、平日の昼間にこんな所でくつろぐのは最高に気持ちの良い時間でした。

 

ここからもう少し歩けばすぐに外人墓地で、その近くにも旧西洋館を利用したカフェがあり、そこからの木々の眺めもとても良くて、お気に入りのカフェでしたが、その写真が失われてしまったのがとても残念です。

 

カフェで一番良く行ったのは、目の前に「横浜スタジアム」のあるスターバックスで、ここは大桟橋から近く、コーヒーも量が多くてうまかったし、少々高いが朝食代わりのパンもうまく、それに加えて、雀がなれなれしく人間様に近付いて来るのがとても可愛かったからである。どうですか、この無邪気なかわいい姿。

  道路で遊んでいた雀が、椅子の背もたれに並んだところ。まずはここで様子をうかがう。

  

 この人間は大丈夫かと用心しながら、少しづつ近づいてきます。

 

 相棒がさし出すパンにさらに近づいてくるところ。かわいいですねえ。

 

     我が心分かってくれるは雀だけ   

ということで、

今日も生涯で一番幸せな日、ありがとうございます。

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ヨコハマの思い出 ⑤

2021年01月23日 | その他

山下公園では春から秋にかけて色々な催しが有り楽しませてくれましたが、それとは別に、私は公園内に植えられている木々をデジカメに撮り、図鑑と照らし合わせて、木の名前を調べるのが楽しみでした。退職する1年ぐらい前から順次名札が付けられるようになったが、その前は何もなかったので、調べる楽しみが有って良かったと思う。そして、昔のフィルムカメラならそんなことはできないのだが、デジカメのおかげだ。

 

デジカメは仕事の面でもとても重宝だった。機械内部の細かい所を解放した時にデジカメで撮っておけば、いつでもパソコンで見ることができるのだから、こんな便利なものはなく、大変ありがたかったわけです。

 

ところで、木の名前をいちいち調べようと思ったのには、こんなきっかけがありました。
それはある名前を知らない木を見上げていた時、風が吹いて大きな葉が揺れた拍子に、隠れていた花らしきモノがちらりと見え、持っていた双眼鏡で覗きこむと、その花が超どアップで見えた。しかも今まで見た事もない形の花だったのでびっくりし、その木の名前をどうしても知りたくなった。家に帰れば図鑑はあったが、それまで待ち切れず、また高い図鑑を買い、ドキドキ、ワクワクしながら調べ、それがトチノキとわかったのでした(フランスではマロニエともいう)。

 

この時はまだ花は2つしか咲いてなかったが、別の本には、イギリスではチェスナット・サンデー(トチノキの日曜日)と言い、日本のお花見のように楽しむ、と書かれていたので、GW開けに再びこの木を見に行くと、写真のように満開になって沢山の花をつけていたのでした。
この様なわけで、仕事はそっちのけ、ドキドキ、ワクワクで、熱心に他の木も調べ始めたのでした。

 

トチノキの花。西洋トチノキをフランスではマロニエと言うが、トチノキもほとんど違いはないようだ。

 

 

満開のトチノキ。
これを見上げていると、花の一つ一つが白い衣を着たキリストにも見えたし、沢山の妖精がいるようにも見えたが、今見てもやはりそんな感じがするが、皆さんにはそんなふうに見えませんか。

 

 

次は銀杏の花。
雌花か雄花かは忘れましたが、普通高い所に咲くのでめったに見られないが、これは人道橋から撮ったもの。

 

 

最後は、ホテルから見た「港未来21」方面。
写真の中央の下よりに水路に挟まれた細い道が通っていますが、ここには水路に面し、所々にベンチが設けられているので、夜は特にロマンチックでカップルの名所になります。私はこの道を歩くのが何となく気持ち良くて好きでした。昔はここを鉄道が走っていたそうで、その遺構だとか。

 

 

 

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ヨコハマの思い出 ④

2021年01月22日 | その他

船の勤めは、起きたらそこが職場みたいなものだから、車のラッシュも、満員電車も関係なしで、非常に時間の節約だった。そして、いつでも花の独身気分。いや、これは冗談だが。

