LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

ブログも卒業~感謝

2012-03-31 19:51:07 | 徒然日記
  

明日から4月ですね。新しいスタートです
我が家も長男がいよいよ小学生、次男が幼稚園。母である私も新しい気持ちで

というわけで、7~8年?に渡って続けてきたブログですが、ハイっ、卒業します!
書くのは好きだし、書きたいことも山ほどあるけれど、なんというか次の段階に進みたいなあ、というそういう気持ち
継続することで意味がついてくることもあるけれど、いったんやめよう、そうだ、やめよう、とふとお風呂の中で(笑)思いついたんです。ブログも断捨離。ネットから少し距離をおこう。
前に進むために

今まで読んでくださった方、コメントくださった方、ブログがなければ知り合えなかった方たち、出会いがとーっても嬉しかったです
本当にありがとうございました。

書くの好きなので、またすぐに復活しちゃうかもしれないけれど(笑)、そのときはタイトルも変えよう

前回の日記『お宿吉水の暮らし方』で、“また次回~”と書いたこと書いてから終わりにしますね
本の中でハッとした章、それは、

『天気予報に頼らない生活』

という章でした。「お天気くらいは自分で判断してはどうかしら」と。
湿った土のにおいで翌日の雨を感じたり、小鳥がしきりに鳴く声で雨がやむのを知ったり・・・。おおー、軽く衝撃!
我が家はテレビがないので、起きるとまずPCの電源入れて天気予報をチェックしてた。起きてまずするのがそれって心のどこかでいやだなーって思ってた。自分で判断しない情報に頼って当たったとか外れたとか・・・天気予報=ネット上の情報を見るのが当たり前だと思ってた

“手のひらサイズのパソコン(携帯、iPodとかね)は、またまた感覚を使わない方法を教えてくれる、自身の「生きる力」を弱めてしまうことにもなる”

にもドキッ。
iPodいいねー、とハマりつつある今日この頃だったから。でもね、心のどこかでは気づいていた。ネットを長く見ているとね、無気力になるんです、私。分かっているのに、子供が寝た後とかまずPCの電源入れちゃう。ついついブログめぐりをしてしまったり。気づくと夜中なんてときも。
昨年の秋頃からネットより読書に傾き始めて、あらためていかに時間を無駄にしてたかに気づきました。それでも、情報収集したいときは気づいたらずーっとPCの前なんてことも。

で、その収集してる情報ですが、吉水の女将さんは、"「情報を生で」の姿勢を大切に”とおっしゃっています。今はいろんな情報がネットで得られて、それに大いに助けられてきたことも事実だけれど、情報があまりにも増えすぎてしまった。使いこなすんじゃなくて、いつの間にか使われていたのかも、私。

"大切にしたいことは、自分で行動して自分の体験の中から知識を得ること”

“知りすぎないことは、好奇心をかきたて、自らの行動の源となる・・・多すぎる情報は、「やっても無駄」という情報が選択される”

にストンと納得してしまったのです

ちょうどブログをやめようかなと思いついたときに、この章に出会ったので、これもシンクロかと
そうだ、これからはもっとアナログに生きよう。もちろんネットも時々は活用するけど、頻度を極端に落としてみよう。今年の目標は「書く」だから、書き続けるけれど、これからはノートにね

というわけで!!!
みなさん、いままで本当にありがとうございました。たくさんの感謝の気持ちをこめて、このブログを閉じたいと思います。

アディオ~ス



ふふふ、最後にずうずうしくも、読んでいただいた足跡に(?)ポチっとお願いしま~す↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村

書いて豊かに

2012-01-16 12:13:11 | 徒然日記
 

今年のテーマには特に掲げなかったけれど、積極的にやろうと思ってることがもう一つ。

それは、ズバリ

 書く 
ということ。書いて書いて書きまくるぞー
タイトルの「書いて豊かに」って儲け話じゃありません
実家を整理していたとき見つけたのは、自分が小学生の頃書きためていた創作童話のノートの数々。うまく書こうとか人にどう思われるとか全く意識せず、ただただ書いて楽しかったあの頃を忘れていました。当時の私は空想の世界の住人で、人生豊かだったなあ。黄金期

そこで、あの頃の私と同じく本に夢中の里子ちゃん(小学5年生)が年末年始に来たときに、よしっ彼女にもこの楽しさを味わってもらおうと促してみたものの・・・

「え~、書けないよお。やだよー。やだやだ!」

と猛烈拒否。そりゃ、いきなり言われたらそうか
ということで、提案したのが、交互に書いていくというもの。それも最初は拒否していたけれど、最初の一文を口頭で言ったら照れながらも彼女の中に隠しきれない好奇心が。「続きやらないのー?」って。あんなに一緒に作りたがっていたケーキ作りも放棄して、お話作りに興味がムクムク~
そこで、用意してあったノート登場!うさぎの写真が表紙だったので、書き出しはこうです。

『それは、キッチンに突然現れた一匹のうさぎから物語は始まりました。』

ん~、どうしよう?と言いつつ楽しそうな里子ちゃん。最初のほうは一文しかつなぐことはできなかったけれど、私に家事をさせてくれないくらい次をせがみ始める。いいぞ、いいぞ
一文か次第に二行になり、三行になり・・・十行くらいまで続けて書けるように。彼女の想像力が詰らないようにこちらも工夫しながら書くのでなかなか頭を使います
魔女ばあさんに捕まった小ウサギのジョンが他の仲間のうさぎたちと友情をはぐくみながら脱走をはかるという内容になってきたのですが、なんせ交互に書いていくので展開が読めない!頭の中で展開を考えていても、次の文章で里子ちゃんにくつがえされてしまう。彼女が詰り始めると、

「・・・どうやら○○にカギがありそうです。でも、どうやって?」
「○○と△△、一体どういうつながりなんだろう?」

のような疑問形を最後の文にすれば答え(=展開)を彼女が考えるので面白い。彼女から引き出していくのが私もたまらなく面白い作業で二人で夢中になってしまいました

あー、でもね、これ、この楽しさ、分かってくれる人なかなかいない。
「今日お話作って書いたんだよ!」
とお隣さんにうれしそうに報告する里子ちゃんだったけれど、返ってきた反応は冷めた声で
「ふーん、へー、ま、続かないだろうね」
・・・って、子供のワクワク壊さないで~。養護施設の先生は、「へえ~、すごいねー」とは言うものの「お話?」ポカーンという感じで、一生懸命合わせてる感じ。まあ、「本ばかり読んでないで外で遊びなさい」といつも言われるそうだから、そういう反応なんだろうなあ
殿に言ってみたところで、「読ませてよ」なんて反応はもちろん返ってくるハズもなく・・・
うん、いいのさ、周りの反応なんて(←負け惜しみ)。彼らは人生の中で損してることに気付いていない!ってことにしておこう、うん

書くって不思議。書く前は書けないと思っても、いったん書きだすと勝手に筆が走り出す。
ブログも毎日書いていた頃は書きたいことが次々と起こってきた。書かないとただ日常が流れていくのに・・・。
今回、母が残してくれた育児日記が私の宝物になっているので、いまさらだけれど、自分も子供たちにと思って振り返り(笑)育児日記用のノートも買ってきました!

書く(手書きね)と記憶に残る。発見がある。書くと・・・日々が豊かになる

読書ノート、日記、創作、手紙・・・もう何でも思いつくまま書いて書いて書きまくろうと思います。


PCの日々で手書きの感覚忘れてたけど、確かに書くと発見がある、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへ
にほんブログ村

母の葬儀を終えて

2011-11-18 20:30:49 | 徒然日記

母が旅立ちました。68歳でした。
世間的には決して早すぎるという年齢ではないけれど、私たちにとってはやっぱり早すぎました。

いくつになっても、母の存在というのは大きく、何とも言えない感情がぐるぐる渦巻きます。
子供がいることもあり、私はあまりにも普通に日常生活を送り、平然としているように見えるようで周りからは驚かれますが、それには訳があります。それはまた別途。今日は葬儀のことを書き綴りたいと思います。

母の葬儀のこと、こんなことブログに書くべきじゃないのかもしれません。
でも、ひそかにこのブログを応援してくれていた母、こんな葬儀の形もあるのよということを書いてね、と言われているような気がして。私が嫌がるので、母は一度もこのブログを読んだことはありませんでした。が、ことあるごとに「これ、ブログに書いてよ」なんて言っていたので・・・。

残された人々にできるだけ負担をかけたくない、そんな思いから数年前の元気なときから両親は遺言書を書いていました。葬儀のスタイルはもちろん、死後連絡してほしい友人のリストなどなど。これ、ホントに助かった!私も書かなきゃ~。
何か予感があったのでしょうか?旅立つ一週間前には葬儀で流してほしいBGMがMDに編集されていました。
我が家は自分の葬儀はこうしてほしい、ああしてほしいとオープンに楽しく話し合うような家庭だったので、母の希望は大体は把握していたけれど、一時期の友達も呼んで楽しくという希望は最後のほうにはなくなっていて、本当にごくごく内輪の家族だけ・・・となっていました。自分の血縁兄弟、夫、子供とその配偶者、孫、姪、甥のみのわずか13名の参列。受付なし、弔電読みもお香典も一切なし。見栄や価値観さえも、本当にいろんなことがそぎ落とされ、シンプルになっていました。

自宅でのお通夜も、心にじんわりと残る思い出深いものとなりました。
しめっぽくなく、父、兄夫婦、私たち家族だけで、子供たちがいることもあり、いつものようににぎやかに楽しく会食。夜だけれど、母が大事にしていたティータイムを、母が大好きだった日影茶屋の林檎のシブーストと紅茶で。
その後は、兄嫁、殿&子供たちには失礼してもらって、父、兄、私の“母の築いた家族”だけで、母のアルバムをめくりながら思い出をしみじみ語り合い・・・寝る前に母に言えなかった感謝や懺悔の気持ちをそれぞれが手紙にしたためてお棺に入れました。母とそれぞれが向き合う、静かでとても大切な時間を持てました。

母はクリスチャンだったので、葬儀はキリスト教式でしたが、牧師も呼ばないスタイルでした。
信仰深く、毎日の生活が祈りと共にあった母でしたが、教会の人間関係、教義に疑問を持ち、ここ数年は、「神は生活の中にあり」と教会に通うことはすっかりやめていたのです。

式場には母の切り絵をできるだけたくさん、飾りました。
母の姪と私(!)の伴奏で、讃美歌312番と320番を歌い、兄がリードして詩篇23篇をみんなで交読。母はプロテスタントでしたが、カトリックの姪がアッシジの聖フランシスの祈りを朗読してくれて、これがとってもよかった。自分の葬儀のときもこれを朗読してもらいたい!って思ってしまった。父も同感だったもよう。

お線香の代わりの献花は優雅な気品溢れる白バラを選びました。献花のときに流れていた母セレクトのBGMが心にぐっときてしまって・・・。『地球交響曲第六番』のサントラの中から鯨の歌とカッチーニのアヴェマリアでした。バッハでもグノーでもシューベルトでもなく、カッチーニ!なんて切なく胸に迫ってくるのでしょう・・・。

火葬場で、通常お坊さんがお経を唱える場面では、父のハーモニカの演奏で讃美歌405番を。
卒業式でよく歌われる讃美歌で、「神ともにいまして、ゆく道を守り・・・また会う日まで」と力強く送り出す曲です。
本当に本当にまた会う日までという気持ちになれて・・・これからも違う形で母は見守っててくれる、これからも母との関係は続いていく、と確信しました。


正直、参列したがっていた母の仲の良い友人たち、ご近所さん、父方の親戚をここまで頑なに断る必要があったのだろうか?来たい人は来てもよかったんじゃないか?そんな思いもよぎりました。ましてや、語弊があるかもしれませんが、とても素敵な葬儀だったので、もっと多くの人に見てもらいたかった、そんな思いも抱きました。祈りと賛美と花に満ち溢れたお別れのときでした。

でもね、前日にピアノの伴奏を何時間も練習したり、参列者に配る母伝授のお菓子を兄嫁さんと一緒に焼いたり、アルバムを何度も何度もめくって思い出を語り合ったり、母に手紙を書いたり・・・こんな余裕は受付や香典返し、挨拶に抜かりがないように、などなどで頭がいっぱいになってたらできませんでした。よく葬儀前後はバタバタで悲しむ余裕もないというけれど、余裕があったおかげで、悲しむというより母との思い出にじっくりと浸り、心からのお別れをすることができました。

何も葬儀に出席することだけが、故人を思うことじゃない。むしろ、出席したらそれだけで終わってしまうかもしれないけれど、母の元にはその後思い出をしたためた手紙がたくさん届きました。母の友人たちもそれぞれ、母の思い出としみじみ向き合う時間を持ってくれたんだな、と知れて嬉しかった。


伝えたかったことがたくさんあった母、でも表現する場のなかった専業主婦だった母。
このブログもしばらくは母追悼シリーズになりそうです。長くなりますが、よかったら、お付き合いください。




プレ団塊世代の粋な飲み会

2011-08-03 12:56:35 | 徒然日記


・・・といっても私はプレ団塊世代でもないし、飲み会に参加したわけでもありませんが~

父の話です。父は社交的でとにかくよく出掛ける。母が病気になってから控えてはいるものの東京まで定期券買ったほうがいいんじゃない?と思うくらい。本人いわく、これでも社交範囲を断捨離したそうですが。どこがじゃ~

さて、そんな父の飲み会のひとつが会社の同期会。大手企業で企業戦士だった父には同期がいっぱい。大手企業なんて歯車の一部じゃん、とあなどっていたのだけれど、父の周りはユニークな人ばかりで実に面白いのです。しょっちゅう同期飲み会が開催されるわけですが、あるときから流れが変わった。

「大の大人の男たちが、ただ大勢集まって高い交通費払って数時間飲んでおしまいなんて、なんて実りのない!」

という母の鶴の一声で、毎回ゲストスピーカーを呼ぶことになったのです。ゲストスピーカーといっても仲間内で順番にめぐってくる仕組み。みなさん元々多趣味なうえ、いきいきリタイヤ組なので話したくて仕方ない。これが、大好評だったそうです!せっかく自分が学んだこと、発見したこと、実はみなさん言いたくて言いたくてうずうずしてたんだとか。ただ、隣に座ったの人に話すのと、大勢を前にプレゼンするのとでは気合いが違う
会場も後輩が出向して社長になったホテルに移して、安くて豪勢に。同じお金を使うなら、縁のあるところに、というわけです。ちなみに父は一回目は内モンゴルでの植林ツアーの話しを、二回目は尺八にかける情熱を話したそう。

面白かったのは、私もお会いしたことのあるお二方のエピソード。
千葉で無農薬自家菜園を15年やっているKさんが意気揚々とスピーカーとして話したとき、ほとんどの人はみな表面的に感心してたそうです。そこへ唯一かみついてきたのが、素敵な庭作りをしているWさん。
自分は農家の家に生まれたけれど、農業っていうのはそんなに甘いもんじゃないんだ!収穫量や見た目がよくなければ売れないから農薬は必要だし、無農薬がいいなんて、ちょぼちょぼの家庭の範囲内だから言えるんだ。アマちゃんだな、と
実際心でそう思っていても、本人目の前にしてはむかってくる人って少ない。Kさんも強い方なので、ここぞとばかりに自分の哲学をばんばん出してきてこう言ったそうです。

「自分は収穫量とかのことはどうでもいいんだ!地球のために無農薬やってんだ!」

Kさんが言いたかったのは、きっと人間中心でみるんじゃない、地球規模の視点で見るんだということだったんだと思う。しばらくやりあった後、最後はW氏はすっかりK氏に感服し、次の飲みの約束をかわしていったそうです。昨日の敵は今日の友って感じ?なんか意見が違う人が、率直にやりあって、最後は仲良くなるっていうのいいな~。

