Sightsong

自縄自縛日記

山本義隆『私の1960年代』

2015-11-26 23:47:36 | 政治

山本義隆『私の1960年代』(金曜日、2015年)を読む。

長いこと、全共闘での東大闘争時代の活動について沈黙を守っていた山本氏が、ようやく、当時を振り返った本を出した。非常に興味深く、また、単なる昔話にとどまるものではなく、現代においてこそ読まれるべき本である。

近代日本は三度の理工系ブームを経験しているという。最初は明治維新直後、二度目は昭和十年代、三度目は1960年代である。そのすべてが戦争に関係している。一度目は西欧の軍事力に圧倒されたため、二度目は戦争遂行の強化のため、三度目は朝鮮やベトナムという他人の土地での戦争に加担することによる経済成長である。大学教員たちは、その構造にも歴史にもまったく無自覚であった。

今また、文科系を縮小しようとする政策と、軍事産業の拡大による経済成長をねらう動きとにより、四度目のブームが見えてくるのかもしれない。社会と隔絶された場での純粋な研究活動などありえない。それは倫理の問題でもあるが、そのことは置いておいても、少なくとも可視化されなければならない。ノーム・チョムスキーが産官学の結びつきの実態を示しているように(ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』など)。

山本氏は「民主主義」というシステムについても思索する。「民主主義」が本来の姿から離れてゆき、抑圧のための仕組みと化していくという本質である。慧眼というべきである。

「体制の支配機構にビルトインされ制度化された民主主義は、少数者の権利を保障し防衛する強力な機構なり市民のあいだでの理解を欠いているならば、少数者としての当事者の正当な権利を多数者の総意として「民主的」に抑圧する機構に転化することになります。公害や開発にともなう犠牲を押し付けられた当事者の異議申し立ては、多数者により「大局的見地から」押さえつけられ、追い込まれたその人たちの抗議行動が実力闘争の形をとる時には、「民主主義」の立場からの非難がその人たちに集中することになります。」

●参照
山本義隆『原子・原子核・原子力』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
山本義隆『熱学思想の史的展開 1』
山本義隆『熱学思想の史的展開 2』
山本義隆『熱学思想の史的展開 3』
山本義隆『知性の叛乱』
石井寛治『日本の産業革命』(本書で引用)
榧根勇『地下水と地形の科学』(本書で引用)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
積ん読状態 (ひまわり博士)
2015-11-28 11:59:35
買っておいてなかなか読めていません。『知性の叛乱』から連結してみると、興味深いなあと思っています。
Unknown (齊藤)
2015-11-28 16:19:54
沈黙を破ったことで「神秘感」のようなものはなくなってきましたが、そんなくだらぬことよりも、氏の蓄積した経験と知性とを示してくれることは嬉しいことです。これも素晴らしい本だと思います。

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