 

そしてこのレストラン船でさらに良かったのは、船員なら誰でも憧れる日本一の客船桟橋がホームポートだったこと。
こんなリッチで贅沢なことはなかったし、さらに横浜のステキな観光名所が目と鼻の先なので文句のつけようがないくらい。およそ船が係留する多くの場所は都心から離れた郊外だから、それと比べれば雲泥の差。

 

山下公園も、港未来21(通称MM21)も自宅の庭のようなもの。
遅番の時は10時半に仕事に出れば良かったので、「山下公園」から「海の見える丘公園」までのんびり散歩でき、また早番の時は、夜9時に終了するから、MM21方面にウオーキングに出かけ、いつもリッチで良い気分を味わうことができた。
ということで、今回は山下公園を散歩中に撮った写真です。

 

山下公園での写生大会 (2008.4.22)

 

 

山下公園の園芸関係の業者たちによる展示会 (2008.4.17) 海側に沿ってこの様な沢山の花壇が展示される。

 

 

ドラゴンレース (2008.6.1)  横浜近辺在住のわが母校の同窓チームも参加していた。

 

 

最後に私の好きな一節ですが、私はこういう文章に接すると得したような嬉しい気分になります。
中には私と同じような感想を持たれる方も居られると思うので、紹介させて貰います。

○作家の想念、音楽家の情感、美術家の構想、そういうものが若しないとしたならば、それがただ唯物論的機械的産物であるならば、心というものが其の背後にないならば、それは何の意義もないものだと言わなければならない。要するに意義というものは心的なものであり、機械的偶然には意義がないのである。吾々が小説や、劇作や、音楽や、美術や、その他いろいろの芸術品を味わうのは、その内部にある心的なるものを味わうのであって、芸術がただ、物質的音響や、色彩の偶然の集合であるならば、味わうところの何物もないのである。味覚でさえも食品を調理する人の人格の味わいが附加されるのであって、同じ米でさえも炊く人によって其の味わいが異なる。
 画家が自然を見てその意義を表現する場合、彼が自然に内在する意義を捕捉することが出来るのは、自然そのものの中に意義(即ち心的なるもの)があるからである。自然も決して機械的偶然の物質集合体ではないのである。以下略
                                                      (谷口雅春著『英智の断片』より)

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ヨコハマの思い出 ③

2021年01月21日 | その他

私の使っていたパソコンが不調となり、昨日修理に出し、今は家内のものを借りてこれを書いています。
バックライト機能の不調と思いますが、画面がほとんど見えず、LEDライトを画面に近づけて、ほんのかすかに見える程度でマウス・ポインターを合わせてシャット・ダウンするのも一苦労です。

 

購入して4年半ですが、幸い、1年+4年の長期保証に入っていて、まだ保証期間内なので、その点は良かったのですが、修理に3週間みて下さいとのことでした。データーは1年前の分まではメモリーに保存済みでしたが、この1年間のものは失われることになるかも…。

 

そういうわけで、家内のパソコンは私には不慣れで、新規投稿はパソコンが戻るまで中断させて貰います。その代わりというわけではないですが、横浜で働いていたころに生長の家の掲示板に投稿した記事があったので、それを少し修正してアップさせてもらいますので、これも「横浜の思い出」の一つとして読んでいただければ嬉しいです。

 

『青春まっただ中の彼』

彼の年齢は23歳。身長はたぶん160センチに届かないぐらい。
下船中の彼は、両親と一緒でなく、彼の職場の近くのおばあちゃんの家に居候しています。
彼はいインド人のように顔が黒いので、真っ白な歯が引き立ち、ひときわ印象的です。

