詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ナボコフ『賜物』(27)

2010-12-04 10:34:34 | ナボコフ・賜物
ナボコフ『賜物』(27)

 ナボコフのことばには乱暴と繊細が同居している。

 にわか雨が止んだ。恐ろしく単純に、なんの仕掛けも芝居気もなく街灯が一斉に点った。(略)街灯の湿っぽい光に照らされて、自動車が一台、エンジンをかけたまま停まっている。車体の水滴は一つ残らず震えていた。
                               (50-51ページ)

 これ以上短くはいえないというくらい短く「にわか雨が止んだ。」と言い切ってしまう。「恐ろしく単純に、なんの仕掛けも芝居気もなく」というのも「乱暴」な表現である。そこにはどんな繊細な感覚も入ってくることはできない。繊細さを拒絶した、剛直なことばの運動である。それが車の上に残る水滴の描写になると一転して繊細になる。
 「車体の水滴は一つ残らず震えていた。」の「一つ残らず」が、ナボコフの視覚の強さを、繊細さを浮き彫りにする。そして、その振動(震え)によって、水滴が落ちる、ということを書かないことが、とても魅力的だ。ボンネットはまっ平らではない。エンジンによって震え、水滴が震えているなら、その車体からこぼれ落ちる水滴があってもいいはずだが、ナボコフは、それは書かない。
 時間が止まる--のではなく、たぶん、あらゆる時間がその「震え」のなかになだれ込むのだ。
 車と、その車の上の水滴の描写なのに、なぜか、車の「過去」(来歴)が見えるような、不思議な気がする。その車は、だれを乗せてきたのか、なぜそこに止まっているのか--そういうことを、思わず想像してしまう。



ナボコフのドン・キホーテ講義
ウラジーミル ナボコフ
晶文社

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1 コメント

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ナボコフー賜物27 (大井川賢治)
2024-05-16 22:26:36
一般論として、乱暴な表現というものが少しわかりました。私自身の詩作での欠点でもあります。乱暴を理解するためには、反対語の繊細を理解する必要があります。

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