LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

単純で深い

2012-01-24 16:06:42 | 


大切なことっていつもシンプルだなー、って思う。
言葉は多くいらない

しかし、私の場合は・・・はい、簡潔なブログ書けない連盟会員でーす
なんかついどうしてそうなったか経緯という過程の気持ちまでつらつら書きたくなってしまうのよね~

先日、図書館で育児雑誌クーヨンをぱらぱらめくっていたのですが、ちょうど俳句特集でした。
五七五の世界、まさにシンプルの極致!

ちゃんと読んでないけど、俳句こそまさに日常の中にきらめきを見つけるってことなんだなあ、としみじみ思う今日この頃なんです。かといって私には思いつかないのだけれど

うちの場合は両親が短歌と俳句をしていました(父は継続中)。母は還暦のときにいままで作った短歌の自選ベストをまとめていたのだけれど、それらを読んでいると、不思議と写真よりも遥かにそのときの情景や心境が目に浮かんでくるのです。短文の中にぎゅっとエッセンスが閉じ込められていて、ひとつひとつの言葉自体の持つ深さがとてつもない存在感を持って語りかけてくるとでも言うのかしら・・・。小さな箱を開けたら、ぱぁっと中の光が輝き放たれる感じ?
思い出の小箱たち。


単純で、深い
祈りが、こもる。

母は理想とする生き方を一ページ目に書いていたのだけれど、辞世の歌となりました。
それに対する父の返歌に、ちょっとうるっときてしまった。死んだ直後はもう俳句も作れないと落胆していた父だったけれど、詠むことは供養になると仲間から言われて復活したのです。

母の辞世の歌 

静かなるみやこわすれの花に似て
          清楚に深く一生(ひとよ)ありたき 

父の返歌

     つつましきみやこわすれの静けさを
            わが身と生きし君を忘れじ   



なんかうらやましい関係だなー。

美しいモノが好きで、音楽はクラシック、美術はヨーロッパのもの、複雑な飾りのほうが好きだったように思えた母。バラのほうを好んでいるかのように見えたけれど、根底は常に野の花があった。モノのない時代に育った母にとって、初めてみた海外の美術品やクラシック音楽は心揺さぶる衝撃だった。でも、短歌を通し、日常のきらめきに目を留めていたら行きつくところは結局シンプルだったんだなあ。


私の好きなマオリやネイティブハワイアンなどの先住民族の人たちの言葉もすべてシンプルなんです。語彙が少ない、けど深い。
日本もどちらかというとそちら寄りなのかな、なんて。

短歌・俳句の世界、日本の美、残していきたいなあ。
どなたかー(笑)?

※ 写真はダイコンの花です。大好きな野の花のひとつ。


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今年のテーマはアン!?

2012-01-08 01:43:55 | 
  

はい、とっくに明けちゃってますね
昨年は拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!

さてさて、年末は父と宮古島で過ごして来ました~。沖縄の海の色が一番好きと母が言っていたので遺影を持ってね。チビたちのせいで?おかげで?なんともにぎやかな明るい旅となりましたが、宮古島レポートはまた追い追い~。どこまでも続く色とりどりの碧い海、乳白色の砂浜、汚しちゃいけない!って思いました。

えー、今年の抱負。毎年個人的なことここで宣言してどうするんだという思いもありますが、宣言すると後には引けない効果がありまして昨年は、女優への道&裁かないこと、なーんて掲げてました。一昨年よりは宣言したことで常に意識し、少しは進歩できた気がします・・・家族以外に関しては 今年は、それをきちんと家庭内でもできるようにすることですね、ハイ。なんとも低レベルな目標。まずは足元の家族でしょーに。はい、心します

もうひとつ今年のテーマは 

「世の中を美しくすること」

これを日々意識していきたいと思います。あー、書いちゃった。ちょっと恥ずかしいけど、宣言しちゃった これ、どこから来ているかというと・・・バーバラ・クーニーの『ルピナスさん』という絵本、みなさん御存じでしょうか?チビもお気に入りです!

