気の向くままに

山、花、人生を讃える

「オール1」のいじめられっ子、先生になる

2018年06月28日 | 人生

わが町の広報に、講演会とその講師について次のように紹介されていました。

講師:エッセイスト・元高校教師・作家 宮本延春(まさはる)氏

演題:「オール1の落ちこぼれ、教師になる~いじめ、ひきこもり、天涯孤独の絶望を乗り越えて~」

著書:『宇宙を感じる7日間』『こころの羅針盤――親から子に伝えたい60章』『オール1の落ちこぼれ、教師になる』などがある。

 

と、紹介され、そして大きめの顔写真もついているが、爽やかなイケメンである。

 

なぜ、こんなことを書き始めたかと言うと、もう12年も前になりますが、読売新聞にある先生の紹介があり、それが感動的で印象に残っていて、その先生が12年の時を経て、わが町にやって来るというので、勝手ながら運命を感じ、書き始めた次第です。

 

しかも、この講演会のことをわたしに教えてくれたのは家内で、わたしが12年前に感動しながらその先生のことを家内に話したのを覚えていて、それで「あの先生が来るよ」と教えてくれたのです。

 

12年前の職場の新聞にはその先生について、およそ次のように紹介されていました。

 

見出しは「37歳の新米高校教師」と言う見出しでした。最初、先生の授業の始まりについて書かれていました。先生は黒板に各教科の科目名を書いて、それぞれに「1」と書きます。そして「これが何だか分かりますか?」と生徒に質問します。生徒は何のことだかわからないので黙っています。それで先生は「これは私の中学3年生のときの通知表で、私はオール1の成績でした」と、言います。生徒たちは「中学3年の時にそんな成績をとっていた人が、どうして今、先生なの?」というわけで、驚きの表情を見せながら先生を注視しています。

 

先生はおもむろに語り始めます。先生の中学時代はいじめられっこでした。それで、もともと良くなかった成績が3年生の時にはとうとうオール1になったのです、と。

 

中学を卒業した先生は就職して働くようになりました。そして先生に恋人ができました。恋人は近くの職場で働いていた女性で、ある時、その恋人がNHKで放映された「アインシュタイン・ロマン」という番組のビデオを貸してくれました。それを見て先生はどうしても数学の勉強をしたくなったということでした。

 

そして働きながら定時制の高校に通い(ここは記憶違いかもしれない)、数学を猛勉強し、他の教科も勉強し、とうとう一発で或る国立大学へ入学したのでした。そして、修士課程を経て研究室に残り何かの研究をしていた。そして結婚し、順風満帆な生活をしていたが、或る時、先生はふと思った。「研究もいいが、自分はいじめられっこで成績も悪かった。だから、その経験を生かしたい」。そう考えるようになった先生は、思い切って37歳で大学の研究室を後にして、地元の高校教師になったということでした。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 わたしも40歳中ごろ、ふとしたきっかけでアインシュタインを知るようになり、数学は勉強したいと思いつつしなかったが、宇宙や量子力学の本を読むようになり、その分、おかげで人生が豊かになった気がします。そして、この新聞の記事を読んだときには、「先生よ、あなたもか!」と共感し、嬉しくなったのでした。(ちなみに、わたしも高校時代は落ちこぼれでした)

 

先日テレビを見ていたら、日本の有名な天文学者が言っていました。「UFO」はたいがい何かの見間違いが多い。しかし、天文学者のほとんどは地球外生命の存在を信じている」と。

 

日本人の多くは科学迷信に陥っている感がありますが、しかし、一流の科学者たちは生命の神秘、宇宙の神秘を感じているのではないか。物理学者はこの宇宙をすべて数式で言いあらわせるはずだと信じている。そして、そのことにとても神秘を感じ、さらに、その上には何があるのかと驚異を感じつつ探求し続けている。それは信仰者が「もっと神仏を知りたい、近づきたい」と願いつつ、精進しているのと、ほとんど同じに思えるのである。

ある科学者は言っている。「(たとえ一部でも)この宇宙を、人間が理解できるということが不思議だ!」と。

 

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幸せと後悔

2018年06月26日 | 人生

日曜日、娘が孫二人を連れて遊びに来た。そして、父の日のプレゼントを持って来てくれた。

防虫素材のしゃれた帽子(半分ほどメッシュ)と日焼け避けの手袋?です。

 

            

 

             草をむしった後で指先が少し汚れているが気にしない。

 

           

 

プレゼントが欲しいわけでもないのに、プレゼントされると、年のせいか年ごとにうれしくなってきている気がする。わたしは親にプレゼントするどころかされていた方だが、そのことを気にもしなかったし、それどころか、有難くもらっておくのが親孝行、などと思っていたぐらいだった。ところが、こうして子供たちからプレゼントされると幸せ気分になり、自分の親には「申し訳なかった」と、いまさらながら後悔するのである。ただ、一度だけ少し上等な杖をプレゼントしたことがあって、とてもうれしそうだったのが、わずかな救いとなっている。

 

それはともかく、職場で働き、子育てしながら、このように親を思ってくれて、わが子ながら親孝行で、また良い母親ぶりをみるにつけ、「子に恵まれた」としみじみ有難くなるのである。

 

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夢よ、もう一度!

2018年06月23日 | その他

もうじき海のシーズンだが、わたしが入学した高校は三重県にあって、比較的山と海が接した風光明媚な国立公園の一画にありました。今頃の季節になると夕暮れには蛍が飛び交い、海では夜光虫が光り、学び舎としてはこんないいところはないといってよいぐらいに素晴らしいところでした。

 

その頃を懐かしく思い出していると、もう一度あの時代に戻り、蛍が飛び交う夕暮れの中を散歩したい気分になります。そして、今のようなデジカメがあったらよかったのに、と思ったりもします。

 

もうひとつ、もう一度赤道付近を航海したいなあという気持ちがあります。果てしなく広がる空と海。その朝焼け、夕焼け。そして深々と洋々とたゆとう大海原。気まぐれにほんの一画だけにザ―とやって来るスコール、全天に瞬く星、煌々と輝く月。そんな中に、もう一度自分の身を置いてみたい、そんな気持ちです。自分が乗っている船以外に人工物は何もなく、目に映るのはすべてが太古の時代と変わらぬ風景です。

 

そんな風景、大自然の息遣いを、夢でも見るように思い出していると、シスター・鈴木秀子さんの言葉ではないけれど、本当に「案外自分は~~~とんでもない幸せ者かもしれない」と思えて来たりもします。そして、かなわぬことと知りつつも、やっぱりあの頃にデジタル・カメラがあったら、と思ったりします。

 

           航跡や縦一筋の天の川

 

           スクリューの音もさやかに星月夜

 

 追記:「縦一筋の天の川」というのは芭蕉の句にあった気がして、念のため調べたが、確認できなかった。代わりに夏目漱石の句で「別るるや夢一筋の天の川」があった。多分、これが頭に残っていたのだろう。いずれにしても、思い付きの素人芸だから許していただくことにする。

 

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ちょっといい話

2018年06月22日 | その他

今日、剪定仕事の休憩時間、お茶を飲みながら鹿児島出身のAさんと話しているとき、こんないい話が出ました。

 

それはAさんが20代の時の話です。

 

おばあちゃんがエスカレーターの前で、乗ろうとしながら、怖がってよう乗れないでいた。そこに出合わした彼は、おばあちゃんの前にしゃがみ、「背中に乗れ」と言ったそうな。しかし、おばあちゃんは恥ずかしいのか最初は躊躇していた。そこで彼は鹿児島弁丸出しで、「よか、よか、のりんさい」というと、乗ってくれたとのこと。

 

何でもない話のようだが、20代の若さで、照れくさがらずに、とっさにこのような行動ができるのは、なかなかできるものではない、と大いに感心したことでした。わたしがそう言うと、彼が言うには、そのとき、彼の叔父さんもそばいたそうで、その叔父さんも、しきりに感心していたとのことでした。

 

今の自分が、もし同じ場面に遭遇したとしたら、ばあちゃんの前でしゃがんで同じように言えるだろうか?

ちょっと想像してみるのも楽しいかもしれませんね。

ちなみに、彼は西郷さんに憧れていたそうですが、西郷さんのような大きな体ではなく、小柄で、今でこそ少し腹は出ているものの、その頃は痩せていたと思います。

 

ともかく、自分がしたわけでもないのに、爽やか気分に包まれる話でした。

 

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肉食・飢餓・温暖化

2018年06月20日 | 地球温暖化について

≪肉食と温暖化≫

○世界の人口は1961年で30億人、50年後の2011年では70億人と2.3倍に増加している。そして世界の食肉の消費量を同じ年で比較すると、5100万トンから2億5100万トンと5倍に増加している。

○過去40年間で南米の熱帯雨林は、食肉生産のためその40%が伐採され、現在も世界の熱帯雨林は1秒間にサッカーコート2面分が消失している。これによってCO2全体の排出量の17%もの二酸化炭素が吸収されなくなっている。

