自衛隊日報
自民党憲法改正草案を読む/番外112(情報の読み方)
2017年08月11日朝日新聞(西部版・14版)の1面。
という見出しで、衆参委の閉会中審査の記事が出ている。そのなかにこんな部分がある。
小野寺氏(防衛相)は、防衛観察本部の聴取結果を踏まえ、「(稲田氏に)報告したかどうかは意見が分かれた」と答弁。「(報告した事実が)『ない』とした方は明確に『なかった』と終始一貫している。(報告を)『したかもしさない』という方は意見が二転三転し、あいまいなところもあった」と説明した。
と言いたいようだが、これは、奇妙な論の展開ではないか。
(1)複数の人間がいる。そのうちの誰かは「報告した事実がない」という。これは、その人が報告していなければ、「私は報告していない」と明確に言える。だれかが稲田に報告しているのを聞いていても(その場にいっしょにいても)、「私は報告していない」と言うことができる。
(2)「したかもしれない」が「二転三転」している、というのはどうしてなのか。それを考えてみる必要がある。「報告した」と発言したひとが、ほんとうに「報告したのか」と再度確認され、さらにそのとき稲田はどう反応したのか、他のひとはそのときどう反応したのかと詰問されたからかもしれない。その人が「報告した」のは事実だが、稲田の反応、他の人の反応については正確に答えられなかった。そのために「あいまい」な部分が残った、ということかもしれない。
(3)複数の「証言」があるとき、その証言に揺らぎがないかどうかだけで、それが「事実」とは断定できない。少しでも疑問があれば、その疑問をもっと追及しなければならない。
さらに私はこう考える。
(4)「したかもしれない」という証言が揺れているのはなぜなのか。その人物に対して、どのような訊問の仕方をしたために証言がゆれたのか。その「過程」を明確にしなければならない。「二転三転」しているから「正確ではない」とはいえない。多くの「冤罪」は取調官の「証言の強要」によって生じている。「ほんとうはこうなのじゃないか」と証言をリードするようなことはおこなわれなかったか、それを点検しなければならない。どんな「答え」も「質問」の仕方によって、内容が違ってくる。
(5)「報告をした事実がない」と主張しているひとに対しては、「だれそれは報告したと答えているが、そのときあなたはどこにいたのか。(誰が右隣にいて、誰が後ろにいたのか)声を明瞭に聞き取ることができたのか。」「では、そのひとは、どういう報告(発言)をしたいたのか。そのときの稲田の反応は?」などを聞いてみるべきである。きっと「あいまい」な部分が出てくるだろう。それでも「誰も報告していない」と断定できるのかという問題が生じるはずである。
他の事例と比較してみよう。
文部省の「加計学園」をめぐる「文書」。文部省は存在しない、と言い張っていた。ところが「文書」はあった。多くの人間が「記憶にない」と言い張っている。ところが、「文書」は残っている。
「記憶」については、いつでも「ない」と言い張れる。全体的な「証拠」が出てくるまでは「記憶にない」と言い張れる。証拠が出てきたときは、「あ、そうだった、いま思い出した」と言い逃れができる。「すっかり忘れていた。記憶を訂正します」と、言い張ることができる。
「したかもしれない」とひとりでも答えているなら、それは「報告した」のだ。
「していない」と答えているひと、「したかもしれない」とこたえているひと、防衛省が「調査/監察」した人物を全員喚問し、国会の場で答弁させればいい。
「監察結果にこう書いてある」というのでは何も答えたことにはならない。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
自民党憲法改正草案を読む/番外112(情報の読み方)
2017年08月11日朝日新聞(西部版・14版)の1面。
相田氏関与認めず/日報再調査は拒否/防衛省答弁 監察結果なぞる
という見出しで、衆参委の閉会中審査の記事が出ている。そのなかにこんな部分がある。
小野寺氏(防衛相)は、防衛観察本部の聴取結果を踏まえ、「(稲田氏に)報告したかどうかは意見が分かれた」と答弁。「(報告した事実が)『ない』とした方は明確に『なかった』と終始一貫している。(報告を)『したかもしさない』という方は意見が二転三転し、あいまいなところもあった」と説明した。
(1)「報告をした事実がない」は「明確」