 

「世の中を美しくするために何かできることをしなさい」とおじいさんから教えられて育ってきたルピナスさん。おばあさんになってしたことは村中にルピナスの花の種をまいて、花でみなの心をあたたかくすることでした。絵本なので短いけれど、深い!
これを読んだとき、亡き母が生涯を通じて愛してやまなかった『赤毛のアン』シリーズのアンの生き方を思い出しました。シリーズ第二巻の中でギルバートが人類に恩返しするため医者になりたいと告白するのに対し、アンはこんなことを言うのです。

「あたしは人生の美しさを増したいと思うの」とアンは夢みるように、「人間の知識をもっと深めたいというのとは少しちがうわね・・・もっとも、それこそ一番気高い理想だということは知ってますけどね・・・でも、あたしは、自分がこの世に生きているために、ほかの人たちが、いっそうたのしく、暮せるようにしたいの・・・どんなに小さな喜びでも幸福な思いでも、もしあたしがなかったら味わえなかったろうというものを世の中へ贈りたいの」

これこそ母も目指していた生き方でした。そして、多くの私の友達も確かにそれを母から受け取ったと言ってくれています。母と私は性格も違うし、やり方も違うけれど、でも大きな枠で同じような生き方目指したいな、と。余談ですが、最後に母が読んでいた本、枕元にあった本はアンのシリーズでした・・・

あー、こうやってここで宣言しちゃうとまた家族から「そんなこと言って全然実践が伴ってない!」と言われちゃうんだろうな~よし、言わせなくってよ~。
母と違って、細やかさに欠け、雑な私なので“美しい”という表現にあてはまることはできないかもしれないけれど、でもひとつひとつの出会いを大事にして、相手が何かほわっとした気持ちになってくれたらいいなー、と思います

2012年、種まきの年。

今年もみなさまにとって、あたたかいものが心にいっぱい流れる一年になりますように


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楽しや遺品整理

2011-12-20 11:26:35 | 
  

父より母が先に逝ってしまった場合、遺品整理は往々にして娘の手にかかるのではないでしょうか?
私は別に頼まれたわけでもないけれど、この片付け下手な私が!!!何かにとりつかれたかのように猛烈整理に勤しみました~。うん、がんばったよ、私
今回のことで、我が家はボーイズ2人・・・本気で女の子がほしくなりました。整理のためだけじゃないけど!

がんばったとはいえ、母は残された人たちが困らないようにと色んなものを整理してくれてありました。それでも、こんなに大変なんだもの、何もしていなかったら・・・とつくづく準備の良い母に感謝で、ひと段落したら私も自分ち断捨離するぞーって燃えてます。膨大な写真も独身時代、新婚時代、家族編、旅行編と数冊にまとめあげてあったのはお見事。人生がシンプルにぎゅっと凝縮されていました。

さて、遺品整理。多分一番困るのは個人的な写真や日記でしょう。子供たちが読んで戸惑うであろう内容のもの(恋愛の話とか?)は元気なうちに全部自分でまとめ、処分してありました。私たちへのメッセージがいっぱいつまった子育て日記や手記だけ手許に残して。私もやろうと決意。少なくとも半生はもうまとめられるはず。あー、もうそんなに生きちゃったか(笑)。

かなり整理はしてありましたが、洋服類は手つかず。本人も生前「やらなきゃやらなきゃ」と口癖のように気にしていたけれど身体がだるくてできないと言っていたので、まずここから着手。呆れるほど(笑)、新品の服やらクリーニング済みの高級な服が出るわ出るわ。おしゃれだった母がこれらに腕を通すこともなく、おしゃれの気力もなくなっていたんだなあと思うとちょっとしんみり。
若い頃茶道をしていたので、着物類もいっぱい。私はサイズが合わないので、写真のように帯だけ数点インテリアとして残しました。海外ではOBIアートとしてオリエンタルなおしゃれとして楽しまれてるのですよー。まあ、このセンス、分からない人もいるみたいですが・・・私は好きです。