ちなみに大学同期との飲み会もしょっちゅうあるわけですが、そちらの同期の多くは原発最前線に係わってる人たちだそうです。元々原発に反対だった父は率直にやりあってたみたいですが、その後もそのことが原因で関係が悪化することはなく、交流は続いてるそうな。時代は流れ、福島のことがあって、いまやっとその人たちは
「全身全霊で取り組んできて、正しいと信じてきたけれど、いまはただ虚しい・・・」
と言っているそうです。間違ってると知っててやっている悪人なんてほんの一握りなのかも。
価値観が違くても、お互い自分の意見を言いあい、なおかつ良好な関係が続くっていいな。

なーんて、つるむのが苦手な私は父のような関係を築くことはないんだろうけど。だけど、粋な飲み会はいつかやりたいな、って思いました。
こういう人生観がにじみ出るような粋な飲み会、語れるものがないと逆にできない。現役時代は土日も出社で、連続休暇なんてなきにひとしく、毎晩午前様だった企業戦士の父たちが、後半豊かな人生を送れてることにひそかにしみじみ。美学のある生き方いいね。
いま私に誇って語れるものがあるかしら?・・・ないなあ。基本的におしゃべりだから話しは尽きないけれど。でも、周りには素敵な友達がたくさんいるので、みなさんにスピーカーになってもらいたいな。手始めにフェアトレードに詳しいあの子あたりからよろしくお願いしちゃおうかしら。ふふふ、私のまわりのみなさんご覚悟をば~

※ 写真は美学のある生き方が詰まってる大好きな本『青春漂流』。読んだことの無い方はぜひ!
余談だけど、立花隆自分を表紙に持ってきちゃうってすごい自信だな。かなりモテたとは聞いたけど、男の人はいいよね~、外見ではなく中身でモテるから、なんてね


そうさ、講師は身近にいる。違う価値観の人からも学べる、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへ
にほんブログ村 -->

やっぱ個人だな

2011-07-22 11:27:51 | 徒然日記
ちょっと書くタイミングを逃してたら、いつ書いてくれるわけ?と殿に催促されたので・・・2週間ほど前のことになりますが、我が家にニューフェイス登場
じゃじゃーん↓↓↓



写真で伝わるかなー?この一枚板の風格!高さでいうと私の首くらいの高さなので、目につきにくいのがモッタイナイくらいのカウンター
こ、これは夏の夜にデッキビールを飲めってことですか~~~???

実はこれ、薪ストーブのスス汚れ防止(?)なんです(←違っていたら修正して、殿)。煙突からたまに出てくるススが雨に打たれて壁伝いに来るとデッキが傷んでしまう、その防止策なんです

作ってくださったのは、お友達Yさんの旦那さま。腕のいい大工さんに我が家のちょこっと修繕をお願いするなんて失礼かなー、と思いつつ相談してみたら快く引き受けてくださって。元々うちの殿は、上記の対策としては、ガルバリウムか板金か何かで保護することくらいしか考えていなかったそう。
ところが、我が家を見たYさんの旦那さま、下見の後提案として持ってきてくださったのが、なんとこの一枚板。我が家の雰囲気を考えたらこちらのほうがいいんじゃないかとご提案くださったわけです。自分たちでは想像もしてなかった仕上がりに、もう感激。ありがとうございます!!!

Yさんの旦那さまは心が柔軟な方なんだな~、って感じました。つまらないプライドがあると、こなすだけの仕事になりがちだし、もし私が大工さんだったとしたら正直「この程度の仕事か」って思ってしまったかも。

注文されたことをただやるんじゃない、その家を見て、住む人のライフスタイルを見て作るホンモノの大工さん。こういう大工さんって減ってきちゃっているんじゃないでしょうか。
工務店に頼んでたらこうはいかなかったよねー、と殿。

大きな組織に所属していたら、なかなかこういう提案ってできないんだろうなあ。提案はあっても、キャンペーン中の商品を売り込みたいとかこっちのほうが安いからとかもっと打算的なことが多い・・・気がする。なんて言うか、自由がきかないというか、血が通った関係になるのが難しいというか。
やっぱり効率優先だと自分で考えることが少なくなってきて、どこかにあきらめにも似た気持ちが芽生えてきて・・・機械の一部みたいに言われたことだけをやってるうちにいろんな感覚も麻痺してくる!?手抜き工事とかも平気になってきてしまうのもある意味不思議とはないわけで
いやいや、もちろん、組織にあってもその中で最大限にベストを尽くしている人たちはいるし、素敵な組織もありますよ~。ただ、今回改めて個人ベースの魅力について考えさせられたといいますか。

● 組織・・・安定性抜群だけど歯車の一部←なつかしい響き!?
● 個人・・・安定性には欠けるけど可能性も無限大か・・・

自分が働いていたときは、歯車だっていいじゃな~いと楽しんでたし、家族のこと思うと勤め先には前者を選んじゃうのが本音かもしれないけれど、お仕事頼むなら断然後者!自分の中では、これからは後者の時代

話しは飛ぶけれど、チビが通っている(笑)、長谷の一丁焼きの鯛焼き屋さんは毎回おまけの鯛焼きをくれる。個人商売でないとこういうやりとりはできないよなあ。スーパーで店員さんが勝手にやってたら怒られるもの。大きい組織には大きい組織の魅力があるのだろうけれど、個人と個人のつながりのできる小さな単位、顔の見える関係がなつかしい今日この頃です。どこに頼むのか、どこで買うのか。顔の見える関係を築いていけば間違った方向にはいかないよね、きっと。便利さや値段だけでははかれない魅力がそこにはある。

うん、Let’s ダウンシフト


スーパーより個人商店の駄菓子屋でおまけもらいたい~(←えっ、そこ!?)、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村


かっこいい新潟の友人

2011-07-15 16:11:06 | 徒然日記
 

はい、ご当地かっこいい友人シリーズ(笑)。福島に引き続き新潟の友人です
このブログでも何度も紹介している、素敵なS一家。新潟の廃村したところに自分の手で家を造り、無農薬のお米を作っている農夫&シンガーの佑介くん。震災の後、何ができるか考えてチャリティCDを出しました~。寄付というものについてもとっても考えさせてくれました。本当はチャリティCDができた3月後半すぐにでも紹介したかったのだけれど、タイミングを逃してしまい今頃・・・まあ、世間の寄付熱が冷めてきたところでちょうどいい・・・かな!?

寄付に関しては、日頃から色々と思うところがあったので、今回の震災では実はすぐには動きませんでした。その場の燃える情熱で動く人は世間にたくさんいてくれたので、私は逆に長期的にじっくり何に投資(?)が必要なのか見極めたかったんです(表現が下手ゆえエラそうに聞こえたらごめんなさい。)
大きな組織に寄付、アリでしょう。でも、そこに寄付が集中するのなら、微力だからこそ、自分は自分の描きたい未来に少しでも関わりたかった。顔の見える関係まではいけなくても、この人たちに未来を託したい!と思える人たちのところに少しでもお金がまわってほしかったのです。さあ、では、どんなところ?

佑介くんの選んだところは非常に共感を覚えました。ブログには寄付先についてこんな風に書かれていました↓

集まったお金は、まとまった額が貯まり次第、被災地の行政の支援が届きにくい民間の子供たちの為の施設、自然教育などを実践している組織や幼稚園やフリースクールなど(具体的な送り先が決まり次第お伝えします)に届けたいと考えています。

自然を愛せる子供を育てることが、これから何より必要だと思います。そのような信念で活動している民間の小さな組織や個人の方々がいます。
被災し活動が厳しくなっているような組織に一刻も早く復興してもらい、子供たちが生き生きと成長出来る場所を維持してもらいたいと思います。


まともな生活ができるような緊急救援物資ももちろん必要。でも、長い目で見たら、「自然を愛せる子供を育てること」、自然とのつながりを持てる子供たちがおかしな方向に進みがちな人間のエゴを食い止めてくれる気がするのです
DSを寄付することで子供たちに一時的な笑顔を取り戻すことはできるかもしれない。でも、未来への希望、根本的なもっと深いところでの笑顔はやっぱり人と人とのつながり、自然とのつながりを取り戻すところにある気がしてならないのです。
寄付先は彼のブログの中でも紹介されてるのですが、本当に素敵な活動をされてる方がたくさんいるんだなあ、と感動しました。自然エネルギーを取り入れた、循環型ライフスタイルを目指してたり。あ~、ワクワクする!先日ご紹介した大西くんの自然学校ともつながりましたよ

CDは一枚1,000円で制作費をのぞいた9割が寄付。決して金額的には大きくないけれど、たくさんの人が聴いて、参加することでたくさんの人の思い、心がつまっている。だから、「送金送心」、と佑介くんは書いています。歌いながらも歌ってる場合かと悩み、苦しかったみたい。宮城にもボランティアに行った彼が感じたことは「一人一人は微力かもしれないけれど、無力ではない」だったそう。
行動してる人は、具体的に動いている人には確かな手ごたえがあるんだなあ。彼のブログもぜひ3月からさかのぼって読んでみてください。↓
http://happy.ap.teacup.com/sayyah/

私が悶々としがちなのは具体的に動いてないからなんだなあ・・・

そして、今回彼の作った祈りの歌、『空へ歌う』はコチラです。
お友達にCDをプレゼントしたところ、「声がいい!歌詞がいい!」と気に入ってもらえました♪


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=chdejAgdFMM
みなさんのまわりのかっこいい人もぜひ教えてください


寄付は長期的に、自分の描きたい未来に、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村

かっこいい福島の友人

2011-07-12 13:36:41 | 徒然日記
 

「お母さん、見て見て~。雲が面白いよ!」
いままで、それほど雲に目がいかなかった長男がここに引っ越してからというもの、2階のウッドデッキから見える雲が面白くて仕方ないらしい。時に早く流れたり、ふわふわのわたあめみたいだったり。「あ~、乗りたいなあ」とうっとり口調の長男
都内で働いていた頃はビルの隙間の空眺めることすら忘れてたな。雲眺めたり月眺めたり・・・なんかこういう日常を忘れるところから心も身体も不自然になっていくような気がする。言葉はいらなくて、こういうただ眺めたりすることの中に大事なことがいっぱいあるなあ、と思う今日この頃です。

さて、実は先日自分の気持ちをスッキリさせるためだけの日記を書いてアップしちゃって、後悔。2時間後くらいには削除しました(笑)。“不安と怒り”を世の中を変えるための原動力にしている反原発の人たちにへこまされて、いや同じ変えるでも希望とワクワク感にしようよとか思っちゃったんですねー。でもね、母に諭されました。

「間口は広いほうがいいのよ。共鳴感を求めたら虚しいだけ。いろんな人がいていい」

う~ん、さすが生きてる年数違います(笑)。子供のため、明るい未来のため、向かってる先が同じなら、そこへ向かう方法は色んな道があっていい。・・・頭では分かってるつもりでした。でも、あまりの攻撃的な言動、ネガティブワードに自分と違う考え方の人に排他的な態度に疲れちゃったんですね。でも、彼女たちを違うと思う私も、また批判的な気持ちを抱いてる場合じゃなかったんだな~。