(2)「したかもしれない」は「二転三転し、あいまい」
(3)だから、「明確」な方が正しい(稲田は知らなかった/関与していない)
と言いたいようだが、これは、奇妙な論の展開ではないか。
(1)複数の人間がいる。そのうちの誰かは「報告した事実がない」という。これは、その人が報告していなければ、「私は報告していない」と明確に言える。だれかが稲田に報告しているのを聞いていても(その場にいっしょにいても)、「私は報告していない」と言うことができる。
(2)「したかもしれない」が「二転三転」している、というのはどうしてなのか。それを考えてみる必要がある。「報告した」と発言したひとが、ほんとうに「報告したのか」と再度確認され、さらにそのとき稲田はどう反応したのか、他のひとはそのときどう反応したのかと詰問されたからかもしれない。その人が「報告した」のは事実だが、稲田の反応、他の人の反応については正確に答えられなかった。そのために「あいまい」な部分が残った、ということかもしれない。
(3)複数の「証言」があるとき、その証言に揺らぎがないかどうかだけで、それが「事実」とは断定できない。少しでも疑問があれば、その疑問をもっと追及しなければならない。
さらに私はこう考える。
(4)「したかもしれない」という証言が揺れているのはなぜなのか。その人物に対して、どのような訊問の仕方をしたために証言がゆれたのか。その「過程」を明確にしなければならない。「二転三転」しているから「正確ではない」とはいえない。多くの「冤罪」は取調官の「証言の強要」によって生じている。「ほんとうはこうなのじゃないか」と証言をリードするようなことはおこなわれなかったか、それを点検しなければならない。どんな「答え」も「質問」の仕方によって、内容が違ってくる。
(5)「報告をした事実がない」と主張しているひとに対しては、「だれそれは報告したと答えているが、そのときあなたはどこにいたのか。(誰が右隣にいて、誰が後ろにいたのか)声を明瞭に聞き取ることができたのか。」「では、そのひとは、どういう報告(発言)をしたいたのか。そのときの稲田の反応は?」などを聞いてみるべきである。きっと「あいまい」な部分が出てくるだろう。それでも「誰も報告していない」と断定できるのかという問題が生じるはずである。
他の事例と比較してみよう。
文部省の「加計学園」をめぐる「文書」。文部省は存在しない、と言い張っていた。ところが「文書」はあった。多くの人間が「記憶にない」と言い張っている。ところが、「文書」は残っている。
「記憶」については、いつでも「ない」と言い張れる。全体的な「証拠」が出てくるまでは「記憶にない」と言い張れる。証拠が出てきたときは、「あ、そうだった、いま思い出した」と言い逃れができる。「すっかり忘れていた。記憶を訂正します」と、言い張ることができる。
「したかもしれない」とひとりでも答えているなら、それは「報告した」のだ。
「していない」と答えているひと、「したかもしれない」とこたえているひと、防衛省が「調査/監察」した人物を全員喚問し、国会の場で答弁させればいい。
「監察結果にこう書いてある」というのでは何も答えたことにはならない。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載 | |
クリエーター情報なし | |
ポエムピース |
医療、食料支援をする人達のこと、PKO でも同じって、ごまかしてる、・・
・・世界の認識は、自衛隊は軍隊だし、PKO は軍事介入のことだ、・・
・・南スーダンでの自衛隊の PKO 活動について、報告書は破棄されて、
活動内容は不明って、ありえない、防衛省は、資料なしじゃ、予算請求はできない、・・
・・PKO 活動内容の隠蔽、非公開は、総理官邸レベルの判断じゃないと、できない、
稲田大臣の不祥事、大臣の辞任で終わる問題じゃない、・・
・・防衛大臣が誰になっても、PKO 活動で何があったのか、不明なままでは、
安倍政権への、国民の不信は払拭できない、・・
・・PS、金正恩とトランプ(国連、国際社会)の、チキンレース、
北朝鮮国民や周辺国が、どうなってもいい金正恩には、勝てない、・・
・・金正恩は、自分の子供を人質にして要求を叫ぶ犯罪者と同じ、破滅的交渉、
使ったら金正恩体制が終わりの、核やミサイル開発を続けても、いいけど、
ロシアと中国は、どこまで許すのか、限界を越えれば、金正恩体制は終わりだ、・・