気の向くままに

山、花、人生を讃える

平成万葉集(NHK放送番組より)

2020年06月18日 | 平成万葉集

昨年、NHKで「平成万葉集」という番組が3回にわたって放送され、その番組で紹介された短歌とそれに関連する物語などをこのブログで書かせてもらいました。昨日、ときたまその記事を読んだのですが、「歌はいいものだな」とあらためて思いました。(自分で作ることはないが)

 

それでまだ記事にせず、パソコンの中に眠っていたもの(短歌)も読み、それも良かったので紹介させてもらいたくなりました。きっと共感していただける歌がいくつかあるだろうと思います。

 

そういうわけで、以下は、3回の内の「ふるさと」をテーマにした時に放送された短歌ですが、見ていただければ幸いです。

 

     古里に父母はなし家もなし 思ひ出のみが宝となりぬ

    「そちらにはもう慣れましたか」 あなたまでメールが届きそうな空です

    「後期高齢者」言わしておけば言うものぞ 憤然として春の雪掻く

    背伸びして生きてきました 古里に踵おろせば土のぬくもり 

    父祖の血と汗の滴るふるさとの 我も一つの土塊(つちくれ)となる 

    受話器からふるさと訛り聞こえ来て 景色懐かし我を励ます

    ニュータウンという町の大方は 老人たちの多く棲む町

    魚屋も八百屋も消えて老夫婦 遠きコートにカート押しおり

    今頃は地鳴り海鳴り雪おこし とうに捨てたるふるさとなのに

    ふるさとを恋いて泣く時呆けたる 父の涙の太かりしかな

    ふるさとを離れて思う淋しさに 拉致された“めぐみさん”思う

 

≪魚屋をしていた石ノ森(76歳)さんの歌とお便り≫

    若芽煮る浜に湯けむりあがるころ 村は津波にかいめつしたる  

    妻の名を心に叫びさがしいる 巨大津波の瓦礫の中を

○平成23年3月11日、午後2時46分、地底から聞こえる不気味な地鳴り、岩石が軋むような音を聞いたとき、大変なことが起こるという直観がした。真っ先に浮かんだのは自宅にいる妻の安否でした。情報を得るために日赤病院へ行くと、救助のヘリコプターやパトカーのサイレン、ひっきりなしの救急車の音、絶望的な思いが頭をかすめ、無事であってくれと祈り続けました。

    日赤にひっきりなしの救急車 津波の街からはこばれてくる

○震災から4日目、日赤へ行くと、後ろから声を掛けられました。振り向くと私の地元の小渕浜の友人。
「奥さん元気でいるよ」、その言葉を聞いた途端、人目もはばからず涙があふれ、身体の緊張がほぐれていくのを感じました。
翌日、何とか小渕浜までたどり着き、避難所を尋ねると、妻が泣きそうな顔で駆け寄って来る。肩を抱くと心なしか骨ばっている。

    津波より生還したる妻眠る 寝息ききつつ布団をかける

○震災から8年経った現在も時折り津波の匂いを感じることがあります。どんな匂いかと言われても言葉での説明は難しい。私には2万の犠牲者の魂の匂いと思えてならないのです。「津波忘れるな」という様に。

      復興の未だ届かぬ裏町の 日陰にのこる津波の匂ひ

                                         (石ノ森さんの歌 おわり)

 

    生き残りごめんなさいという祖父に 強く頭(かぶり)ふるテレビを見つつ

    海なれば母と思いて来ししものを 憎悪のごときが心を過ぎる

    生きねばと仮設の隣り荒地借り 季節後れの野菜植まく

    なゐをのがれ戸外に過ごす人々に  雨降るさまを見るは悲しき   天皇陛下(当時の) 

                                                           (「なゐ」は地震のこと)

    大いなるまがのいたみに耐えて生くる 人の言葉に心打たるる   天皇陛下(当時の)

                                                           (「まが」は災いのこと)

    今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ 失せたるものの面影の上に  皇后陛下(当時の)