彼は水産高校出身で私が入社したすぐ後に、甲板部から機関部へ変わってきました。
機関部の方が面白そうだというので、自ら志願したそうです。
ところが、その機関部には軍隊でいう正真正銘優秀な鬼軍曹がいました。
その鬼軍曹に仕事がのろいのでよく怒られていました。
しかし、彼は嫌な顔一つ見せず、「はい、はい」と返事をし、素直に応じていました。
けっして右から左へと受け流しているのではなく、ただ足手まといになって申し訳ないと思っているようでした。
また、仕事以外で嫌みを言われたときも、黙って耐えている彼でした。

彼は才能という面からは技術者向きではありませんが、よく勉強し、よくメモを取ります。
また、彼の休憩時間の時でも、自分から進んで仕事を手伝ってくれたりもしました。
汚れ仕事も嫌がるどころか、下っ端の自分がやらなければという気持ちらしく、進んで一生懸命やってくれます。
だから、作業服はいつも汚れています。
近頃は鬼軍曹も言わなくなりましたが、はじめの頃は彼を「汚れ」と呼んでいたほどでした。
支給された作業服は彼には大きくて、足がだぶついているのですが、それを気にする様子もなく、新入学の1年生見たいで、なんとも微笑ましいのです。


また彼の頭はいつもヘンチクリンでおかしい。
「散髪に行ったのか?」と聞くと、「はい、ちゃんと行きました」という。
よく聞くと、友達が東京で理容師見習いをしているので、その友達に散髪してもらうとのこと。
「料金はいくらか?」と聞けば、当たり前の料金とのこと。
それで、わたしは「お前、馬鹿か」という顔をしながら、内心では友達を思う気持ちに感心させられています。

彼は人気者で、客室業務の女性からよく話しかけられているのですが、聞こえないぐらいのしどろもどろの返事をしています。それで私は歯がゆくなって、後から「せっかく話しかけられているのに、ちゃんと返事をしてやらんか。あんなぼそぼそでは何にも聞こえんぞ」と、怒ってやります。

そんなふうに、彼はとても優しくて女性にウブすぎるぐらい純情なので、ひとつ恋愛のコーチをしてやろうと思い、「今まで好きになった女がいるだろう?はっきりと好きだと言ったことがあるのか?」と聞きました。すると彼は、高校3年生の時の同級生だそうですが、こんな話をしてくれました。


偶然にコンビニで出会ったので、ドキドキして、思っていることと違ったことを言ってしまったんですが、「電話番号を教えてください」と言ったんです。そしたら、「あなたのことはまだよく知らないから」と断られました、とのこと。
それで、「それでおしまい?」と、聞くと、
卒業間際、もう一度「ダメならダメとはっきり言ってください。そうすれば僕もあきらめがつきますから」と言ったとのこと。
そんなことで、彼は失恋に終わったのですが、しかし、私はこの話を聞いたとき、一瞬、何とも言えない爽やかな気持ちに包まれました。多分、そのまっすぐさに感動したのでしょうが、よくわかりません。

また、彼はこんな話をしてくれたことがありました。
20歳の時、初めての国外旅行を一人でトルコへ行き、しかもツアーではなく、まったくフリーの旅をしたそうです。
そして、静かな夜の通りを1人で歩いているとき、3人組の強盗に襲われ、やむなく財布を渡したのですが、その強盗が財布を奪い、走って逃げ始めた時、全部持って行かれたんでは大変だというので、思わず「待てぇー」と追いかけたとのこと。
すると、その強盗たち、走りながらいくらかの金を投げてよこしたという話でした。
ちなみに彼は高校時代サッカー部で、全国大会に出るほどの強豪校。ただし、彼は身長が低いせいか二軍戦士。
しかし、練習の厳しさは一軍も二軍も変わらないはず。

彼の趣味はスキューバーダイビング。そして、スカイダイビングも今年の春に挑戦しました。
また、1人屋久島へ縄文杉にも逢いに行った素晴らしい勇者です。

極めつけは、彼はけっして食べ物を残して捨てたりしないこと。すべて、きれいに平らげます。
船内の食事で、一つも残さずに食べるというような人は見たことがありません。
家でも、おばあちゃんが時々腐りかけのものを出したりするそうで、嫌だなあと思いながらも、悪い気がして、捨てずに食べてしまうそうです。

