毎年、夏になると水難事故が多く発生するが、わたしも一度姉とともにおぼれかけたことがある。
それはわたしがまだ泳げないときだったので、小学校入学前ぐらいのことだと思う。
4つ年上の姉と二人で木曽川の浅いところで遊んでいた。その浅いところで遊びながら、その浅いすぐそばに深いところがあることは二人とも気づいていた。が、姉が冒険心を起こしたのか、その深い方へ行くといってその深い方へ向かった。わたしは子供ながらにびっくりして「そっちは深いから危ないぞ」と姉を静止しながら、姉の後を追ったが、姉は「大丈夫、大丈夫」と言いながらその深みに入って行った。
ところがそこはすり鉢状になっていて、あっという間にその深みにはまってしまった。気付いたときにはもう引き返そうにも引き返せない。姉はパニックになってあっという間に手足をバタバタさせていた。しかし、後を追ったわたしもすでに深みにはまりかけていた。が、何故か私は冷静で深みにはまりながら、沈んではつま先立ちで足をつんつんさせながら、必死で足の立つ所まで引き返すことができた。そして姉をふりかえると、姉は水の上に浮かんではいたが顔を水面につけたまま、手足をばたつかせることもなくじっとしていた。わたしは「おぼれている」と思いながら、離れたところにいるはずの母親を呼ぶということにも気が付かず、ただ呆然と見ているだけだった。
するとその時、突然に「それは泳いでいるのか、おぼれているのか?」という大きな声が聞こえた。
声の方を見ると、堤防に工事人ふうの大人が一人立っていて、わたしは「おぼれている」と答えると、その大人は一気に堤防を駆け下りてきて、そのまま水に飛び込み、姉を助けてくれたのだった。
大人は「お母さんはどこにいる?」と聞いたので「あっちにいる」とわたしが答えると、お母さんに話して医者に診てもらった方がいい」といって、そのままその大人は立ち去っていった。
その後、わたしは母に話したことまでは覚えているが、姉が医者に診てもらったかどうかは覚えていない。多分診てもらったことはまちがいないと思うが、とにかく助けられて砂場に引き上げられた時には、姉は意識もあって、少し水を飲んだぐらいの程度だったと記憶している。
おふくろは、「助けてくれた人はどんな人だった?」と聞いたが、それに対して私がどう答えたかは覚えていない。その時の光景は鮮やかに記憶に残っているので、今でこそ日焼けした、白いシャツ姿の工事人ふうの男と答えられるが、その頃のわたしにはそんなふうに答えられるわけがない。
しかし、思い出すと、見事な助けぶりだったと感動する。何よりも堤防の上からよく気がついてくれたものだと思い、今さらながら、感謝せずにはいられない。
母の実家は木曽川の近くにあり、毎年夏になると木曽川で泳ぐのが楽しみだった。
小学校5,6年の頃には、泳ぎもずいぶん達者になっていて、母の実家の従兄と、その友達と総勢5,6人で誰が言い出したのか、ともかく木曽川を向こう岸まで泳いで渡ろうということになった。
わたしより一つ上の従兄は、私を心配して「大丈夫か」と聞くので、「大丈夫だ」と答え、向こう岸に向かって泳ぎ始めた。全体の1/3ほどまでも行ったろうか、かなり泳いだころ、だんだん流れが速くてとても向こう岸までたどりつけないとわかって、途中でUターンした。それからが大変だった。泳いでも泳いでもなかなか岸が近づいてこなかった。誰かが「流れに沿って斜めに泳げ」と言った。そして全員が斜め方向に向かって泳ぎ始めた。従兄は時折、泳ぎながら「大丈夫か」とわたしに声を掛けてくれた。
へとへとになって無事に岸にたどり着いたが、こうして思い出していると、その光景や、従兄が掛けてくれたその声が、まだ昨日のことのように思えてくる。「ああ、懐かしき少年の日よ」である。