週末は子供たちは魔女ごっこで大騒ぎ。友達親子が泊まりに来てくれました~。日常を楽しむ達人のそのママからはいつも教えられることがいっぱいで、私が子育てのお手本にしたいNo.1
子育ての考え方が合うと一緒にいてとってもラクチン。親が子供の遊ぶ子を選ばないようにしたいけれど、やっぱり価値観合うってラクだし、子供たちもやっぱり楽しそう!何がラクって、ごっこ遊びが始まるのに時間がかからないんです。モノ(おもちゃ)がいらないんです。まあ、どんなにテレビづけで、キャラクターグッズに囲まれてる子でも最終的には想像を駆使した遊びができて感心するのだけれど、そこに至るまでちょっと時間がかかる。「おまえんちおもちゃね~な」とか言われるとこちらも遊べるかしらとドキドキしちゃうんですよね。けど、絵本を中心に育ってきてる子は会った瞬間からダイナミックな空想遊びが繰り広げられてて面白いんです!小学1年、年中、年少、2歳とこの縦割りの遊び方もまた面白かった~。うん、縦割り重要!と再確認。兄弟多いの楽しそうだな~。
余談ですが、『飛ぶ船』をはじめとする児童文学とか読んでると兄弟4人以上いて、遊んでるのが楽しそうなんだけど、必ずお手伝いさんがいるの。母は掃除洗濯料理何もしなくてよくて、ただ寝かしつけのとき優しく歌ったりすればいいだけ。これなら母さんいつだってニコニコしてられるよー、ってそんなんだったら私も産むよー、ってブツブツ言いたくなります(笑)。
さて、大人が見ていないほうが断然想像力が発揮できるみたいなので、できるだけ見て見ぬふりしてるのだけれど、もう聞こえてくる会話が面白くて。
一枚の布がピクニックシートになり、『めっきらもっきら』のモモンガーマントになり、空を飛び、太陽を生み出す魔法のスカートになる。杖をひとふりすれば竜巻だって起こせちゃうんです。
ある子から見ると「おまえんちは木のかけらのおもちゃしかない」その同じ場所が、今回来た子たちにとっては、「ああ、ここいいものがいっぱい!楽しい!!!」となる。だって、木のかけらがごちそうになり、宝物になり、なんにでも変身するんだもの。彼らはホンモノの魔法使いだわ。
テレビを全否定するつもりはないのだけれど・・・テレビを真似た遊びは会話に発展性がなくて、な~んか聞いててツマラナイ・・・。
変身する内容もいつも同じ、言葉も同じ。悪者をやっつけておしまい。うーん、なぜなんだろう?大人の作ったテレビは完成度が高くて、あまりにも受け身でそこに想像の余地がないから、内容がそれ以上発展しないのかな。
でも、絵本をベースにしたごっこ遊びはどこまでも想像が世界が広がっていくんです。いろんなストーリーがいい意味でごちゃまぜ。飛躍。そこにはダイナミックな冒険が繰り広げられ、ワクワクドキドキが無限大!人それぞれでいいなんて言いつつも、こんな楽しい遊びをしないなんて、子供時代を損しちゃうよー、ってやっぱり言いたくなっちゃうのです。テレビをベースにした遊びだけだと、その後の人生色々と応用力も効かないんじゃないかな、そんな気さえしてしまいます。
さて、室内遊びをやめ、山の中に入って木に登ったりして遊ぶ子供たちはもう森の小人のよう。写真の中に3人いるの分かるでしょうか?ん~、かわいい。
結婚式ごっこでは、こんなオブジェを作ってましたよ~↓
何も描かれてない木の丸太はウェルカムボードなんですって。大人には見えないけれど、子供たちにはそこに描かれてるものが見えるんだなあ、と感心。そして、やっぱり自然物を使って作ったものはなんでも美しいなあ、って。プラスチックの色や感触よりやっぱり、こっちが好き。
ゲームもいいけど、テレビもいいけど、こっちはもっともっといいよ~って教えたい。いや、教えるんじゃないな。子供はみな大人よりずっと遊びの天才なのだから、大人がその芽をつぶさないようにしたいな。子供たちの才能を見下してはいかんノダ。
既存のおもちゃなしで遊べるのは大人にとっても子供にとってもストレスフリー。ケンカがあっても、ケンカの質が違うと言ったら言い過ぎ・・・かしら?でも、そんな気がする。
みんなが持ってるオーズベルト(仮面ライダーらしいっす)はうちにはないけど、もっと楽しいことがあるからいいもん、とチビたちにも思ってもらえるようにしたいです。
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