    「地元出る」決意伝えたその時の 涙溢れた母の表情

    大人にはなりきれていない 父母の棲む街まで続く空を眺める

    でも私東京が好き 介護しに帰って来いとふるさとの空

    真昼間無人駅に吾を待つ 母の姿をふるさとと呼ぶ

    村人の視線を受けて畝切りし Uターン農業二年(ふたとせ)を経ぬ

    白菜がなにゆえ結球しないのか にはか農夫はパソコンひらく

    今もなほ田をつがざりし負ひ目あり 梅雨来たるたびに田を植うる夢

 

 ≪ナレーション≫ 平成の間に農家の数は半分に減った。200万の人々が田畑を手放した。

 

    畑消えて発電パネル増えてゆき 野菜を売らずに電気売る農

    TPPの説明会に村人は 田畑の匂ひ持ちて集い来

    春はまた足の裏からやって来て 手の指先で輝いている

    四十年家族と生きた庭木伐る 原発憎しチェンソ―哭く

    福島のしだいに遠くなりゆくか 多摩ナンバーを愛車につける

    思ひっきり春の匂ひを吸いこみて 「我は我なり」と富士山に言ふ

    前向きに生きると人に言いつつも 前がわからぬと避難者の言ふ

    指ほどの山しょう魚を捕まえ来て 友と遊ぶ分校の子よ

    へその出るジーンズの孫が「只今」と 玄関に立つ春の休みは

    ここち良き朝の目覚めに百歳を 目指してまだまだ負けてたまるか

    雨上がりみたいに終わりはくるのだろう 明日の予定を手帳に記す

    百歳への夢追いながら草を引く 去り行く平成懐かしみつつ

 

以下は平成万葉集に関する過去記事ですが、興味のある方はどうぞ。

       NHK総合の「平成万葉集」より     平成万葉集「女と男」より     ある夫婦の物語  

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成万葉集「女と男」より

2019年05月25日 | 平成万葉集

「平成万葉集」第2部「女と男」の中で、こんなナレーションがありました。

平成時代の特徴として、
○50歳までに一度も結婚したことのない人は、男性では4人のうちの1人、女性では7人のうち1人・・・・と。

 

女性の「7人のうち1人」でも多いと思うが、男性の「4人のうちの1人」というのは、予想外を通り越して「それ本当の話?何かの間違いでは?」と疑いたくなるような数字です。それで、そのコーナーではこんな歌が紹介されていました。

 

    恋をしてほしい息子は恋をせぬ  ゆっさりと夏のケヤキみたいで

    結ばれることはそんなに正しいか  未も既も消して非婚と書けり

 

勿論、結婚しなくたって問題があるというわけではないが、その数が多いとなれば話は別で、「何か変」という気がしてきてもおかしくないと思う。ところが、この頃の若い人は恋愛もしないのかと思うとそうでもないようだ。例えば、こんな歌が紹介されています。

 

    ソックスを忘れた土曜の昼間でも  一番ホームの君を探している

    コーラにもカレー粉にもある香料の  ように私に必要な君 

    海のくせに黙って引いてゆくなんて  意気地なしって言えずに泣いた

    待ち受けを空から海へ変えている  会いたくて仕方がない夜である

    ケータイを畳み両手で胸に当て あこがれこがれこわがるなかれ

    大嫌い何度も思った帰り道 でも君意外とは喧嘩はしない

    永遠の時間をかけて君が好き  北斗七星は明日も七つ

 

こういう歌を見ると、「青春て、いいなあ」と思うし、応援したい気持ちにもなります。

ところが、人生は複雑であって、いや、人の心が変わりやすいのか、こんな歌も出て来ます。(笑)

 

    ホームラン打ったつもりで結婚し 三十五年試合は続く

    家じゅうにお節介なる声のする  家電いずれも女のしゃべる

    この世には弱い女はいてません  はかなげ見せこそ最強の人

    妻と毒字画似ておりあなどるな  目には見えねど牙を持つ

    緒の切れた堪忍袋携えて  今週も行く熟年離婚講座

 

 と、いうように、思わず「同感!」と笑ってしまうものもあります。

まあ、いろいろありますが、どれも人生の一断面。

『神との対話』によれば、人間は、喜びも悲しみも、いろいろ経験しながら、何がほんとうの自分かを経験的に知るのだと・・・。

そして、悲しみの経験が人を育てる、大きくするということも事実。(だからといって「悲しみ」を経験したいとは思わないが)