さて、山積みの洋服。まずは資源ゴミに出さざるをえないものを処分。残りは、日本ではそのまま着れないけど、海外なら十分通用するものは古着リサイクルシステム『フルクル』へ。こちらは国際協力NGO、ブリッジエアージャパンが運営しているもの。
新品同様のもの、高級服はWe21ジャパンに寄付しました。寄付されたものはそのままショップで売られ、住むまちでリユース・リサイクルを進めるとともに、その収益 で、アジアの女性たちが自立して暮らしていけるよう民際支援を展開するというもので、なかなかしっかりしたビジョンを持ってて素敵なところ。常にどこかに寄付して、恩送りをしていた母なので普通のリサイクルショップに売って自分が収益を得ても、その収益はきっと寄付に使うだろうと思い、最初からWe21さんみたいなところに持って行きました。少しでも活用されたら嬉しい。

あとは、母が溜め込んでいたのはきれいな箱類や包装紙などなど。クリスマスの時期になるとたくさんクッキーやマドレーヌを焼いて、きれいにラッピングしてお世話になった人たちに送ってたんですよねえ。
だから、今年は代わりに作りました。5種類!結構大変で、これ母一人でやってたのかあ、とびっくり。不器用な私に代わって、兄嫁さんがきれーーーにラッピングしてくれました!母と同じように。これで、溜め込んでいた包装類もほとんど使い切り!達成感!
母が送りたかったであろう、母の友人たちに送り、そのやりとりもほっこりしたものとなりました


遺品整理というとあまりいいイメージがなかったのだけれど、実際にやってみるとまるで母と対話をしているかのようでした。だから楽しかったー
「なんでそんなに急ぐの?」とちょっと情が薄いようにも思われたかもしれないけれど、遺品整理って故人と向き合う作業だと思うんです。そんなことを思っていたら、その思いを見とおしたかのような断捨離メールマガジンが届いて、そのタイミングにもびっくり。遺品整理は故人を忘れるためではなく、逆に発見する、前に進むための作業なんですよね。

さんざ遺品整理がんばった私とか書いていますが、実際には自分の荷物も多かったのは正直に打ち明けましょう。ええ、兄や私の結婚前の思い出の品や荷物もたんまり。す、すみません、自分たちがスッキリ暮らすために実家に溜め込んでました~。というわけで、こちらも猛烈処分。卒業アルバムもサヨナラ~。人によっては大切かもしれないけれど、私にとってはスナップ写真の数々のほうが思い出深いと判断したので。
タンスが二つ、物入れケースが三つ、勉強机一つがサヨナラできました。あとは色んなものがバザー行き~。あー、爽快!

自分のものだと大したものないし、バッサバッサとゴミに出してしまうのだけれど、モッタイナイ世代の母の意向をできるだけ汲みながらできるだけ活かす方向で進めたので時間かかってしまった。けれど、満足です。

さあー、自分ちの断捨離やりますよぉ~・・・4月になってチビチビが幼稚園に入ったら(←おいっ)。


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ぷぷっと生き方上手

2011-12-16 02:26:46 | 
 

重い話題が続いたので、ここいらでほっとブレイク~

母は子育て中の子供に対する思いなど手記で残してくれていて、そのほとんどがじーんとしたり、涙ぐんだりする内容なのですが・・・私との会話をメモした束を発見~
あー、忘れてた。こういう楽しかった自分。まじめで神経質だった母は、母の小言やヒステリー(?)にもユーモアでかわす娘が楽しかったようです。こうやってかわして人生楽しんでいたのにな。生き方上手だったのになー。

いつの間にか大人になって忘れていましたよ、この感覚。・・・忘れていたというより、大人になって中にはこういう反応を「失礼だ」と真面目にとらえる人もいることを知って封印していったんだな
内輪ネタ多いけれど、母との思い出だから、懐かしい自分も書き記しておこうっと。

さて、ここにメモされた会話のほとんどは小学校2、3年の頃のもの。しっかし、この頃から基本毒舌だったんだわ
ちょっと説明入れときましょう。当時私は自分のことを“主人公さま”と呼び、自分が主人公の素晴らしい物語(人生)を謳歌していました。だから、会話も役者風(笑)。文字では声の調子を伝えられないのが残念ですが・・・。仮で母を花子、私を桃子としましょう(年長のとき桃太郎演じたので~)。