○また、牛、山羊(ヤギ)、羊などの反芻動物は31億匹いて、それからゲップとして排出されるメタンガスはCO2の23倍もの温室効果があり、CO2に換算すると、地球全体の排出量の18%にもなる。また、食肉産業全体では51%にもなるとのこと(ゲップから出るメタンガス、家畜の飼料栽培、牧草地をつくるための森林伐採、肉の輸送を含む) 。 ≪2009年 インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙≫

 

≪肉食と飢餓≫

○いま地球上で8億7000万人の人々が飢餓で苦しみ、子供は5秒に1人、1年間で1500万人の人が、飢餓が原因で死亡しているとのこと。しかし、これは世界の食料が足りないからではない。

○世界の穀物生産量は2012年で約23億トン、これを70億人に平等に分配すれば、1人当たり年間328㎏。1人当たりの必要摂取量は180㎏と言われているから、計算の上では穀物だけでも食料は充分に足りている。ところが、牛や養殖魚を早く太らせるため、本来の食べ物ではないトウモロコシなどの穀物飼料が与えられ、それによって穀物全体の1/3もの量が家畜、家禽、養殖魚の飼料として使われている。そのために穀物の不足となり、価格高騰の原因となっていて、貧しい人は飢餓で苦しまなければならなくなっている。(アフリカなどの開発途上国ではトウモロコシが主食)

 

元来、肉食で育っていない日本人の場合、このような現状を知れば、自然にあまり肉を食べたいと思わなくなるのではという気がしますが、いかがでしょうか。ちなみに、アメリカやブラジルでもわずかながらベジタリアンが増加傾向にあるとのことです。

また日本では年間5500万トンの食糧を輸入しながら、1800万トンの食糧が捨てられているそうで(内1000万トンは家庭から)、これは途上国の5000万人分の年間の食料に匹敵するとのこと。

 

世界的ベストセラーとなったニール・ドナルド・ウォルシュ著の『神との対話』には次のように書かれていました。

○あなたが他者に対してすることはすべて、自分に対してしている。なぜなら、あなたと他者は「ひとつ」だから。したがって、他者に対して何かをすれば、自分に対してもすることになる。他者に何かをしてやらなければ、自分にもしてやらないのだ。

また、著者であるニール・ドナルド・ウォルシュが「動物にも魂はあるのですか?」と質問したのに対し、神は「(動物の)目を見ればわかるだろう」と答えている場面がありました。

 

ともかく、飢餓で苦しむ人が少なくなるなら、できるだけ動物の肉は食べないようにしたいものですね。

 

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親には「大切な宝」

2018年06月13日 | 信仰

8~10日と練成会がありました。例によってわたしは受付で参加者の名前などを入力しながらモニターを通して講話を聴いていました。その中である女性講師がこんな話をしていました。

その講師が生長の家の話を聞くようになって間もないころ、道を歩いているとき友達に出会った。するとその友達Aさんが、

「あなた何か嬉しそうね。いいことがあったの」と聞く。

「いや、別に」と答えると、「でも何か嬉しそうよ」という。

それで、「別に嬉しいことがあったわけではないけど、心が軽くなるような話を聞いたから、それでかな」と答えると、友達は「心が軽くなるような話なら、わたしも聞きたいわ」というので、次の誌友会(例会)の時に彼女も誘って、一緒に話を聞いた。

 

その後、しばらくして、Aさんの家を訪ねると、何人かのコーヒーやお菓子を用意していたので、「お客様が来るの?」と聞くと、その友達はこんな話をしてくれたとのこと。

Aさんには息子がいて、その息子が暴走族のようなグループと付き合っていて、そのことを心配していた。そして、そのグループが息子を誘いに来ないようにと、排斥する気持をもっていた。ところが、彼女が言うには、生長の家の話を聞いてから、そういうように悪く思っていた子供たちも、それぞれの親にとっては大切な子供たちであることに気が付いた。それで、悪い子供ではなく、親にとっては大切な宝だと気づいて、今度来たら、コーヒーとお菓子で歓待しようと思った。それで、いつ来てもいいように準備している、という話だった。

 

それからさらに日がたった。そしてAさんが言うには、コーヒーとお菓子で歓待しようと待っているが、一度も来てくれないとのこと。そして、息子は、これから家の家業を継ぐことを決心してくれたという話でした。

 

「類は類を以て集まる。類でないものは反発する」の見本のような話ですが、それよりも、Aさんが、「悪い仲間」と思っていた子供たちは、それぞれの親から見たら「大切な子供たち」であることに気づき、そして、排斥するのではなく歓待したくなった、というのは本当によい話ですね。感動しながら、自分まで幸せな気分になったことでした。