 

人の歌の紹介ばかりでは申し訳ないので、わたしも作ってみました。まじめな歌なので絶対笑わないでいただきたい。

 

    お前のこと今でも好きと言いたいが 何とかならぬかそのおせっかい

    あな嬉し「長生きしてね」に喜べば  年金たくさんもらえるからだって

    昔ヒデハルさん今お父さん  一度やさしく「あなた」と呼んで

 

え~、可笑しいと思ったら、どうぞご遠慮なくお笑いください。笑うのは健康にもいいそうですのて。

泣くのも良いそうだが。


それでは最後に、お口直しで(前の)天皇・皇后陛下のお歌です。

 

    人々に見守られつつ御列の  君は光の中にいましき               (平成21年 皇后陛下   即位の日を思出して)  

    五十余年吾を支え来し我が妹も  七十七(ななとせなな)の齢迎えたり     (平成23年 天皇陛下) 

    去れる後も如何に思わむこの苑(‘その)の  光満ち君の若くませし日      (平成30年 皇后陛下)

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある夫婦の物語

2019年05月21日 | 平成万葉集

平成20年に愛する奥さんに先立たれた永田さんは現在71歳で、細胞生物学の世界的権威であるとのことです。以下に紹介するのは、NHKで放送された「平成万葉集」の第2部(女と男)の中で紹介された、そのご夫婦の間に交わされた歌です。

 

≪二人が結婚する前≫ 

 

     陽にすかし葉脈くらきをみつめおり  二人の人を愛してしまへり   (奥さん)

    君に逢う以前の僕に遭いたくて  海へのバスに揺られていたり    (ご主人)

    たとえば君ガサッと落葉をすくうように  私をさらって行ってくれぬか  (奥さん)

 

≪平成14年、奥さんの病気が見つかった時≫

 

      何という顔してわれを見るものか  私はここよ吊り橋じゃない   (奥さん)

 

この時のことを日記に次のように書いているらしい。

奥さん:京大の病院で受診したがすぐに乳腺外来に回された。マンモーグラフを見ていた医師が向き直って「悪性です」と言ったときは、すぐに事態が呑み込めなかった。診察を終えて病院横の路上を歩いていると、向こうから永田(夫)がやって来た。彼とは30年以上暮らしてきたが私を見るあんな表情は初めて見た。痛ましいものを見る目、この世を隔たった者を見る目だった。

 

一方のご主人はその時のことを次のように語っています。

ご主人:私は見事に平静を演じきったと思っていたのに、私の顔はどこか歪んでいたのだろうか。引きつっていたのだろうか。目の前にいる河野を正面から見られなかったのかもしれない。「私はここよ 吊り橋じゃない」が、切なく、痛い。手術の後もできるだけ普段の生活を変えない、河野を病人として扱わない、そういうふうに接してきたと思うんですけど、後になってみると、それが河野を苦しめていたというか・・・――とご主人の永田さんは語る。 

      平然と振る舞うほかはあらざるを  その平然をひとは悲しむ   (ご主人)

 

≪病気療養中の奥さんの歌≫    

     あの時の壊(こわ)れた私を抱きしめて  あなたは泣いた泣くより無くて    

     生きてゆくとことんまでを生き抜いて  それから先は君にまかせる 

     この家に君との時間はどれくらい  残っているか梁よ答へよ  

     長生きして欲しいと誰彼数へつつ  つひにはあなたひとりを数ふ

     手をのべて「あなた」とあなたに触れた時  息が足りないこの世の息が  (逝く前日)

 

≪ご主人の歌≫ 

     一日が過ぎれば一日減っていく  君との時間もうすぐ夏至だ

     かくも悲しく人を思うということの  わが生涯に二度とはあるな

 

 