まず、メモの最初の一文を読んで「ちょ、ちょ、母上~」とずっこけてしまいました
そこには『赤毛のアン』シリーズをこよなく愛し、娘が生まれたらアンの末っ子で秘蔵っ子の“リラ”という名を自分の子にも付けようと考えていた母の正直な思いが・・・

「リラ・マイ・リラ」からリラと名付けたかったけれど、私たちの子ゆゑ、ゴリラの可能性ありで止めることにした。ないものねだりで美しい娘が欲しかったけれど、今はユーモアのある想像、創造力のがる我娘で本当に良かった。楽しい日々です。

って!!!つっこみどころ満載なんですけど!?こう書かれて傷ついたりするようなヤワな娘じゃあありません。当時の私は自信たっぷりで幸せでしたからね~。どんなに素晴らしい娘を持ったのか認識せよ、と日々家族全員にその布教に努めておりました(笑)。こんな感じにね。

【私って素晴らしい編】

◆自分を指して「これ可愛い子ちゃん」
母を指して「これ、こわい子ちゃん」

◆まあー、お母さま。そんな瞳で私をじっとみつめてはいやよー。
マダム・ヤ~ン。私のこの美しさをそんなにうらやまないで。

◆(母):「桃ちゃん幸せ?」
(私):「あったり前よ!!じゃあ、何かい?第四主人公、お前は不幸とでも言いたいのかね。」

◆心の貧しき者は幸いなり。天国は彼らのものである。
この家の人は幸いなり。なぜなら主人公様がいるからである。(聖書のパロディー)


【母の怒りかわし編】

◆あら、お母さん、忙しいといっても怒る時間は別にあるんだね。一日のスケジュールに入っているわけか。

◆君ィー、主人公さまに怒るとは何ごとです。お姫様をおこらせるとたたりがあるぞ!!

◆そう、それでいいのです、花子さん。自分の罪がよくわかりましたか?桃さまを叱ってはいけないのです。

◆(母):「お母さんって大変。病気でもお料理しなくちゃならないなんて」

(私):「お母さんだって、子供のときは充分いい思いをしてきたではありませんか。
でも、私だったら何といっても“夫に全部させちゃうな、ルンルン”」

◆お母さんは少しおこりすぎるんですよ。過保護でなさすぎるんですよ。

◆(母):「そんなこと自分でお決め」

(私):「おかーあさま。私今はどうしてか自立ができませんの。教えてください。お母さま教えて下さい」

(母):「いいえ、自分でお決め」

(私):「なに!困っている子供をたったひとつでも手助けしてあげたいと思うのが親というものではありませんか。神はまたこうも言われた。汝の子を愛しなさい。手伝ってあげないさい」

◆分かっていますよ。春の海のようなおだやかな心になりなさいでしょ。
でも、桃は今荒れ狂う夏の台風の心なのです。

◆(私)「お母さんせっかく病気になれたんだから、桃が全部してあげるからご安心ご安心」

(母)「もう少しきれにに拭いてね」

(私)「たいした病気ではないようね。子供を叱る元気はいっぱいあるから」

◆お母さん!そんなにえばるけど、私たちがいなければ親になれなかったのよ。感謝しなさい子供に。

番外編
◆(兄):「桃、おもちゃが落ちてるぞ。片付けろ!!」

(桃):「お兄ちゃん、この頃、評判が落ちていますよ」


【母のシワいじめ編】

◆(母):「あ~あ、もう四十才かあ」
(私):「まだまだ人生これからですよ。子供をしごいて鬼ババアとなって、死んでゆく仕事があるじゃありませんか」

◆お母さんごめんなさい!!!許してください。桃を産んだばっかりにこんなにおばあさんになってしまって。

◆お母さん、そんなに怒ると小じわがふえますよ。

◆(母):「桃とお母さんはあんまり似てないわね」
(私)「目と鼻と口があるのは似てるけど、私には小じわがありませんことよ。オホホホホホホ」

◆(母):「ああ、一日の終わり一年の終わりの何と早いことか」
(私):「ああ、お母さんの小じわのふえるのもなんと早いことか}



【食べ物編】

◆ただいま~。お母さま。今日はまず初めに悲しみのご報告をせねばなるまい。
なんとなんと算数のテスト75点とは。
でも、母よ嘆くでない。もうすぐ喜びのおやつの時間じゃ。

