処刑を前に リッツォス(中井久夫訳)
壁を背にして立つ。払暁。目隠しなしだ。
十二丁の銃が狙う。彼は静かに思う、
若くてハンサムな自分を。きれいに髭を剃れば映えると思う。
遠くの地平がうっすらあからむ。あれが俺になる。
うん、ちんぽこの大きさはいつも並だ。
あったかいところがちょっぴり悲しい。宦官の目が行く箇所だ。
やつらの狙う箇所だ。もう自分の銅像になっちまったか?
自分で自分の銅像を見る。裸体。ギリシャの夏のきらきらしい日なか。
広場の空にすくっと立つ。群衆の肩の向うに、貪欲な観光の女たちの肩の向うに。
三人組の向うに--黒い帽子をかぶった三人の老婆の向うに。
*
前半がとても美しい。リッツォスの描く「聖」が鮮やかに出ている。特に4行目。
最後の「なる」がいい。ひとは何かに「なる」。それが遠い地平線の、うっすらとした暁の色。あかるみ。もう人間ではない。人間を超越する。そのときが、詩。詩そのものの瞬間。そしてそれは、死んでいく男の祈りである。
しかし、人間は、簡単には何かになれない。なりたいけれど、なれない。いつでも「肉体」がついてまわる。気になるのは「こころ」ではなく、「肉体」だ。「肉体」こそが「こころ」だからである。
の「うん」という、自分自身への言い聞かせも、とても気持ちがいい。「肉体」に語りかけることばは、いつでも「口語」である。「口語」が歩いてまわる「場」はとても限られている。そこにはいつも体温がある。次の行の「あったかい」がとても自然なのは、この「口語」の力によるものだ。
そこから出発して、男は、いまの「現実」をとらえなおす。もう一度、自分が何に「なる」か(なれるか)、祈りを点検する。現実が見えてくれば見えてくるほど、4行目の祈りが透明になる。4行目にもどって、その行だけを読んでいたいという気持ちに襲われる。
こういうときの気持ちを「共感」というのかもしれない。あらゆる行を振り払って、そのなかの1行だけを抱きしめていたいと思う気持ちを。
壁を背にして立つ。払暁。目隠しなしだ。
十二丁の銃が狙う。彼は静かに思う、
若くてハンサムな自分を。きれいに髭を剃れば映えると思う。
遠くの地平がうっすらあからむ。あれが俺になる。
うん、ちんぽこの大きさはいつも並だ。
あったかいところがちょっぴり悲しい。宦官の目が行く箇所だ。
やつらの狙う箇所だ。もう自分の銅像になっちまったか?
自分で自分の銅像を見る。裸体。ギリシャの夏のきらきらしい日なか。
広場の空にすくっと立つ。群衆の肩の向うに、貪欲な観光の女たちの肩の向うに。
三人組の向うに--黒い帽子をかぶった三人の老婆の向うに。
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前半がとても美しい。リッツォスの描く「聖」が鮮やかに出ている。特に4行目。
遠くの地平がうっすらあからむ。あれが俺になる。
最後の「なる」がいい。ひとは何かに「なる」。それが遠い地平線の、うっすらとした暁の色。あかるみ。もう人間ではない。人間を超越する。そのときが、詩。詩そのものの瞬間。そしてそれは、死んでいく男の祈りである。
しかし、人間は、簡単には何かになれない。なりたいけれど、なれない。いつでも「肉体」がついてまわる。気になるのは「こころ」ではなく、「肉体」だ。「肉体」こそが「こころ」だからである。
うん、ちんぽこの大きさはいつも並だ。
の「うん」という、自分自身への言い聞かせも、とても気持ちがいい。「肉体」に語りかけることばは、いつでも「口語」である。「口語」が歩いてまわる「場」はとても限られている。そこにはいつも体温がある。次の行の「あったかい」がとても自然なのは、この「口語」の力によるものだ。
そこから出発して、男は、いまの「現実」をとらえなおす。もう一度、自分が何に「なる」か(なれるか)、祈りを点検する。現実が見えてくれば見えてくるほど、4行目の祈りが透明になる。4行目にもどって、その行だけを読んでいたいという気持ちに襲われる。
こういうときの気持ちを「共感」というのかもしれない。あらゆる行を振り払って、そのなかの1行だけを抱きしめていたいと思う気持ちを。