奥さんが入院中のことについて永田さんは次のように語っています。

永田:精神がバランスを崩して、かなりひどい時期がありましたね。僕に対して最終的には「ガンになったのはあなたのせいだ」みたいな感じで、まあ、乳がんていうのは、本当は旦那が気がつかないとダメみたいなところもあって、それが河野(奥さんのこと)の中でどんどん膨らんできて、かなり不安定になって激昂するようになって、僕を責め立てるようになって・・・。それをひたすら耐えて待っているというのはとても辛いことだけど、ある時河野が歌を作ったんですよね。この歌ですべてを許せると思ったし、「ああ、耐えてきてよかったんだ」だという思いはしましたけど、その歌は、

     あの時の壊(こわ)れた私を抱きしめて  あなたは泣いた泣くより無くて

という歌で、絶対彼女はもうろうとしていましたから、覚えていないと思っていたんですけども、それをちゃんと覚えていてくれた、本当に救われたという感じがしましたね・・・と。

 

そして、「特にありがとう」という様な事は言わなかったが、歌を通じて私の気持ちは分かってくれていたと思う、と語った後、「一つだけ、あなた可愛かったよ」と言ってやればよかったと思ってますけど・・・と言ってテレ笑いしていました。

 

≪奥さんが他界された後の歌≫

    抱きたいと思へる女性(ひと)がどうしよう  どこにもなくて裕子さん、おい 

    訊くことはつひになかったほんとうに  俺でよかったのかと訊けなかったのだ

    おばあさんになったあなたを見たかった  庭にちひさくまどろむような

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK総合の「平成万葉集」より

2019年05月06日 | 平成万葉集

何時頃だったか、ずーと以前に、「昭和万葉集」なるものが出版されたことがあります。

昭和に詠われた短歌を集めたものですが、時代を反映して、戦争に関しての歌がたくさんありました。

 

そして時代が変わり、つい最近、NHK総合テレビで「平成万葉集」と題した番組が放送されました。
NHKによると日本の短歌人口は100万人らしいですが、その中から厳選したという短歌が3回にわたってこの番組で紹介されました。

第1回「ふるさと」、 第2回「男と女」、 第3回「この国に生きる」というサブタイトルでした。

私は録画しただけでまだ第1回の半分しか見ていませんが、以下に紹介するのは、その第1回「ふるさと」の前半で紹介されたその一部です。

(以下NHK「平成万葉集」より)

 

74歳の春子(仮名)さんは兵庫県に住んでいるが、故郷は岡山県の山奥とのこと。その春子さんの歌。
(テレビでは実名で紹介していたが、ここでは仮名)

 

     早蕨(さわらび)の萌ゆるを待ちて故郷へ

             アクセルを踏む陽のやわらかし

 

春子さんの母、八重子(仮名)さんは、現在、御年99歳。その八重子さんのご主人は35年前に他界され、それから一人で生きてきたという。その八重子さんの歌

 

     家五軒住人四人の雪の村

               声かけ合うて春を待ちいる

 

八重子さんの村は、多い時には40人いた。そしてご主人が病気になって入院したときには村のみんなが農作業から家事まですべてを手伝ってくれ、それがとても嬉しかったと笑顔で話す。しかし、平成になり1人減りまた1人減りで、今は村で八重子さんがただ1人暮らしているという。八重子さんには4人の娘さんがいてかわるがわる心配して見に来てくれるらしい。

同じく八重子さんの歌2首

 

     娘(こ)が来れば家事一切を取りしきり

               客は私でおいしく食す

 

       次々と空き家となりて吾ひとり

                     強く生きんと今日も鍬(くわ)振る

 

 

短歌ノートをかかえてはにかむ八重子さん

 

 

次は74歳の娘、春子さんの歌

 

              永遠(とこしえ)に続けと祈るふるさとは

                    緑かがやく春にしあれば

 

99歳、八重子さんの歌

 

     大正から農一筋に生きてきて

              心新たに御世を寿ぐ   (御世は御代の間違いではないかと思う人もいるかもしれませんが、字幕は御世でした)

 

取材の記者と歩きながら「わたしの方が早いね」と笑う八重子さん。

 

99歳と74歳の母と娘、短歌を通して通い合う心、そして山奥で、ひっそりと一人生活しながら、歌を友とする八重子さん。

世の中にはこんな人もいるのかと、感動させられました。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする