榎本櫻湖「増殖する眼球にまたがって--読み殺しサクラコティック般若心経--」(「サクラコいずビューティフルと愉快な仲間たち」3、2011年06月10日発行)
榎本櫻湖「増殖する眼球にまたがって--読み殺しサクラコティック般若心経--」は「散文詩」という形をとっている--ことになっている。(らしい)。
「散文詩」の定義はどういうものだろうか。「行分け」でなければ「散文詩」ということになるのか。どうも、この定義はあやしい。たぶん、榎本の今回の詩(だけではないが)は、「行分け」ではないがゆえに「散文詩」と呼ばれるのだろう。榎本自身、「行分け」でないがゆえに「散文詩」と呼んでいるのかもしれない。
しかし、実際に読んでみると、私の考えている「散文」(たとえば、22日、23日に読んだ林嗣夫や小松弘愛の作品)とはまったく違っている。榎本のことばは「散文」ではない。「散文」とは「事実」を踏まえながら進んで行くことばの運動だと思う。「事実」を積み重ねることで「意味」を明確にし、その「意味」を発展させていくのが「散文」である。--この私の定義からすると、榎本のことばの運動は「散文」ではない。
これは冒頭の数行である。これは私の定義では「散文」ではない。まず、「主語」が何かわからない。「述語」が何かわからない。「文」になっていないのである。「文」になっていないから「意味」も存在しない。
けれど、たとえば「世界の総体は悉く文字のみによってなりたっているので、」はどうか。この部分では「主語」は「世界の総体」である。「述語」は「なりたっている」である。一応「意味」が感じられる。そこに書かれていることが「事実」に値するかどうかは別の問題だが、ともかく「主語」と「述語」があるので、そこから「意味」らしきものを感じることはできる。次の「《私》ですら例外ではなく、」おいては「主語」は「私」であり、「述語」は「例外ではない」になる。前の文とつづけて読むなら、「私」も「文字のみによってなりたっている」ということになる。次の「許多のまなざしに射貫かれて、」は「主語」を補うとすれば「私」、あるいは「世界の総体」ということになる。しかし、それがほんとうに「主語」であるかどうかはわからない。何かわからないものを含みながら、ことばは強引に動いていく。
「夥しい文字をまえに失明することを免れえぬ恐怖にうち震える《我々》は、」の「我々」は、これまでの「主語」を言い換えたものかもしれない。「世界の総体」「私」と「我々」は重なり合うかもしれない。その「我々」は「夥しい文字をまえに失明する」ではなく、「失明することを免れ得ぬ恐怖にうち震える」ということかもしれないが、ことばが行き来して「主語」「述語」が入り乱れ、煩雑である。「意味」があるかもしれないが、「意味」をつかみ取ることはとてもむずかしい。
「文」とは言えない。少なくとも「名文」とは言えない。「名文」とはわかりやすい文章のことである。榎本の文はわかりにくい。榎本は、わざとわかりにくく書いている。それは、たぶん、わかりやすい「意味」ではなく、その対極に「詩」があると考えているからだろう。詩は「意味」ではない。だから「意味」を否定するようにしてことばを運動させているのである。
少し前にもどって、説明しなおす。(私の「誤読」を押し進める。)
「夥しい文字をまえに失明することを免れえぬ恐怖にうち震える《我々》は、」という文を、私は「我々」は「夥しい文字をまえに失明する」ではなく、「失明することを免れ得ぬ恐怖にうち震える」--と読んだ。この私の「誤読」には、榎本が書いていないことばがつけくわえられている。「ではなく」を補って、私は榎本の「文」を私が納得できるものに書き換えた。この「ではなく」という否定し、逆の方向へことばを動かすというのが榎本の、この詩の特徴である。ひとつの「意味」を提示し、次にそれを否定することでことばを動かしていく。
私は「ではなく」を補ったけれど、よく読み返すと、同じことばを榎本自身が書いている。「《私》ですら例外ではなく、」と。
「ではなく」ということばを実際に書くこともあるが、省略することもある。そして省略されるのは、そのことばが榎本の「肉体」そのものになっているからである。何かを書きながら、それを「ではなく」と否定し、ことばを新しい世界へ動かしていく--そのことばの運動、ことばの肉体が、榎本の肉体そのものなのである。
「さもしい聴覚を頼りに痺れた光線を辿ろうと企てるが、」は「企てるが、それを実行するのではなく、」と読むべきなのだ。「意味」がわからなくなったら、そこに「……ではなく」を補うと、榎本の書いていることばを楽に(?)追いかけることができるようになる。なんといっても、それ以前に書かれていることばを、「……ではなく」と切り捨てて、次のことばの「意味」だけを考えればいいのだから。
この前に書いたことばを否定し、まったく別のことばに身をゆだねるようにして進むことばの運動--これは、私の定義では、全体に「散文」ではない。
これは、ことばの暴走であり、「行分け詩」の手法のひとつである。書いてしまったことばを否定し、ただ次のことばだけを、「いま/ここ」ではないところへ突き動かしていく。ことばが、ことば自身の自律運動で、まったく新しい世界を捏造するのにまかせてしまう。こういうことは、行がかわるたびに「空白」を呼び込む「行分け詩」の得意とするところである。
榎本は、形だけ「散文」風にみせかけながら、実際は「行分け」の「詩」を書いているのである。「意味」ではなく「意味」を否定することで「無意味」を創り出し、その無意味に「詩」ということばを結びつけようとしているのである。
これは力業だなあ、と思う。榎本の詩は力でぐいぐい押して書いていく詩なのである。
で。
というのも変だけれど、こういう力業はたいへんな体力を必要とするので、どうしても途中で「散文」に押し切られるところがある。「散文」(意味)の方が、たぶん、ことばを動かしやすいのだ。
たとえば、次のようなところ。
ここでは「意味」がストレートに動いている。そして、榎本の「ではなく」は「効果音としてではなく、」という部分に姿を現わしているのだが、これは衰弱した「ではなく」である。「効果音としてではなく、」は省略して、特殊な楽器ではあるものの、独奏楽器としても用いられることもあるが、」とするとき、「意味」が完結になる。
不必要な「ではなく」が、無意識に入ってしまう瞬間がある。
こういう部分を捨てて、「ではなく」を実際には書かないまま「ではなく」を含んだ文をつないで行くと、榎本の詩は、とんでもないものになるなあ、と思う。
榎本の詩は「散文詩」ではないのだけれど、そういう世界へたどりつけば、もう誰も「散文詩」とはいわないだろうと思う。いまはまだ「散文詩」ととらえられているのが残念である。榎本自身も「散文詩」ととらえているように見受けられるので、それが残念である。
榎本櫻湖「増殖する眼球にまたがって--読み殺しサクラコティック般若心経--」は「散文詩」という形をとっている--ことになっている。(らしい)。
「散文詩」の定義はどういうものだろうか。「行分け」でなければ「散文詩」ということになるのか。どうも、この定義はあやしい。たぶん、榎本の今回の詩(だけではないが)は、「行分け」ではないがゆえに「散文詩」と呼ばれるのだろう。榎本自身、「行分け」でないがゆえに「散文詩」と呼んでいるのかもしれない。
しかし、実際に読んでみると、私の考えている「散文」(たとえば、22日、23日に読んだ林嗣夫や小松弘愛の作品)とはまったく違っている。榎本のことばは「散文」ではない。「散文」とは「事実」を踏まえながら進んで行くことばの運動だと思う。「事実」を積み重ねることで「意味」を明確にし、その「意味」を発展させていくのが「散文」である。--この私の定義からすると、榎本のことばの運動は「散文」ではない。