彼はまた人の話にもとてもよく耳を傾けてくれます。
幕末から大戦までの歴史の話をした時には、興味深々で聴いてくれて、こちらの方が癒されるようでした。


「わたしがあなたのもとに贈るのは天使のみ(「神との対話」)」と神は言われる。
彼こそは、まさに私に贈られた天使。そんな気がしてなりません。

以上が12年ほど前の彼ですが、今は結婚し、2人の子供もいます。
「結婚しました」という年賀状の写真を見たとき、「おお、似合いの夫婦で、さすが!」と感心した事でした。
ただ、「お似合い」とは言っても、彼の黒い顔から言えば、とてもお似合いとはいえませんのでその点は誤解なきよう。

またまた長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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ヨコハマの思い出 ②

2021年01月19日 | その他

以前にも書いたが、私には長年あこがれていた生活があった。それは毎朝、静かな部屋の畳の上で瞑想し、また先祖供養として、仏前でお経と同じ意味を現代語で書いた真理の言葉を読むことだった。私は意志が弱くて、船に乗っているとなかなか思うようには瞑想できなかったし、先祖供養も出来なかったからだ。

 

それで30年勤めた会社をちょっとしたことがきっかけでやめたくなった。とは言っても生活もあるから簡単にはやめられないし、かといって、いったん辞めたくなるとその気持ちを覆すのも難しい。それで心の中の葛藤が続いたが、最後は辞める方に決断した。「お前は辞めたいくせに、生活が心配だからやめられんでは、いかにも情けないではないか」という気持ちが勝ったのだった。

 

そして退職後はのんびりさせてもらったが、失業手当もあと1ヶ月というとき、そろそろ祈ろうかということで、神様宛てに退職した経緯と再就職のお願いの手紙を書き、それを神棚に供え、そして朝の瞑想を終わる前には、「再就職したいのですが、どんな会社がよいのか自分には見当もつきません。しかし神様ならご存じのはずですから、どうぞ私に相応しい仕事が与えられますようお導き下さい」というようなことを祈った。これからも毎日祈るつもりだった。

 

すると驚いたことに、すぐその翌日、或る会社から電話がかかってきた。電話の主は依然同じ職場にいた先輩で、今はその会社で重役をしているとのこと。そして、曰く、

「機関長に突然辞められて困っている。それで助っ人を頼もうと〇〇会社に電話したら、あんたが退職したという話を聞いたので、さっそく電話をさせてもらった。 助けると思ってぜひうちに来てもらいたい」とのことだった。(私の場合は退職の3ヶ月前に退職願を出していた。規則上は1ヶ月前)

 

私はこの、祈るのを待っていたかのようなタイミングに、電話の声をききながら、電話の向こうに神様がいて、その神様の話を聞いている様な気分になっていた。そしてその神様にきいてもらうような気持で言った。「とても、ありがたいお話ですが、私はもう船に乗らないつもりでいました。それで、折角のお誘いで申し訳ないですが、少し考えさせてもらいたいんですが」と。そして「よい返事を待っている」ということでいったん電話は切られた。

  

私は、神様がさっそく祈りにこたえて下さったと有頂天になりながら、一方では、「しかしこれは困ったぞ。どうしたものか」と思い、また一方では、「これが神さまのお薦めなら考えるまでもないか」という気持ちもあった。

 

そして、電話が来るのは2,3日後と思っていたのに、次の日、すぐに電話があり、「考えても仕方がない」と観念し、喜んで承諾した。そして、写真の大型客船の間に挟まれて小さく写っている可愛らしい白い船で働かせてもらうことになったのでした。

 

この船は私が小学校に入学する頃に建造された船で、私が小学6年の時、6歳上の兄が高校の修学旅行で大阪から九州へ向かう時に乗った、当時としては18ノットで瀬戸内海を走る3000トンの花形船でした。そして小学生の私はその写真を見ながら、「自分もこんな船に乗ってみたい」と思ったことを覚えている。

 