◆ああ、私は夢を見ているのだろうか。いや、しかし、肉体はここにある。
どれ、フルーツでも食べて確かめてみようか。

◆(母):「おやつはもう終わり」

(私):「お願いもうひとつだけ。美しくて、優しくって、天才的で何でもハイと言うお母さま。今日は小ジワも一段と美しく見えるお母さま。ああ、奥さまこの貧しい娘にどうかひとつお恵みを」

◆(私):「(意地悪婆さんそっくりの口調で)ハ・ナ・コさん、私のお皿の肉がみなさんより少し少ないようですよ」

(母):「だってあなたは一番小さいんだから当たり前でしょ。」

(私):「家で一番大きい胃袋はこの私なんざんすよ。分かりましたか、ハ・ナ・コさん!」


【その他

◆ああ、家も貧しければよかった!そしたら、お兄ちゃんと桃はケンカばかりしないで協力しあって生きてゆけるのに

◆ああ、ああ、桃さまただいま退屈病よ

◆(父):「ああ、昨夜は蚊との格闘で眠れなかったよ」
(私):「まあ素敵。何と男らしいんでしょ。格闘だなんて!」

◆(母):「いけない!また失敗しちゃった」
(私):「あのー、失礼なことお伺いしますが?お母さんになるための試験ってあったのでしょうか?」

◆(母の後を虫メガネで見て追いながら)奥さん、ずいぶん大きなお尻ですなあ


聖書や本の中のセリフからのパロディーも多く、こんな感じで、毎日の会話が楽しい家庭でした。懐かしいなー。
私もイラっとしても子供にこういう風にかわされたいわん。日々“真剣”ではあっても“深刻”にはなりたくないなー。やっぱり人生笑いよねー

※写真:母の親友が訪ねてきたとき、母を真似て庭から摘んだ花飾ってみたけれど、やっぱりなんか洗練されてない~


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母の昇天祭

2011-12-12 01:29:25 | 


母の追悼特集にブログをしようと思いつつブログ放置して早1カ月・・・いやー、早かったです。

前回葬儀のことをブログに書いて、内心ドキドキでした。不謹慎と思われるかな?とか個人的すぎることブログに書いてどうすんの?とか。
でも、たあくさんの個メールやお手紙をいただいて、予想外でびっくりでした。音信不通だった人や懐かしい人たちからも。特に中高時代の同級生からは、私が忘れていたエピソードや思い出を書いてくれていて、1~2回しか母に会ってない人たちからも、お決まりの文句ではない、母との個人的な思い出を書きつづってくれていたのがとっても嬉しかった

普通の人が「ま、いっか」と手抜きをするところを、母は逆に“もうひと手間”かける人だったんだよ、と父。庭からつんだ花を添えたりね。
小さなことかもしれないけれど、これがなかなかできない。それが一人一人の中で母の印象を大きくしていたんですね。一回しか会ったことがないのにこと細かに母との思い出を覚えていてくれている、あらためて母はいろんな人の人生にじわじわっと影響を及ぼしていたのだなあ、としみじみしてしまいました。
専業主婦だったのに。外で活動していたわけではなく、ただ「日常を丁寧に、輝いて生きる」、それが全てだったのに。その母の大事にしていたことが、みなさんの心の中に残っていたことが、すごく嬉しかった。ありがとうございました。

今日はそんな母の昇天祭でした。
昇天祭とは、仏教でいう四十九日のようなもの。特に決まった形式はないので、今度は自宅でまたまた音楽葬。母の希望でもあったのでね。前回の葬儀の話がとても参考になったというご感想を多数いただいたので、昇天祭についても書かせていただきますね。自分の記録、記憶としても・・・。