人にはいろんなステージがあって、その時々にぴったりの出会いがあって、自分自身で色々と気付いていく。
入り口は“不安や怒り”であっても、時期がくれば、いや不安は何の解決にもならないと自分で体験して気づいていくのかもしれないわよ、と。だから間口は広くていい。同じを、共鳴感を求めるからおかしなことになる・・・はい、そうですね

その“不安と怒り”でいっぱいの人たちと話して、数日間気持ちがすごく後ろ向きになっていたのですが・・・そんなとき知り合いの大西くんのブログを読んではっとしました。
大西くんは福島の地で自然学校をやっている野人王(テレビチャンピオンにもなったんですよん)。火起こし師。いま南会津の地で、子供たちのためにこめらの森というプロジェクトに取り組んでいます。

逃げる話し、逃げない人、放射能を恐れない人たちへのバッシング(?)に疲れていたとき、放射能の恐ろしさをよく勉強して知りつつも同じ福島にとどまり、福島の子供たちのために前に進んでいる彼らのプロジェクトを知ったのです。そのとき、なぜだかぶわーっと前向きな気持ちがわき起こったのです。彼らはイキイキと生きてる、って。
“根っこ”を育むことをずっと大切にしてきた大西くんの自然学校。さすがです、全てはつながっていて、気づきなんですね。前述の人たちを話していて何がストレスだったかというと、そこにさまざまなものとのつながりがなかったからなんです。恐れるのは放射能汚染のことのみ。ほかにも色々とつながっているのに。自分の生活全てがつながっているのに、そこはスルーで責めるだけなんだなあ

ゴミに関することが書かれていた、この日の大西くんの日記は、特にうんうんと頷きながら読みました。


この捨てられたヒトたちはどこへ行くのだろう。
普段、見えないものに蓋をするような暮らしも
どこかで私たちにつながっている。

放射能を恐れるが、
今まではどうだったのだろうか。
ポポイ!とゴミを捨てたその先に、
私がいて、あなたがいて、生き物がいて、子どもたちがいる。

ビンも山ほど捨てられている。
リサイクルもされるのだが、
消費する思考、価値観がそのままでは、
どんなことが起きても不思議ではない。

ゴミ処理場で働く人々。
原発で今も働く人々。
同じじゃないのか。



うんうん、そうなんだよね。そして、目に見えない汚染の恐怖は確かにあるけれど、目の前に活かされてる生物がある、空がある、雲があることも忘れたくない。汚染されていても、やはり恵みは恵みであり、感謝なのだ。不安で、その美しさに気づける心まで見失いたくない。
今回の天災、人災全てを気づきのチャンスと思って前に進む人々のかっこいいこと。本当に勇気づけられます。
ゆっくりとではあるけれど、私もまた少しずついろんなことに気付きかされている。あとはそれをどう生かしていくか!いかしかたが分からないから、寄付とか署名とかそういう形しかまだ取れないけれど、もっと具体的に行動に移したいな。まだまだ模索中ではあるけれど、子供たちと一緒に目の前の恵みも堪能しながら、未来へ向かって前へ前へ進もう。前向きな気持ちをくれた福島の地の友人に感謝


いろんなやり方があっていい、だけど全ては明るい未来のために!と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへ
にほんブログ村



まだ間に合う!火曜日まで

2011-06-19 21:43:08 | 徒然日記


なんだかずーっとブログを書けない日々が続いていました。書きたいことは山ほどあるに、なんだか書けない。真面目なことばかり書くのもなんだか気が重いし、かといってお気楽極楽なのを書くのもちょっと違う・・・と悶々。落ちてたわけじゃないです。むしろ普通に笑って楽しく過ごせてるけど、でも心の片隅にはいつも痛みがあるという感じ。

原発事故で身にしみたのは、「声をあげない、意見を表明しないというのは賛成と同じだ」ということでした。
もう後悔するような未来に手を貸したくない。手を貸さないとかいう消極的なレベルではなく、もっと具体的に素敵な未来を作るために動かなくっちゃ、気持ちだけが焦って行動がついていかない日々
ところで、署名とかって、どうしても価値観の押しつけのような気がして、人にすすめるのは得意ではなかったのですが、これも声をあげることの一つなんですよね。

さて、今回は原発ではなく、遺伝子組換に関しての意見です。農林水産省が遺伝子組換の承認に関して、パブリックコメント(一般からの意見)を求めていてこの締切が21日(火)までです!えー、承認されちゃったのぉ?知らなかった・・・では遅いけど、まだ間に合う!明後日よぉ~。急げ~
この原発のどさくさに紛れてこそっとやるなぁ~、と思わず毒を吐きそうになりましたが、押さえて、押さえて。このブログは品格を保つんでしたわ。ほほほ~(←え、いつから?)
だから、あえて、「反対の声を送ってください」とは言いません。
賛成でも反対でも、自分で調べて納得して、自分のご意見を送っていただければなあ、と思います。賛成の人も反対の人も一緒に真剣に考える、逆の立場の人をやりこめるのではなく・・・。きれいごとかなあ?でも、「自分で考える」というのが一番大事だと思うんです。そうしたら、違った意見の人にも寛容になれる・・・ああ、私にもああいう勉強不足の時期もあったよなあ、って。人はみな時期や段階がある。

私は身近に何人か「遺伝子組換の何が悪いの?むしろ未来への希望なんじゃないの?」っていう人たちがいて、あまりの信頼ぶりに反論すらできなかった経験があります。でも、みんな知らないだけでいい人たちなんだよなあ・・・だから複雑で。ただ、面白かったのは子供を産むとガラっと変わったこと。「やっぱり何か不自然!子供には食べさせたくない!」って。出産という原始的な体験をすると鈍ってた野生の勘が戻るのかなあ?いや、子供がテレパシーで働きかけてくれるのかも?