とはいっても、この時にはもう建造後50年も経つ老朽船でした。居住区や客室は改造されているものの、船を動かすエンジンはほぼ建造時のまま。今の高度に自動化された船と違って、何もかも手動での操作が必要だった。が、慣れればまたそれだけ味わいもあるというもので、最後をこのような船に乗れたことをとても良かったと思っている。そして与えられた部屋は、以前はVIP.ルームとして使われていた分厚い絨毯が敷かれていて、応接セットまでそろっているという快適さで、畳ではないが毎朝の瞑想もしやすかったのである。

 

写真に写っているように、何万トンという大型客船に囲まれると、まるでミニチュアの如き小ささだが、しかし、まあ、なんと可愛らしいこと。よくぞ今日まで生きて伸びて来たと思うのである。

 

こうして、かつての高速船も、今はスローライフで、「トコトン、トコトン」とエンジンを回し、のんびり湾内を周遊し、ランチやディナーを楽しんでもらうレストラン船になっている。また手品などの催事も行われているのだが、今はコロナ禍でどうなっていることか・・・嗚呼。

ついつい、長くなってしまいましたが、お忙しい中、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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ヨコハマの思い出①

2021年01月18日 | その他

先日、現物を見たいと思う本があって、久しぶりに本屋さんに行ったが、目的の本はなかった。それで折角来たのだからと月刊雑誌を見ていたら、昔、買っていた「一枚の絵」という雑誌が目に入り、「いいなあ」と思いながら絵を見ていた。そして久しぶりに買おうかと思ったが、「いや、待てよ。今はいいと思っても、結局大して見やしない」と考え直し、買わなかった。

家には絵の展覧会の時に買った画集が結構あるが、それらは買った直後に少し見たぐらいで、あとはまず開かれたことがないから、いまこれを買う900円を惜しんだとしても無理はない。

 

その買わなかった反動のせいか、家に帰って、無性に絵が見たくなり本棚を覗くと「一枚の絵」の別冊特集版「港 ヨコハマ」という画集が目に入った。裏表紙には1989年4月20日発行とあるから、30年前、40歳の時に買ったものということになる。

 

私は横浜には割と縁があり、多感な19歳の半年間、横浜の造船所で実修したのだが、どこの造船所で実修するかは希望することができ、私は何となく横浜がいいと思って選んだのだった。そして、現役最後の3年間もまた横浜の会社に在籍した。

 

そう言えば、横浜では絵を描いている人をよく見かけたが、それが又風景に溶け込んでいて、それがまた、絵になっていたような気がするが、そこがまた横浜の雰囲気というものかもしれない。

 

まあ、そんなこともあって「ヨコハマ」が懐かしくなり、アルバムを広げた。といっても、その頃使っていたパソコンが突然壊れたため、今残っているのは、最後の1年の間に撮ったものしか残っていない。その中から「思い出の写真」ということで、懐かしいままにいくつかを選んでアップすることにした。見て頂ければ幸いです。

 

始めは、「港の見える丘公園」から見た「大桟橋」を撮ったもの。大さん橋の向こう側には日本の大型客船「飛鳥2 (4万トン位)」、そして手前に、白い可愛らしい3千トンのレストラン船がならんでいる。さらに一番手前には有名な氷川丸が写っています。


山下公園の「カモメの水兵さん、ならんだ水兵さん」たち。

 

「少女とカモメと白い船」

 

カモメさんのカップル。只今デート中。
しつこく撮っていたら、 「写真を撮っているそこの君、羨ましそうにみるんじゃないのっ!」と叱られた。(笑)

 

「横浜港から見た富士山」 その1

 

その2  ベイブリッジと富士山

 

その3    ランドマークと富士山

 

その4   横浜夕景と富士山

 

思い出にお付き合いいただき、ありがとうございました。 

 

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ウイルス感染の原因について

2021年01月10日 | 社会

新型コロナウイルスの感染がここにきて急速に広がり始め、私たち人類を不安に陥れていますが、1月9日時点での新型コロナによる世界の死亡者数は190万を超えたとのこと。間もなく、200万人を超えそうな勢いです。

