スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&比較

2016-12-03 19:34:55 | 将棋
 一昨日,昨日と湯川温泉で対局があった第29期竜王戦七番勝負第五局。
 丸山忠久九段の先手で渡辺明竜王横歩取り△8五飛。先手が中原囲いで後手が中住い金開き。手の流れで後手は金無双に組み替えました。当初は先攻の狙いだったと思いますので,後手の作戦が失敗した序盤だったのではないかと思います。とはいえ作戦負けというレベルではなかったのでしょう。
                                     
 後手が金無双を完成させた局面。先手は▲6五歩と動いていきました。
 銀挟みのような形で銀が取られるとか,銀桂交換の駒損の後でまた桂馬を取られて銀損になってしまうというのが後手にとって最悪のケース。それでも△同銀と取っているのですから,大丈夫という判断があったのでしょう。
 先手は▲7七桂と跳ねて銀を狙いにいきました。後手が△8六角と取ったところで▲7五歩と突いていますが,これは錯覚があったためでしょう。△同角に▲6五桂△同桂で駒得になったものの,そこで▲8七歩と受けています。
 手の流れとしていえば7筋を突いた以上はここで▲7六銀でなければおかしいといえます。ここで打てなかったのは,事前に錯覚があったためで,それなら突き捨てずに単に▲6五桂の方がよかったのだろうと思います。
 手番を得た後手は△2七桂と打ちました。無筋に思えるのですがこの場合は最善手だそうです。先手はここで▲7六銀と打ちましたが△1九桂成▲7五銀△同歩の二枚換えの手順に。
                                     
 第2図はまだ難しいと思いますが先手は悲観していたようです。この悲観は勝敗にも影響したかもしれません。
 渡辺竜王が勝って3勝2敗。第六局は7日と8日です。

 第二部定理七系から,神Deusの本性essentiaを構成する無限に多くの属性attributumは,どれも同等の力potentiaを有していることが理解できます。したがってあるひとつの属性を抽出して,その属性がほかの属性より優越的であるとか完全であるとかいうことはできません。むしろすべての属性が同じように完全であるとしかいえないのです。確かに第一部定義六説明により,ある属性が別の属性を否定し得るということは認めなければなりません。ですがこの否定の関係は任意に抽出した複数の属性のどれとどれの間でも成立する関係です。つまり各々の属性が実在的にrealiter区別されるということから生じる否定なのであって,一方が完全で他方が不完全であるという比較によって成立する否定ではありません。したがって人間が認識することができる思惟Cogitatioと延長Extensioの両属性に絞っていえば,思惟の属性Cogitationis attributumが延長の属性Extensionis attributumより優越的ではあり得ませんし,延長の属性が思惟の属性より完全であることもあり得ません。
 第二部定理六は,各々の属性の様態は神がその属性で説明される限りで神を原因とすることを示します。ですから各属性に優越性あるいは完全性の差異がない以上,異なった属性の様態の間でも優越性や完全性はあり得ないことになります。つまり思惟の様態cogitandi modiである観念ideaと延長の様態である物体corpusを何かひとつずつ抽出して,一方が他方より優越的であるとか完全であるとかはいわれ得ないことになります。こうしたことが一般的にいえるのですから,それが同一個体であっても同様です。第二部定理一三により人間の精神humanam Mentemとはその人間の身体の観念ですが,ある人間の精神と身体corpusとの間には,優越性の差異も完全性の差異もありません。むしろ延長の属性と思惟の属性の力が同等であることに注意すれば,同一個体間でも力は同等であるといわれなければならないでしょう。
 さらに第一部公理五は,実在的に区別されたものは,一方の認識によって他方を認識できないことを示しています。このことから,ある属性の様態の完全性を認識したところで,他の属性の様態の完全性は認識できず,したがってそれらを比較することさえ不可能であることが帰結するでしょう。これがスピノザの哲学での結論です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする