北海道から2頭,笠松から2頭が遠征してきた第11回鎌倉記念。ミケネコが水野貴史騎手から金子正彦騎手に乗り替わり,ナスノキセキは競走除外で13頭。
大外からアイディンゴッテスが逃げました。ただしウィンゲイルはほとんど並び,向正面に入るとクラグオーも並び,3頭が雁行に。その後ろはヒカリワールドとミータロー。そしてマハッバとインサイドパーク。かなりの変則ラップですが,全体としてみればハイペースの部類でしょう。
3コーナーでアイディンゴッテスは一杯。ウィンゲイルが先頭で外にクラグオー。直線はまずこの2頭の競り合いで,これはクラグオーが競り落としました。その外からミータローが並び掛けましたが,これもクラグオーが凌ぎます。しかし大外からインサイドパークが伸び,ゴール前で差し切って優勝。クビ差でクラグオーが続き,1馬身半差の3着にミータロー。
優勝したインサイドザパークはデビューから連勝した後,2着が2回。ただその2回も1番人気に推されてのもので,南関東勢では有力と目された1頭。このレースは北海道勢が力を発揮すると上位というのが例年の傾向で,今年の2頭は逸走もせず力を出しました。それを抑えて勝ったのですから,わりと高いレベルにある馬と考えてもいいのではないかと思います。父はタイムパラドックス。祖母の従妹に2006年のエリザベス女王杯を繰り上がりで優勝したフサイチパンドラ。
騎乗した船橋の左海誠二騎手は2009年末の東京2歳優駿牝馬以来となる久々の南関東重賞制覇。第6回と第7回を連覇していて,4年ぶりの鎌倉記念3勝目。管理している船橋の林正人調教師は第7回以来の2勝目。
第二部定理九の冒頭は,現実に存在する個物の観念となっています。これは諸定理の配置の意図から考えると,スピノザが直前の第二部定理八系を念頭に入れていると類推することができます。すなわち個物の存在,この場合には個物といってもとくに神の思惟の属性の個物である個物の観念のことですが,それにはふたつのあり方があるわけですが,そのうち,とくに個物の観念が現実に存在するといわれるような場合の原因と結果の無限連鎖を示していると考えられることになります。
ただし,個物の観念というのは,それが現実的に存在するようになったからといって,それは神の思惟の属性に包容される限りで存在するといわれている,もうひとつの存在のあり方を停止するというわけではありません。むしろ個物の観念が現実的に存在するといわれるようになれば,その個物の観念は,神の思惟の属性に包容されながら存在しつつ,また,現実的にも存在するようになるのです。
このことは,第一部定理一九からそうであるといわれなければなりません。この定理から神の思惟の属性が永遠であることは明白ですが,そうであるならその永遠である神の思惟の属性に包容されて存在している場合の個物の観念も永遠であるとみなされなければならないからです。いい換えれれば,個物は神のある属性に包容されて存在しているとみなされる場合には永遠に実在するのであり,現実的に存在するといわれる場合にはある一定の持続のうちに存在するということになるのです。要するに個物の存在のふたつの様式とは,一方は個物が永遠に存在する様式であり,もう一方は個物が持続のうちに存在する様式であるということになるでしょう。したがって,僕は個物の本性のうちには,それが現実的に存在するものであるということ,いい換えればある持続のうちに存在するということが含まれていると考えていますが,これは厳密にいうならば,個物が現実的に存在しているといわれる場合にのみ妥当するといえるかもしれません。少なくともそれが個物の本性として意味を構成し得るとすれば,それが一定の持続のうちに存在しているという場合に限られるようには思えます。
大外からアイディンゴッテスが逃げました。ただしウィンゲイルはほとんど並び,向正面に入るとクラグオーも並び,3頭が雁行に。その後ろはヒカリワールドとミータロー。そしてマハッバとインサイドパーク。かなりの変則ラップですが,全体としてみればハイペースの部類でしょう。
3コーナーでアイディンゴッテスは一杯。ウィンゲイルが先頭で外にクラグオー。直線はまずこの2頭の競り合いで,これはクラグオーが競り落としました。その外からミータローが並び掛けましたが,これもクラグオーが凌ぎます。しかし大外からインサイドパークが伸び,ゴール前で差し切って優勝。クビ差でクラグオーが続き,1馬身半差の3着にミータロー。
優勝したインサイドザパークはデビューから連勝した後,2着が2回。ただその2回も1番人気に推されてのもので,南関東勢では有力と目された1頭。このレースは北海道勢が力を発揮すると上位というのが例年の傾向で,今年の2頭は逸走もせず力を出しました。それを抑えて勝ったのですから,わりと高いレベルにある馬と考えてもいいのではないかと思います。父はタイムパラドックス。祖母の従妹に2006年のエリザベス女王杯を繰り上がりで優勝したフサイチパンドラ。
騎乗した船橋の左海誠二騎手は2009年末の東京2歳優駿牝馬以来となる久々の南関東重賞制覇。第6回と第7回を連覇していて,4年ぶりの鎌倉記念3勝目。管理している船橋の林正人調教師は第7回以来の2勝目。
第二部定理九の冒頭は,現実に存在する個物の観念となっています。これは諸定理の配置の意図から考えると,スピノザが直前の第二部定理八系を念頭に入れていると類推することができます。すなわち個物の存在,この場合には個物といってもとくに神の思惟の属性の個物である個物の観念のことですが,それにはふたつのあり方があるわけですが,そのうち,とくに個物の観念が現実に存在するといわれるような場合の原因と結果の無限連鎖を示していると考えられることになります。
ただし,個物の観念というのは,それが現実的に存在するようになったからといって,それは神の思惟の属性に包容される限りで存在するといわれている,もうひとつの存在のあり方を停止するというわけではありません。むしろ個物の観念が現実的に存在するといわれるようになれば,その個物の観念は,神の思惟の属性に包容されながら存在しつつ,また,現実的にも存在するようになるのです。
このことは,第一部定理一九からそうであるといわれなければなりません。この定理から神の思惟の属性が永遠であることは明白ですが,そうであるならその永遠である神の思惟の属性に包容されて存在している場合の個物の観念も永遠であるとみなされなければならないからです。いい換えれれば,個物は神のある属性に包容されて存在しているとみなされる場合には永遠に実在するのであり,現実的に存在するといわれる場合にはある一定の持続のうちに存在するということになるのです。要するに個物の存在のふたつの様式とは,一方は個物が永遠に存在する様式であり,もう一方は個物が持続のうちに存在する様式であるということになるでしょう。したがって,僕は個物の本性のうちには,それが現実的に存在するものであるということ,いい換えればある持続のうちに存在するということが含まれていると考えていますが,これは厳密にいうならば,個物が現実的に存在しているといわれる場合にのみ妥当するといえるかもしれません。少なくともそれが個物の本性として意味を構成し得るとすれば,それが一定の持続のうちに存在しているという場合に限られるようには思えます。