 

このへんで、新型コロナを含むウイルスの感染のそもそもの原因はどこにあるのか、もう一度識者たちの声を聞くのも無駄ではないと思い、過去記事からピックアップさせてもらったので、読んでいただければ幸いです。

 

始めに紹介するのは、BS1でスペシャル番組として放送された「ウイルスVS人類~未知なる敵と闘うために~」という番組からですが、そのナレーションでは次のように述べていた。

 

≪ナレーション≫

○未知のウイルスと戦う人類、そのリスクを高めているのが人類が排出する二酸化炭素による地球温暖化である。2015年、シベリアの永久凍土でフランス国立科学研究所などのチームが3万年前の地層からモリウイルスという新種のウイルスを発見した。温暖化によって永久凍土が解けた場所で見つけたモリウイルスは極めて増殖能力が高い全く未知のものだ。

 

○リスクは森林にも拡がっている。1998年、マレーシアでニパウイルスと呼ばれる、それまで全く知られていなかった病原体が人に感染し、100人以上の死者が出た。ニパウイルスはオオコウモリから発見された。マレーシアでは養豚業が盛んになるにつれ、森林が伐採され、大規模な養豚場がつくられるようになった。その結果、今までジャングルに潜んでいたウイルスが豚を介して人へと感染したとみられる。
 温暖化はウイルスの拡散を加速させる。その一つがジカウイルスの感染症、ジカ熱です。妊婦に感染すると胎児の発育に影響し、脳が未発達のまま生まれることがある。従来、ジカウイルスの感染は赤道付近の熱帯地域に限られていたが、温暖化の影響で媒介する蚊の生息域が拡大し、今や日本での感染も危惧されています。

 

そして、その番組に出演していた国立環境研究所の五箇公一さんは次のように述べている。

○気候変動を引き起こしたのは、経済格差を埋めようとする工業の発展が、途上国で、かつての先進国以上に速い速度で起きている。.【中略】 開発と森林伐採という破壊、それが急速に進む中では、そこに閉じ込められていたウイルスたちが、まさに人間という新しい住処を得て、それが今、北と南がつながることで北の人口密集地に入り込むという図式が、1980年以降からずーと続いているわけですよね。
気候変動を起している開発とグローバル化に、実は今このウイルスが便乗しているという状況がある。
南の人たちが森林を伐採しなくてもいいようにするにはどうしたらいいかというのが、大きな課題なんだが、未だそのゴールには到底たどり着かない。そのしっぺ返しとして、感染症の問題も起こっているのだと思う。

 

次は、.チンパンジーの研究で有名といわれるオーストラリアのジェーン・グドオール博士が、同国のABCテレビのインタビューに答えたもので、次のように語っている。

○今回の新型コロナウイルスによる大規模な感染症拡大は、「人間の地球規模の自然と動物軽視」が原因である。つまり、ウイルスが動物から人間に感染する原因の一つは、動物の生息地の減少と大規模農法にともなう森林伐採が原因となり、動物同士の、また動物と人間との接触が深まり、異種間での感染に結びついている。

 

また、同じくオーストラリアのチャールズ・スタート大学の生物学者、アンドリュー・ピーターズ博士は、今回のコロナウイルス感染症のほかにも、同国ではいくつかの感染症の危険が拡がっていると指摘し、その一つであるヘンドラウイルスによる感染症について、次のように語っている。

○このウイルスはコウモリから人と馬に感染して宿主を死に至らせるものだが、オーストラリアの海岸地域から森林が失われ、冬場のコウモリの生息地が減少していることが原因である。

 

また、アメリカのある科学者は感染症が人間へと感染する経路について、次の3つの経路を挙げている。

一つは、野生動物の肉を食べること。
一つは、感染動物が食べた果実や野菜を食べること。つまりネズミやコウモリが食べた後の、まだ尿とかがついているようなものを人間が食したとき。
一つは、ジャングルに近接した農場、つまりジャングルを切り開いて家畜の牧場にした場合など、野生動物から家畜、そして人間へと感染する経路。

