申命記 26章
ショッピングモールの中にあるスーパーが3月初めで閉店になるとの張り紙がしてありました。そう言えば、少し前から陳列棚が取り払われて商品がずいぶんと少なくなっていたのです。親切に対応してくれた肉売り場の方はどうなるのだろうと、少々気がかりです。
26章を読んで、2節と10節の「初物」ということばに目が留まりました。
イスラエルの民が約束の地に住むようになり、そこで収穫した産物の初物のいくらかを、神の前に持って来なければならないと命じられています。ここから思ったのは、初めが肝心ということです。まず神のところにという姿勢が、その後の道筋をしっかりとつけるのではないでしょうか。
子どもたちがお小遣いをいただいた時、「まず神さまにお返ししよう」と言っていたのを思い出します。その感覚、姿勢を持つことができるのは、お金にしろ作物にしろ、神が与えてくださったと感謝できるかどうかではないでしょうか。
聖書は「初めに、神が天と地を創造した」で始まります。少し飛躍があるかもしれませんが、私たちの生活でも「初めに、神」なのです。これが肝心なことだと教えられます。
*ルターが生まれて二日目に洗礼を受けた教会にて