LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

無知は罪?911とイスラムと

2010-12-17 01:21:36 | 本・映画
 

今日はまじめブログです(いや、いつもだって真面目だけど

『スリー・カツプス・オブ・ティー』

よかった。とってもよかった~。ぐいぐいと惹きつけられて寝る間も惜しんで読んでしまった。ぜひぜひいろんな人に読んでもらいたい一冊
いろんな思いがあふれすぎて、何から書いてよいか分からないのだけれど、この話が物語ではなく、ノンフィクションであるということ感動し、全米で360万部を超えるベストセラーになったという事実に明るい未来を感じました。美しくも想像を絶する厳しい自然の中に気高く生きる村人たち・・・イスラムに対する印象がガラリと変わると思います。

≪内容(BOOKデータベースより)≫
1993年、ひとりのアメリカ人男性がK2登山に失敗し、パキスタンの小さな山村で助けられた。村人たちの手厚いもてなしに胸を打たれた彼は、恩返しをしようと再びこの地に戻り、「女子のための学校を作る」と約束する。だが、お金もツテもない。しかもそこは女性の権利が制限され、タリバンのような過激派が勢力を広げる保守的なイスラム社会。いにかして男はこの無謀な取り組みを成功に導いたのか。全米が熱狂した真実の冒険ストーリー。


就職を考えた時期、国際協力に携わりたいなあ、と思っていました。でも、いつも偽善が目につき、自分の中の矛盾、壁にぶちあたり、誰のための何なのかが分からなくなり、ぐるぐるするパターンでおしまい。この本は、そんな自分の中でモヤモヤしていた部分に色々と答えをくれた気がします。
西欧の価値観の押しつけではない、現地の人たちの喜ぶやりかた。それが尊重されていてとても嬉しかった~。そして、もうひとつ嬉しかったのは、こういう本が出ることで、イスラム世界への偏見が少しなくなるんじゃないかということでした。

私自身に関しては、特に誰かに何か言われたわけではないけれど、なんとなくイスラムってこわいものだとずーっと思っていました。キリスト教の環境で育ったこともあってか、ネガティブなイメージしかなかった。
それが、ガラリと変わったのは大学時代に留学した先にて。ムスリム(イスラム教徒)の留学生がたくさんいて、急に身近な存在になり、ある意味カルチャーショックだった。全然こわくないじゃ~ん。排他的でもない。キリスト教も、仏教も、無宗教も、イスラム教もみ~んなで仲良くBBQしてる。ハラルと呼ばれるイスラム方式で清められたお肉を先に焼いて、その後から普通のお肉を焼く。なんだ、共存できるんだ、と目からウロコ。
帰国してから興味を持って、イスラム関係の本を探したけれど、これがほとんどないの。けれど、見つけた数少ない本の中で書かれていたことが印象的だった。みな、イスラム過激派の攻撃ばかりに焦点を当てるけれど、小さなムスリムの村で何の罪もない女子供がキリスト教徒によって虐殺されてる事実は全然報道されない。キリスト教の西欧人とムスリムとどちらが一体野蛮人なのか・・・。自分がいままで聞いていたニュースっていかに偏った見方からの報道だったのか知って愕然。それ以来マスコミの報道は鵜呑みにしないよう心がけるようになりました。

そんなこともあり911の事件があったときは、過熱する報道に不謹慎かもしれないけれど、正直嫌気も・・・。もちろん、もちろんニ度と繰り返されてはならない悲劇なのだけれど、ひとつの側面からしか見ない報道の在り方に嫌気です。(ちなみに911に関しては、私はアメリカの自作自演説に一票派)。自分たちが旅行する先である身近で憧れのNYが攻撃されてはじめて「平和を!」と思うのって、どうなのって。名もないムスリムの村で爆撃に合う村人たちのことは報道されない。NYに追悼に行く人は後をたたないし、感情移入できるように個人個人のライフストーリーがTVで次々に流されるけれど・・・身近じゃないムスリムの人たちの死は、まるでゲームの中の単なる数字であり、個人個人が見えてこない。命の重みは平等じゃないんだろうか?そんなことを思いました。
この本の中でムスリムの人が真剣に言う言葉

「お気の毒です。ニューヨークという村が爆撃されました」

そう、NYも数ある爆撃された村の一つなのです。身近な村から平和を考えるのはよいけれど、ほかにも村はたくさんあること、私たちは知らなければいけない。

本の中で、「無知が敵」という言葉が出てくるのだけれど、実は私がもっとイスラム教について知らねばと思った理由は、ムスリムの友人からの強烈な一言だったのです。それは、

“Ignorance is sin(無知は罪)”

というもの。ガツーンと頭を殴られた気分。ものすごく責められた気分で、それは言い過ぎなんじゃないの?って当時は思いました。無知は恥くらいでいいんじゃないの、って。
でも無知が誤解につながり、人の命を攻撃することにつながるならばやはり罪なのかもしれない、と今は思う。いや、無知(知らない)ということより、“知ろうとしない”ことが罪なのかもしれない。だって愛の反対は憎しみではなくて、無関心だもの・・・。無関心が愛のない行動につながってしまう、きっと。

ちなみに本の中で、「国が爆弾でテロに対抗するのに対し、この本の主人公グレッグは教育でテロに対抗している」と書かれているのけれど、そこはちょっと違和感をおぼえました。なんだかやっぱり西欧のほうが上でイスラム社会が下のニュアンスを感じてしまうのは気のせい?う~ん、うまく説明できないけれど、対抗というより彼は恩返しの気持ちのほうが強いと思う。確かにグレッグが学校をたて、過激派ではない教育を施すことによってテロリストを生み出すことを避けることが、平和につながっている。でも、お金こそ西欧からの援助だけれど、読んでいるとイスラム社会から教えらることのほうが多い気がするし、グレッグ自身もそう思っていると感じるのです。シンプルで、深い教え。

日本にいたらムスリムの人と接触する機会を作ることのほうが難しいけれど、こういう本を入り口に知っていきたい。チビたちには、絵本で。先日も紹介したチビが選んでくれた絵本、アフガニスタンの村を描いた小林豊さんのシリーズ『せかいいちうつくしいぼくの村』などに親しんでいれば、その村が戦争でなくなることはひとごとではなくなるはず。
大学受験の予備校で、平和を訴える塾講師が繰り返し繰り返し言っていたこと。
「問題は他者への想像力の欠如なんです!」
他者を知って、想像できれば痛みも分かる。実体験じゃなくても、絵本や本は他者への想像力を養ってくれる素晴らしいもの。平和とか口にするのは苦手なのだけれど、でも、相手を知ることが平和への一歩で、私たちにいますぐできることなのかな、と思うのでした。

まとまりのない文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


まずは知ってみよう、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
う~ん (Pattorine)
2010-12-17 05:36:40
そうなんだよね。
ムスリムでもクリスチャンでも、仏教徒でも他の宗教を信じている人でも。
良い人も、悪い事をしてしまう人もいるんだよね。
クリスチャンでも白人だと排他的な人もいるし(特にヨーロッパ系ね)。

イスラム過激派がテロを起こすからと言って、ムスリム全員が悪いわけではないんだよね。

私もトルコ人のムスリムと仲良くなって、ムスリムに対するイメージが払拭されたよ。
友達は、同じくトルコ人のムスリムと結婚してトルコで暮らしているしね。

でもその反面、厳しい戒律を守っている人たちだからなんだろうけど、パキスタン系イギリス人は、自分たちの戒律に反する他の人(私とか)の行動を許せないところもあったみたい
私がイギリス人の親友とお酒を飲んでいたら「PattorineはJ(親友)がする悪い事全てを真似する。今すぐやめろ!」と言われて、若かった私はJと二人で怒り狂った事もあったよ(笑)。
そんなムスリムの彼は、普段は本当に穏やかで優しく、思慮深い人だったからちょっとビックリした部分もあったよね。
でも今思えば、彼からしたら、悪から救ってくれているような気持ちだったのかも知れないね。

私たちからしたら、頭に来る出来事だったけど、彼にとっても目の前で飲酒されたのは不愉快だったのかも知れないよね。
信じている物や生まれ育った環境が違えば常識や価値観が大きく違っても不思議はないんだよね。

違いを排除しようとしないで、もっとお互いの違いを認め合う事が出来れば、世の中平和に一歩近づくのかもね・・・。

色々考えさせられました。
本読んでみるね~!!
Coccoも言ってた (あいぴょん)
2010-12-17 11:46:50
Coccoも「まず知ること、考えること、そして行動すること。知らないのは罪」って言ってた。
あと、「みんなが自分の国を大事にするように他の国を大事にすること。これが世界平和さ~」ともね。
Unknown (相方)
2010-12-20 20:52:11
確かに辞書では無知と書いてあるんだけど、無知=知らないではないね。意図的に知ろうとしない、という和訳も無理があると思う。聖書では、知りたいという欲求が神の教えに反し、果物を食べる罪を犯してしまうことを描いている。つまり、無知は罪という考えと相反している。

大切なのは、
・相手へ思いを馳せること
・許容(受容)すること
・許すこと
・欲張らないこと
だと思う。
これらが出来れば、インドやアフリカその他の国々で宣教をして、相手を救おうという上から目線な対応は必要無かったと思う。実際に救われた人も居るのは事実だけれど、知らないで居た方が幸せだったと思う。上から目線な対応が支配欲の表れで、エスカレートして略奪・破壊・戦争に繋がっている。

これでは、まるで「宗教は良くない」という論調になってしまってるけど、そうではなく、無知でない人々が関わり宗教を悪用している。「神の名にかけて」というフレーズで戦争などを正当化しようとしているけど、それを聞いた神様はきっと怒ってると思う。
お返事 (enjoy_lohas(管理人))
2010-12-24 00:53:58
≫Pattorineさん

反応してくれてありがとう!
やっぱり留学組はこういうの身にしみるよねえ。
ムスリムって知らないから、なんか不気味で。でも、涼しい顔して大量殺人してるのはスマート
などこかの☆のついた旗の国の大統領では!?
どちらの面から見るかだなー、って。
私の好きなガンジーの言葉
「多様性の統一ではなく、統一の多様性を」
そうよね、って思うのでした。
読んでみてね~。


≫あいぴょんさん

伝達手段の少ない昔ならともかくすぐそこに
情報がたくさんあるのに知ろうとしないのは
罪なのかもしれないね。
でも、最近凶悪犯罪のニュースとかは知りたく
ない私でもあります。矛盾してるんだけど。


≫相方よ

『パパラギ』という本を覚えてますか?
押しつけがましい宣教師のように伝えるほう
が悪くても(!?)、真理は伝わるのよね。
だから、各地の先住民族たちは西欧の価値観は
受け入れなかったけれども、キリスト教の神様
だけは自分たちのアミニズムに取り込んで独自
の宗教観を作り上げていった。なので、知らな
いでいたほうが幸せだったかは分からないな。
ムズカシイなあ。答えはまだ出ませぬ~。