 

このように、拡大する肉食の需要にこたえるために、森林を伐採しながら、野生動物の生息域の中に人間が入り込んでいることが原因として挙げられていて、ウイルス感染症は、いかにも人類が災難に遭っているように見えるが、実は動物の肉を食すところの人類こそが此の災難の原因者ということを知らなければならないのではないだろうか。

 

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ロウバイとの出会い

2021年01月08日 | 

数年に一度の寒波らしい。が、予想最高気温2度というのは記憶になく、実際に13時現在の気温は2度である。

 

しかし、気温は低くても、庭には明るいお天道様の光がさし、庭のロウバイが例年より早く咲き始めている。ひょっとしてロウバイは寒いのが好きなのだろうかと思うのだが、そう考えれば、最も寒い時期に咲き始めるというのも頷ける気がする。となれば、まさに人生いろいろ、木もいろいろ、である。ともかく花のない時期に咲いてくれるのだから、こんな嬉しい花はないと思う。

 

ところで、このロウバイという花を私が知ることになったのには、こんなきっかけがあった。
それは伊吹山登山中のこと、私が何かの花を見ているとき、ある女性が話しかけてきた。その女性は鎌倉から来たという私より少し年配らしき女で、花の勉強をしているグループのインストラクターをしているとのことだった。それで花に詳しく、そんな人が傍にいれば、私にとってもいろいろ教えてもらえて有難いので、なんとなく最後まで同行することになった。

 

そして下山したとき、私は車だったのだが、彼女は最寄りのJR 駅までバスということだったので、バス停まで送った。すると田舎のことだから次のバスまでかなりの時間があり、それで喫茶店に案内し、そこでコーヒーを飲みながらバスの時間までお付き合いした。

 

そのお礼ということらしく、後で手紙とともに植物の絶滅危惧種の一覧を印刷したしたものが送られてきて、その中には、彼女が月刊誌に投稿して掲載されたというエッセイも入っていて、そのエッセイがロウバイに関するものだった。

 

その内容は、もう細かいことは忘れたが、電車に乗っている時、窓から黄色い花がちらほら見えて、隣の男性が、あの黄色い花は何でしょうかねえと聞いて来た。それで彼女が、「あれはロウバイという花で、年の初めにいち早く咲く花なんてすよ」というようなことを教える、まあ、そんな内容のものだったが、車窓から見える冬枯れの景色の中に春を待つ感じがよく出ていて、それこそ匂いまで漂ってくるようだった。それで、ロウバイとはどんな花だろうかと大変興味を覚えた、というのが最初の出会いでした。

 

それで、咲いているロウバイを実際に最初に見たのは名古屋の東山植物園だが、その時、やはり春がいっそう待ち遠しく感じられたのだった

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聞いて嬉しくなる話

2021年01月06日 | 人生

去年の暮れ、生長の家の研修会で発表する機会を得たが、私の前に発表したAさんの話が良かったので、その話を紹介させてもらいます。

 

Aさんは「人間神の子といっても、いろいろ問題が起きて来ますとね、どうしても神の子を忘れる時がありますね」と言って、つい最近にあったという次のような話をされた。(以下は凡そのあらすじです)

 

彼女の娘さんは体調がすぐれず、自分に自信が持てないらしく悩んでいたので、Aさんは日頃から生長の家の教えを知らせてあげたいと思っていたので、生長の家の練成道場の研修生になることを薦めた。すると娘さんは切羽詰まっていたのか、「行くよ」と、素直に応じてくれて研修生となった。

 

ところが2ヶ月半の研修予定も残す所10日となったとき、一向に変化がないことにいら立ち、焦りを感じた娘さんから、研修生になることを薦めたお母さんを電話で非難し責めてきたとのこと。
しかし、次の日の夜にまた前日とは打って変わった様子で電話があり、その時のことをAさんは次のようにお話しされた。

 