私自身は反対だから、どうしても反対派の意見ばかりが目についてしまうけれど、賛成派の意見を読んでるとこれまた面白い。当たり前だけど、至極まっとうに聞こえてくるから不思議。「きゃ~ん、遺伝子組換っていいことづくめ♪ 」ってな感じで(いや、もはや思わないけど、そう思う人がいるのは理解できる)。以前テレビで遺伝子組換米の特集をやっていて、「これ食べて風邪がひきにくくなる体質になるなんて、医者いらずで素晴らしいですね♪」ってアナウンサーが言っていた・・・。どっひゃ~ん

こうやって、賛成の意見も読んでいくと、もうどの情報を信じていいのか分からなくなる人もいるかもなあ・・・そんなとき、私が判断の軸としているのは↓

◆ 誰がどんな思い(志)ではじめたものなのか

◆ 背景にどんなものがあるのか(表に出てこない利益の構造など)

の2点かな~。あとは直感で!

遺伝子組換って便利なところがコワイ。“人間のための効率”という観点から始まったさまざまなものが、最終的には自分の首を苦しめるということ、そろそろみな気づき始めてきた頃じゃないのかなあ。
私は人間中心でなく、自然と共生する志が好きなのですー

遺伝子組換技術を提供する企業が利益を独占するような仕組みになっている背景も見逃せませんよっ。儲けたいんだから、お金がないと農業ができない仕組みにするのは当たり前のことで、結果自殺するしかない貧しい国の人たち・・・そんな姿を求めてる人っていないんじゃないかなあ。だって24時間テレビ見て涙する人がほとんどでしょう?(個人的にあの番組の狙った感は好みではないくせに、しっかり号泣)。世の中基本いい人ばかりなのだから、よーく考えればどうすることが未来にとっていいのか、おのずと答えは出るハズ。今回は日本に関してだけれど、がんばって無農薬で取り組んでる人たちの土壌まで、風に乗ってきた遺伝子組換で汚染されるのを見たくない。うん!

また、安全性に関しては、さまざまな学識経験者が安全だと言っていますが・・・
学識経験者・・・これ、結構トリッキーでなので、注意です。原発も同じでござんした。ずーっと安全だってエライ教授たちが保証してきてたじゃないのよぉ。個人的には耳貸してなかったけど、あれじゃあテレビしか見ない人は信じちゃうのも不思議じゃあない。安全性に疑問を唱えた学者は研究費がおりず、助手止まりで出世できなかった。同じ匂いがぷんぷんしますぞっ。

そんなわけで、ぜひ、これを読んじゃった方はご自分の意見を農林水産省に届けていただければ嬉しいです。ひとごとじゃないと思った方は、しつこいようですが火曜日までです!

農林水産省の遺伝子組換え承認に関するパブリックコメント情報はこちら↓
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/110523.html

そのまま意見を投稿するのならこちらのフォームから↓
https://www.contact.maff.go.jp/maff/form/b3da.html

ちなみにワタクシは今年の目標に『批判しない』をあげておりますので・・・初心忘れず、品格を保つためにも(?)、怒り、非難をぶつけるのではなく、相手の良心に訴えかけてみました。カーネギーが提唱している“相手の美しい心に訴える”というやり方です。イエ~イ、私ってば大人
責められると身を守りたくなるのが人間。だったら、相手を嫌な気分にさせずに、一人の人間として美しい行動を取ってもらえるよう働きかけたほうがいい。北風より太陽!しかし・・・ああ、どうしてこれが家庭ではできぬのでしょうか?・・・切実な個人的課題です。


知ってしまったからには意見を届けてみよう、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村



東に向かう人々&心

2011-04-19 20:51:01 | 徒然日記


申し訳ないくらい穏やかな春の日常が過ぎて行く毎日。
でも、心の中は「いま変わらなければいつ変わるんだ、私?でも、どうやって???」を自問し、焦る日々

間接的な知り合いにせよ、海外や西に行き、戻って来ないことを決断した人たちも少なくない。
人それぞれの人生。その人たちにとっては、それが運命のタイミング、流れだったんだなあ。うん
特に子供を持った人たちは、子供を守るために遠くへ行くことを決断した。
縁ある人は、縁ある地へ行ったまでのこと・・・。

だけど・・・本音では、やっぱりさびしい思いはつきまとう。人間だもの(by 相田みつを)。

そんな中、逆に東に向かう人々もいる。そう、逆に東に。そりゃいるだろうけれど、この事実がなんだか自分の中ではとっても衝撃的なんだなあ。うまく言えないけれど

すごいなあ、スゴイだって、私はやっぱり向かえず、安全な場所からただ祈ることしかしないもの。

そして、何がすごいって、東に向かう人々の多くはイキイキとしててパワーがみなぎってること
いろんなこと、批判、批評してるヒマはないって感じ(←ここポイント)で、この大きな変革期にワクワクしながら向かっているんです。よっしゃー、いまが地球と共に生きる方向にシフトするチャンスって。その姿勢、行動力になんだか励まされます。

そんな東へ向かう人々のうちの一人が、ALOHASカーニバルでお世話になった、ヘンプレストラン麻心のシンジさんたち。『鎌倉とどけ隊』というのを結成していると知ったのは、偶然にもなんとそれに一緒に行ったうちのご近所さんから。そのご近所さんも素晴らしいんです。日本人ではないのだけれど、みな母国帰ってしまったのに、日本に残り、残ったどころか東に向かった。うえーん、ありがとうございます!!!