 

アジサイも、そろそろ終わり。しかし、

○天も地も過ぎ行くが、あなたは過ぎ去らない。 『神との対話』より

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「海上の森」ハイキング

2018年06月07日 | 

3日の日曜日、何年か前に開かれた万博「愛・地球博」の会場の近くにある、「海上(かいしょ)の森」に行きました。同行してもらった森林インストラクターの説明によると、海上の森は、以前は「海所の森」と表記していたとのこと。そして、昔この辺りは海だったことも知りました。山なのに「海上の森」と表記し、しかも「かいしょのもり」と読むなんて変に思っていましたが、説明を聞き、「なるほど」と納得しました。

この日の名古屋の最高気温は30度と暑い1日でしたが、歩いたコース(4キロ)はアップ・ダウンもなだらかな歩きやすい道で、しかもコースのほとんどが木陰だったので、さして汗をかくこともなく、ほど良いハイキングでした。

10時に出発して、インストラクターの説明を聞きながら森の中を歩き、やがて昼が近づいた頃、森を抜け出て視界が開けました。すると、そこには突然別世界へ出たような、いかにものどかな里山風景がありました。

 

そして、小さな水田では女の人が田慣らしをしていました。それが下の写真です。

わたしは里山で育ったわけではないが、いかにも懐かしく、ほんとうに癒される心地がしたことでした。この辺りでは、6月中旬ごろには平家ボタル、源氏ボタルも飛び交うとのことでした。

 

 

そして、ちょうど昼に民家風の「里山サテライト」(無料の休憩所)に着き、ここで昼食。板敷の床にいくつかのテーブルがあります。

 

 

敷地内には珍しい井戸があり、せっかくだからと水を汲みだして顔を洗ったら、冷たくて気持ちよかった。(殺菌してないから飲料水にはむかないとのこと)

 

その後、もう少し歩いて砂防池を見学。これは山から流れる土砂をこの池で受け止め、○○川(名前忘れた)に流れ込むのを防ぐために造られた人工池とのこと。池の中に枯れ木が立っていて、上高地の大正池のようでした。

 

今回のハイキングで、深く印象に残ったのは、森を抜け出て視界が開けとき、そこにあった里山風景であり、そして女の人が昔ながらの田慣らしをしている、いかにものどかで平和な光景でした。それは「別世界」というより異次元世界へ入り込んだような感覚でした。

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感動的な話

2018年06月05日 | 人生

今朝、「ブログ書きました」を登録したところ、訪問してくださった方があり、それに残っていた「あしあと」をクリックしたら、トップページに「やまびこ」と題する素晴らしい話が出ていました。それで興味を覚え、他の記事も読んでいましたら、「思いがけない贈り物」と題する記事があり、それがとても感動的な話でした。無断で恐縮ですが、あまり善い話なので紹介させてもらいたくなりました。

ここです。

https://blog.goo.ne.jp/rell248/e/332031fe04fdc770776c8e873444afb1

 

身近なところに、こんな話があるんですねえ。

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「あしたも晴れ!人生レシピ」

2018年06月03日 | 人生

「明日も晴れ!人生のレシピ」という番組にシスター・鈴木秀子さんが出演して語ったことを紹介させてもらってから、このブログへのアクセス数が増加していましたが、さらに先日よりビッグバンを起こしたかのようにアクセス者数が膨れ上がり、何事が起きたのかとびっくりしていました。一昨日は600人、昨日は750人と、鈴木秀子さんがたくさんの人から求められていることを知り、改めて感動し、わたしもまたブログ上で鈴木秀子さんに関する記事を検索したりしていました。いつかシスターの他の著書も読んでみたいと思っているのですが、わたしが尊敬する「生きがいの創造」シリーズの著者、飯田史彦さんが、こんなことを本に書いていたのを思い出しました。記憶では凡そこんな意味だったと思います。

○(臨死体験をした時)自分の著書を読んでくれる多くの人は、過去の人生で何らかの関係のある人たちであることを知り、読者の皆さんに感謝の思いが湧いて来た。

もし、そうだとするなら、わたしは今のところシスターの著書は1冊しか読んでいないのですが、それでも過去の人生においてシスターに何かの人生の問題で相談をしたことがあったかもしれませんね。

 

さて、先ほど、シスターが出演する「あしたも晴れ!人生レシピ」の再放送があることを知りました。見逃された方はどうぞお見逃しなく。

 [Eテレ]  2018年6月8日(金)  午前11:00~午前11:45(45分)

 

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