○その時、娘は「おかあさ~ん、生んでくれてありがとうね~」と言ってくれたんです。「どうしたのかな」と思っていると、「お母さん、やっとわかった!やっとわかったんだよ~」と言ってくれたんです。それで30分ぐらい泣きながらお互いに心の底から話が出来まして、その時に、娘も本当に神の子なんだと気づかせてもらうことが出来ました。

 

とこのように話され、それからしばらくして娘さんは研修から帰ってきて、次のように話したという。

 

○「自分が信じられず、マイナスの感情に捉えられ希望が持てなかったが、真理の言葉を繰り返しているうちに自分の中に強い気持ちが湧いて来て、やっと人間は「神の子」ということが信じられるようになった」とのこと。

 

そして、今は毎日「ありがとうございます」という言葉を何回も繰り返し唱えているという話であった。すると、他の家族にもその言葉が伝播して孫まで「ありがとうございます」というようになり、お父さんも、「御飯ですよ」と呼びかけると、「ありがとうございます」との返事が返って来るようになったとのことだった。

 

そして、「このように一条の光が射せば、すべての暗闇が消えて明るくなる」という話をされたのでした。

 

わたしも堕落して立ち直れずにもがいていた時があり、生長の家の「人間神の子」の教えに触れて感動し、立ち直れた一人なので、このような話を聞いて、また感動がよみがえり自分のことのように嬉しくなったのでした。

 

そして、70歳を超えた今も、次のような文章に接するたび、気持ちがうれしくなり、また鼓舞されたりで、
明るく前向きな思想に出会えたことを有難く思っている次第です。

 

○高き理想、気高き感情をつねにもつことは若さをいつまでも保つ上に異常の効果があるのである。心が常に向上精神に燃え、いっそう高きもの、いっそう清きもの、いっそう天的なものに憧れるかぎり、その人の心は老いず、その人の心が老いないかぎり、その人の肉体は老いないのである。

 

○人間はそのまま神の子であり、仏である。魂を磨くと磨かぬとにはかかわらないのである。
しかしそれを磨くのは、その神の子、仏性を人生に実現するためである。
本来神の子であるから、神の子らしく実現したとき喜びを感ずるのである。
                 
                             (谷口雅春著『生命の実相』より).

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謹賀新年

2021年01月04日 | その他

新年明けましておめでとうございます。

記事の更新が昨年末から滞ったままでしたが、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

今年は例年になく寒い正月となりました。

しかし、寒いほど身が引き締まる感じがして、それもまた吉(よし)、ですね。

 

私の年末年始は、それとは裏腹にのんびりとテレビ三昧でした。
番組表を見て一番楽しみにしていたのは、映画「柘榴坂(ざくろざか)の仇討ち」でした。
これは私の評価では、時代劇の最高傑作といえる作品で、以前に途中までは見ていましたが、録画に失敗して最後が見られずにいたもので、今回ようやく最後まで見ることが出来たのでした。

 

次は、全然期待していなかったのに、思いがけず良かった民放の再放送で、「伴走者」と云うスペシャルドラマ。これも大変見応えのある名作ドラマでした。ある日突然失明したサッカーの一流選手と、駅伝で選手に選ばれなかったランナーとがタッグを組み、パラリンピック代表を決めるというマラソンに出場し、優勝を目指すというもの。しかし、実は勝負に勝つのが目的ではなかったことが最後になって判明するという、隠された人間ドラマがあったのでした。

 

そして、もう一つは「ごくせん」という番組で、これは、どうにもならない不良生徒たちと仲間由紀恵が扮する臨時教師との、全10回の学園物語。コミックが原作で、まるで漫画なのだが、それでも70歳を超えるおじいちゃんが年を忘れ、高校時代に引き戻され、そして毎回、涙を流してしまうという、あつ~い青春物語でした。そんなわけで、若返りの特効薬ということで、ブルーレイに永久保存しました。

 

え~、というわけで、どうでもよい話でしたが、何はともあれ、お互いにお変わりなく、

良い正月を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。

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