気の向くままに

山、花、人生を讃える

団体参拝練成会に参加して

2017年10月16日 | 信仰

12~15日と、団体参拝練成会に行ってきました。

事前の予報では毎日傘マークがついていて天気が心配されましたが、さいわい雨が降り始めたのは14日の夜からで、プログラムには何の影響もなく、14日の奥津城参拝、インタープリテーション、そして献労など、風もなく、きつい日差しもなく、最高のコンデイションに恵まれました。そして、今年も講師先生がたの素晴らしい講話を聞き、総本山の自然に触れ、祭儀に参加し、宗教行を実践しているうちに、素晴らしい4日間が、あっという間に過ぎてゆきました。そして、わたしは次のことを思い出しながら、この団参に参加していました。それはこんな話です。

9月の「講師受験者勉強会」のとき、講師会の女性副会長が次のような開会の挨拶をしました。

○皆さん、お忙しい中、勉強で気疲れしている方もおられると思いますが、いま、この勉強会に参加している自分を、どうぞ誉めてあげてください。そして、その素晴らしい自分に感謝してください。

ということを、感動的に話されていましたが、わたしはこの話を思い出しながら団参に参加していました。

 

そういうことで、今日は講話のなかで印象に残った話を2つ紹介させてもらいます。

○ある20歳の韓国人留学生(女性)のことですが、彼女がある病院に行きました。すると、看護婦が患者の名前を呼ぶとき、苗字しか言わないことに気づきました。そのことを奇異に感じて日本人の名前に興味を感じたとのこと(韓国では同じ苗字の人が、ほとんどの場合複数いるので、フルネームで呼ぶようです)。そして日本人の名前について調べていると、ほとんどの苗字が自然と関係していることがわかってきた(たとえば、小川、山田、入江、山川、鈴木などなど)。そして、日本人は自然に親しみ、自然を大切にする民族であることを知った。彼女はそのことに感動しながら、さらに調べているうちに、日本人の名前からある物語が浮かんできて、童話ができた。そういうことを書いた論文か、エッセイかが、その大学(だったと思う)のコンクールで優勝したとのこと。

この留学生はまだ若いのに、日本人の自分などより、よほど感性豊かな人だなあと、感動し、感心しました。そして、その童話の簡単な内容紹介もありましたが、是非、読みたいものだと思いました。

 

○ある、生長の家信徒でサンパウロに住むブラジル人の婦人の話ですが、この人が、タクシーに乗った。そして、自分が生長の家の教えにふれて嬉しくて仕方がなく、ほんとうにと抑えきれない歓びを、嬉しさいっぱいで運転手相手に話していた。そうしているうちに、目的地に着いた。お金を払おうとして、料金を尋ねるが、運転手はうつむいたまま黙っている。何度か呼びかけると、ようやく運転手は顔を上げたが、泣いていたらしく目に涙をためて、こう言った。じつは私はここにピストルをもっている。今日、最初に乗ってきた客を脅して金を奪うつもりでいた。しかし、あなたの話を聞いているうちに、自分が間違っていたことがよくわかりました。と言って感謝されたとのこと。

そしてこの話を紹介されたあと、先生はこういわれました。

○義務や責任感で行動しても、人を動かすことはできない。あふれるような喜びで動くとき、他をも動かすことができる。何事も喜ぶことが大切なんですね!

ということで、わたしにとっては肝に銘じたい言葉でした。

       

           合掌す 君のいのちに

           礼拝す われのいのちを

           聖なるかな 神の愛ぐし児

           聖なるかな 神の愛ぐし児 

 

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映画「ナミヤ雑貨店の奇跡」

2017年10月07日 | 映画

剪定シーズンたけなわですが、昨日は昼頃から雨との予報で、予定していた仕事が中止となったのを幸いに、久しぶりにのんびり映画を見たいと思って上映中の映画を調べてみました。すると西田敏行が出演している映画があったので、彼が出演しているなら、そこそこ楽しませてくれるだろうと思って見に行きました。題名は「ナミヤ雑貨店の奇跡」でした。

すると、予想以上というよりも、予想に反してと言った方がよいくらいとても素晴らしい作品でした。

東野圭吾の小説を映画化したもののようですが、わたしの場合、いくら良くても、原作まで読みたいと思うことは今までほとんどありませんが、今回は原作も読みたくなりました。とは言っても、読むつもりはないのですが、読みたくなるほど良かったということです。

内容はというと、西田敏行扮するナミヤ雑貨店の店主は、きっかけは不明だが、ともかく人生相談をしていた。相談の手紙が雑貨店の郵便受けに投函されると、店主はそれを読んで返事をしたため、牛乳瓶受けに置いておく。そして相談者はそこから勝手に返事の手紙を受け取る。そういう仕組みになっていた。

しかし、その店主も高齢となり、自分の回答が、相談者たちの力になれたかどうかと気にかけながら、1980年、この世を去る。

それから32年後の2012年のこと。警察に追われているらしい若者3人が、店主が他界して長いこと空き家になっている「ナミヤ雑貨店」に潜入した。すると、32年前の1980年に書かれた相談の手紙が投かんされた。興味を覚えた3人組のひとりが、回答の手紙を書いた。それに対してまた返信がきた。また別の相談者からの手紙も来た。こうして、また人生相談が始まるのだが、以前と違って回答の手紙を書いているのは、不良らしい若者たちである。ただし、不良の彼らも相談の手紙に対して興味本位ではあるが、真摯に返事を書いている。そして、相談者たちは、彼らの回答によって、元気を取り戻したり、得をしようとする生き方から、もっと地道で堅実な道を歩むようにと諭されたりして、人生で成功を収めていったりするのである。(単純で大雑把に書いていますが、実際の映画はもっと複雑で感動的です。)

この映画を見ながら、わたしは改めて手紙の良さを感じさせられました。人生のことで悩む相談の手紙が、不良3人組に興味を覚えさせ、しかも、だんだん、この相談者たちに幸せになってもらいたいという思いで、真摯に相談の手紙に向き合っていく。つまり、相談者の手紙が、殺伐とした若者の心に、いつしか人間らしい温かい心を呼び覚ましていくのである。そして、相談者たちも、彼ら若者3人の回答に、生きる勇気を与えられたりする。それがとても自然で、映画のため、鑑賞者を感動させるためという不自然さを全く感じさせないのだ。これは脚本も素晴らしいが、役者の演技も、自然体でとてもいい。そして、実際にあり得ることだからだと思う。うまく説明はできませんが、とにかく、とても素晴らしい映画で感動しました。

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