母が旅立ちました。68歳でした。
世間的には決して早すぎるという年齢ではないけれど、私たちにとってはやっぱり早すぎました。
いくつになっても、母の存在というのは大きく、何とも言えない感情がぐるぐる渦巻きます。
子供がいることもあり、私はあまりにも普通に日常生活を送り、平然としているように見えるようで周りからは驚かれますが、それには訳があります。それはまた別途。今日は葬儀のことを書き綴りたいと思います。
母の葬儀のこと、こんなことブログに書くべきじゃないのかもしれません。
でも、ひそかにこのブログを応援してくれていた母、こんな葬儀の形もあるのよということを書いてね、と言われているような気がして。私が嫌がるので、母は一度もこのブログを読んだことはありませんでした。が、ことあるごとに「これ、ブログに書いてよ」なんて言っていたので・・・。
残された人々にできるだけ負担をかけたくない、そんな思いから数年前の元気なときから両親は遺言書を書いていました。葬儀のスタイルはもちろん、死後連絡してほしい友人のリストなどなど。これ、ホントに助かった!私も書かなきゃ~。
何か予感があったのでしょうか?旅立つ一週間前には葬儀で流してほしいBGMがMDに編集されていました。
我が家は自分の葬儀はこうしてほしい、ああしてほしいとオープンに楽しく話し合うような家庭だったので、母の希望は大体は把握していたけれど、一時期の友達も呼んで楽しくという希望は最後のほうにはなくなっていて、本当にごくごく内輪の家族だけ・・・となっていました。自分の血縁兄弟、夫、子供とその配偶者、孫、姪、甥のみのわずか13名の参列。受付なし、弔電読みもお香典も一切なし。見栄や価値観さえも、本当にいろんなことがそぎ落とされ、シンプルになっていました。
自宅でのお通夜も、心にじんわりと残る思い出深いものとなりました。
しめっぽくなく、父、兄夫婦、私たち家族だけで、子供たちがいることもあり、いつものようににぎやかに楽しく会食。夜だけれど、母が大事にしていたティータイムを、母が大好きだった日影茶屋の林檎のシブーストと紅茶で。
その後は、兄嫁、殿&子供たちには失礼してもらって、父、兄、私の“母の築いた家族”だけで、母のアルバムをめくりながら思い出をしみじみ語り合い・・・寝る前に母に言えなかった感謝や懺悔の気持ちをそれぞれが手紙にしたためてお棺に入れました。母とそれぞれが向き合う、静かでとても大切な時間を持てました。
母はクリスチャンだったので、葬儀はキリスト教式でしたが、牧師も呼ばないスタイルでした。
信仰深く、毎日の生活が祈りと共にあった母でしたが、教会の人間関係、教義に疑問を持ち、ここ数年は、「神は生活の中にあり」と教会に通うことはすっかりやめていたのです。
式場には母の切り絵をできるだけたくさん、飾りました。
母の姪と私(!)の伴奏で、讃美歌312番と320番を歌い、兄がリードして詩篇23篇をみんなで交読。母はプロテスタントでしたが、カトリックの姪がアッシジの聖フランシスの祈りを朗読してくれて、これがとってもよかった。自分の葬儀のときもこれを朗読してもらいたい!って思ってしまった。父も同感だったもよう。
お線香の代わりの献花は優雅な気品溢れる白バラを選びました。献花のときに流れていた母セレクトのBGMが心にぐっときてしまって・・・。『地球交響曲第六番』のサントラの中から鯨の歌とカッチーニのアヴェマリアでした。バッハでもグノーでもシューベルトでもなく、カッチーニ!なんて切なく胸に迫ってくるのでしょう・・・。
火葬場で、通常お坊さんがお経を唱える場面では、父のハーモニカの演奏で讃美歌405番を。
卒業式でよく歌われる讃美歌で、「神ともにいまして、ゆく道を守り・・・また会う日まで」と力強く送り出す曲です。
本当に本当にまた会う日までという気持ちになれて・・・これからも違う形で母は見守っててくれる、これからも母との関係は続いていく、と確信しました。
正直、参列したがっていた母の仲の良い友人たち、ご近所さん、父方の親戚をここまで頑なに断る必要があったのだろうか?来たい人は来てもよかったんじゃないか?そんな思いもよぎりました。ましてや、語弊があるかもしれませんが、とても素敵な葬儀だったので、もっと多くの人に見てもらいたかった、そんな思いも抱きました。祈りと賛美と花に満ち溢れたお別れのときでした。
でもね、前日にピアノの伴奏を何時間も練習したり、参列者に配る母伝授のお菓子を兄嫁さんと一緒に焼いたり、アルバムを何度も何度もめくって思い出を語り合ったり、母に手紙を書いたり・・・こんな余裕は受付や香典返し、挨拶に抜かりがないように、などなどで頭がいっぱいになってたらできませんでした。よく葬儀前後はバタバタで悲しむ余裕もないというけれど、余裕があったおかげで、悲しむというより母との思い出にじっくりと浸り、心からのお別れをすることができました。
何も葬儀に出席することだけが、故人を思うことじゃない。むしろ、出席したらそれだけで終わってしまうかもしれないけれど、母の元にはその後思い出をしたためた手紙がたくさん届きました。母の友人たちもそれぞれ、母の思い出としみじみ向き合う時間を持ってくれたんだな、と知れて嬉しかった。
伝えたかったことがたくさんあった母、でも表現する場のなかった専業主婦だった母。
このブログもしばらくは母追悼シリーズになりそうです。長くなりますが、よかったら、お付き合いください。