不思議なことに、1ヶ月後が昇天祭と知らない人たちから、まるでこの日に合わせるかのように続々とお花が届きました。
これまた別途書くつもりですが、今回母の死に関してはいろんなことが母の思惑通りに進むというか、母の手のひらで回されれるというか・・・すっかり母のペース。不思議なことがいっぱい。肉体の終わりは魂の終わりではないんだな。

さて、自宅での式。
たくさんのお花に囲まれてほほ笑む母の写真の前にみなで座り、母の指定していたヘンデルのラルゴでまず黙祷。
迷ったけれど、今回も讃美歌を2曲歌いました。私のつたない演奏で。ピアノ習ってよかったと初めて思いました。娘が自分の葬儀や昇天祭で伴奏するなんていかしてるじゃないか(←自分で言うなって!?)だけど、だって私も自分のときは長男に弾いてもらいたい~

今回の讃美歌は「主我を愛す」という有名な曲で、この曲と葬儀のときに歌った「いつくしみ深き」は、実は私の中で2大キライな曲・・・というか「え~、また?」的な飽き飽きした曲だったのですが、不思議とこの2曲は私が本当にまだ幼くて母の庇護下にあった懐かしい時代が蘇ってくるのです。歌の力って不思議・・・。母にとって母と子の関係が蜜月で黄金時代だった、母が一番愛しんでいたあの時代。私が二児の母になったいまでも、きっと母の中の私や兄は、いつまでたってもあの讃美歌の頃の小さな子供たちのままだったんだろうなあ。そんな気がしてなりません。

話を式に戻してっと。
聖書朗読はピンと来る箇所がなかったので、しませんでした。自分たちがピンと来ないものはやめようと父と意見一致して。

葬儀のとき普通は弔電というのがありますが、母の場合は全て手紙で事後報告で送ったので、電報ではなく、たくさんの心のこもった直筆の長いお手紙が届きました。これは感動ものです。小学校、中高、社会人時代の友達、手紙を読めば母の人生が分かると父が言っていました。
その中から代表で2通だけ、私と兄嫁さんで読みました。1通目は母の親友。母がクリスチャンとなったきっかけを作った人でもあります。もう1通は母が教会で一番尊敬していた人からのもの。個人的なお手紙を読むのはどうだろうという不安も少しあったけれど、親戚たちがみなすすり泣いているのを見て、みなの心に響いてくれたんだなあ、感じてくれる人たちなんだなあ、としみじみ嬉しかった。

音楽葬ですからね、今回も外せませんよ。母の姪っこ(私のいとこ)による独唱は、アメイジンググレイス。時々つっかえるところがまたご愛敬。彼女の澄んだ歌声、大好きです。
(葬儀のときは会食時に夏川りみの『童神』を歌ってくれました)

代表者によるお祈りはなし。最後は、それぞれが心の中で母と対話してほしいと、今度はシューベルトのアヴェマリアで長い黙祷。

母らしい昇天祭になったと思います。信仰は深かったけれど、形式ばらないというか心にピンと来ないことはしない母でしたからね。もちろん今回も牧師は呼ばないし、聖書朗読お祈りもしませんでした。
親戚はキリスト教形式の葬儀は初めてだし、色々型破りで面食らったようですが、それでも「いままでこんなに感動したお葬式はなかった」と言ってくれました。昇天祭もみなの心に残るものになってくれたら嬉しいなあ、と父と式次第を練った身としては願っています。

あ、ちなみに式の後に「千の風になって」も流しましたよ~。この歌詞はまさに母の思いを代弁してくれてますからね。父いわく、
「よ~し、これでおばさんたちも喪中だけど旅に出ること理解してくれるだろう」
ですって
父は年末年始は旅に出るそうです。出会いや楽しいことを求めて、ではなく、母とじっくり向き合い、これからの人生を考えるために。母の遺影を持って、母の一番好きだった沖縄の海眺めながら・・・。春にはお遍路さんを考えてるそうです。父らしいなあ。


※ 写真:多くの人が印象に残っていると言ってくれた母のミモザケーキ。両家顔合わせのときに登場したのもこのケーキでした。割るとね、中にはレモン色のババロアが入ってるんです。私の雑な性格では作れない幻のケーキ


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