『鎌倉とどけ隊』は被災地で炊き出しを行っているのだけれど、こういうときこそ顔の見える人と人とのつながりって大事だなあって思います。心が寒いとき、人とのつながりのぬくもり、あったかい食事はきっと心も満たしてくれるんじゃないかと。
そして、私たちも応援するのなら、例え少額でもできれば直接知っている人に託し、顔の見える関係の中で、つながっていきたい。そう思って、昨日MMちゃんと麻心さんにALOHASカーニバルのときの余剰金を寄付してきました。たったの2万円は、一度の炊き出しの足しにしかならないかもしれないけれど、きっとその一回の笑顔は今後への希望につながると信じて。
身体は向かえないけれど、心は東に向かって。

うん、きっといまが変わりどき!素敵な未来へ。失われたつながりを取り戻す、懐かしい未来へ

寄付に関しては、色々と思うところもあるので、別途書きますね。


※写真:散歩で寄った高則寺付近。山桜がきれいでした~



身体は向かえなくても心は東に、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村


不安VSワクワクどちらを選ぶ?

2011-04-13 02:35:31 | 徒然日記
  

タンポポの黄色やダイコン草の紫に毎日元気をもらってます。今朝は雪のように舞い散る淡い桜の花びらたちにはっと息をのみました。デッキの上で「雪!雪!」とぴょんぴょん跳ねて喜んでる子供たちがかわいすぎて、まるで映画のワンシーンみたい。スローモーションで、空気もキラキラしていて。あ~ん、やっぱり人工物でなく自然物に囲まれていたい。この包まれるような安心感

ところで、余震が続いてますね。心配だけど、ともすると不安になりがちだけれど、ある意味開き直り!まだ現実になっていない未来を憂うよりも、今目の前にある楽しさ、美しさにも目をとめようぜい(ね、Kちゃん)センス・オブ・ワンダー全開の子供たちのように。
不安になったら、引き寄せの法則でそういう状態を引き寄せちゃういかもしれないし(ね、Sさん)、神経参って病気になっちゃうかも。

さて、情報も断捨離と言いましたが、こんなに実はひどいんです、こんなに危険なんです!知らなかったでしょ?だまされてたんだよ?的な記事は最近スルーしてます。だって、そうなのかもしれないけれど、無力感ばかりがわいてきて、じゃあ未来に向けて何かしよう!って気が起こらないんだもの。“怒り”の感情はなーんもいい方向にいかない。ってことは家庭内で実証済み・・・なのに家庭内では怒り続けちゃうのはなぜなぜ~?エンロハ言ってることとやってることが違うという殿のお声が聞こえるようであります。だからぁ~、自分に言い聞かせるために毎回ブログ書いてるんだってば(笑)。

現実から目をそらしているでしょうか?

ひどいのも現実だったら、いま日本中が美しい心であふれているのも現実。どちらの現実に注目するかは自分次第な気がするのです。
ただ、それはどこかのお上みたいに、臭いものにはフタ的に見ないのとは違う。優しい気持ちになって、誰かを責めたくなる気持ちを置いておけたとき、じゃあどうしようという現実的な行動に結びつく気がするのです。
悲観的な気持ちになって、不安な人もいれば、「今が変わりどき!変われる!」とワクワクしてる人もいる。同じ状況なのに。ならば私は後者で行きたい!

さて、いろんな情報をスルーしてると言いつつ、ピンときたものはやっぱりチェック
原発を作るトップのほうにいて、原発推進派から反対派に転じた元GEの技術者の方のお話しは胸打たれます。前半は危険性強調しているので、読んでいていやになっちゃう人もいるかもしれませんが、後半は現場の人たちがいかに安全にするために身も心もささげてきたかが分かって涙が出ます。作ってた立場だった人の話しだからこそ伝わってくるものがります。よかったら一読してみてください↓

命はほんとうに輝いている」(元GE技術者菊池洋一さんのお話し)

よし、原発はいらない!じゃあ、変わりにどうすればいいの?
田中優氏×小林武史氏の対談は読むとワクワクしてきます。なんだ、技術的にはもうできてるんだ!あとは意識が変わって流れが変わるだけなんだー、って。自然エネルギー採用にはさまざまな壁があると思っている、殿!読んで納得しておくんなせえ


エコレゾウェブ

物事は複雑だと思えば複雑で、そうすると何にも動けない。
でも、大切なことっていつだってシンプル!赤ちゃんを見よ。子供を見よ

だから、ワクワクの未来に向けて動きだそー。って具体的には何していいか分からなくて落ち込んだりもするのだけれど。まあ、落ち込むのもきっと正常。どこまでも自分に甘い、自己肯定型のエンロハでした


悲観的になるより、批判するよりワクワクしながら進んでいきたい、と思ってくださった方、ポチっとお願いしま~す↓↓↓

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ロハスへにほんブログ村