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畳半畳の仕事に学ぶ

2013年01月13日 | 雑記帳
 昨夜,近所で「古典芸能を楽しむ会」というイベントがあった。
 メインは落語家の古今亭文菊。ここ数年継続してこの地に足を運んでいる。
 生で観るのは初めてだが,さすがに昨年何十人かを越して真打ちに抜擢されただけの力量がある。特に顔の表情のつくりが秀逸だなと思った。

 さて,もう一人ステージにたったのは,櫻川七好という方。

 幇間(ほうかん),俗にいう「太鼓持ち」である。

 花柳界におけるお座敷遊びと言われても,まったく想像の世界でしかないが,そういう職業があることについて知識は持っていた。落語の中にもよく登場する。
 昨夜の話によると,全盛期には数百人がそれを生業にしていたが,現在は5名という。
 それでも成り立っているということ自体,なかなか深い世界だなと感じた。

 芸としては,踊り,都都逸,(こういう分野分けではないと思うが)独り芝居,パントマイムの類である。
 年季を踏んだ芸能として味わいがあるものだった。

 幇間の芸の大きな特徴は,動く場が狭く限定されているということである。
 「畳半畳」と話していたが,実際それは無理としても,そこを基にしていることはすぐに見て取れた。
 飲食の伴うお座敷であるという前提を踏まえて,長い年月をかけて工夫されてきたものだろう。

 幇間とは主役ではなく,あくまでお客や芸者を引き立て,取り持つ役である。そこに徹するということは,かなりのセンスと覚悟が必要だろうと想像する。
 こんなことを言って,笑いを誘った。

 「バカでは,できない。利口は,やらない」

 調べてみたら,「幇間」にはこういう意味があった。なかなか深いぞ。

 「幇」は助けるという意味で、「間」は人と人の間、すなわち人間関係をあらわす意味。
 この二つの言葉が合わさって、人間関係を助けるという意味となる。


 「太鼓持ち」という言い方は軽蔑を含んだニュアンスがあった。賑わいのあった当時のなかみを想像すればやむを得ないことだ。

 しかし,今その仕事に名づけられた幇間という意味を知れば,実生活のなかでもそういう役割を嫌がらず引き受ける人がもっといてもよくないか,とそんな気もしてくる。