世界の総体は悉く文字のみによってなりたっているので、《私》ですら例外ではなく、許多のまなざしに射貫かれて、夥しい文字をまえに失明することを免れえぬ恐怖にうち震える《我々》は、さもしい聴覚を頼りに痺れた光線を辿ろうと企てるが、ハビダブル・ゾーン観音、遍く眼球を棚引かせ、鱗粉に塗れた孔雀の羽根で覆われた土地の者よ、帷子に施された約しい刺繍の模様を、撫でる節くれだった指先をもがれる者よ、聞きなさい、飢えの臥す大地に、恙虫の跋扈する大地に、人体模型の内部を埋め尽くすミトコンドリア、枯れる枝葉の垂れる大地に、鬼の狂乱するさまをひたすら凝視め、蝗の転がる畑に出向いて、密かに眠る《聖なる愚者》の纏う襤褸の襞に、そっと豊かな舌を差し入れなさい、
(谷内注・「もがれる」は「手ヘンに宛」。字が出てこないのでひらがなにした)
これは冒頭の数行である。これは私の定義では「散文」ではない。まず、「主語」が何かわからない。「述語」が何かわからない。「文」になっていないのである。「文」になっていないから「意味」も存在しない。
けれど、たとえば「世界の総体は悉く文字のみによってなりたっているので、」はどうか。この部分では「主語」は「世界の総体」である。「述語」は「なりたっている」である。一応「意味」が感じられる。そこに書かれていることが「事実」に値するかどうかは別の問題だが、ともかく「主語」と「述語」があるので、そこから「意味」らしきものを感じることはできる。次の「《私》ですら例外ではなく、」おいては「主語」は「私」であり、「述語」は「例外ではない」になる。前の文とつづけて読むなら、「私」も「文字のみによってなりたっている」ということになる。次の「許多のまなざしに射貫かれて、」は「主語」を補うとすれば「私」、あるいは「世界の総体」ということになる。しかし、それがほんとうに「主語」であるかどうかはわからない。何かわからないものを含みながら、ことばは強引に動いていく。
「夥しい文字をまえに失明することを免れえぬ恐怖にうち震える《我々》は、」の「我々」は、これまでの「主語」を言い換えたものかもしれない。「世界の総体」「私」と「我々」は重なり合うかもしれない。その「我々」は「夥しい文字をまえに失明する」ではなく、「失明することを免れ得ぬ恐怖にうち震える」ということかもしれないが、ことばが行き来して「主語」「述語」が入り乱れ、煩雑である。「意味」があるかもしれないが、「意味」をつかみ取ることはとてもむずかしい。
「文」とは言えない。少なくとも「名文」とは言えない。「名文」とはわかりやすい文章のことである。榎本の文はわかりにくい。榎本は、わざとわかりにくく書いている。それは、たぶん、わかりやすい「意味」ではなく、その対極に「詩」があると考えているからだろう。詩は「意味」ではない。だから「意味」を否定するようにしてことばを運動させているのである。
少し前にもどって、説明しなおす。(私の「誤読」を押し進める。)
「夥しい文字をまえに失明することを免れえぬ恐怖にうち震える《我々》は、」という文を、私は「我々」は「夥しい文字をまえに失明する」ではなく、「失明することを免れ得ぬ恐怖にうち震える」--と読んだ。この私の「誤読」には、榎本が書いていないことばがつけくわえられている。「ではなく」を補って、私は榎本の「文」を私が納得できるものに書き換えた。この「ではなく」という否定し、逆の方向へことばを動かすというのが榎本の、この詩の特徴である。ひとつの「意味」を提示し、次にそれを否定することでことばを動かしていく。
私は「ではなく」を補ったけれど、よく読み返すと、同じことばを榎本自身が書いている。「《私》ですら例外ではなく、」と。
「ではなく」ということばを実際に書くこともあるが、省略することもある。そして省略されるのは、そのことばが榎本の「肉体」そのものになっているからである。何かを書きながら、それを「ではなく」と否定し、ことばを新しい世界へ動かしていく--そのことばの運動、ことばの肉体が、榎本の肉体そのものなのである。
「さもしい聴覚を頼りに痺れた光線を辿ろうと企てるが、」は「企てるが、それを実行するのではなく、」と読むべきなのだ。「意味」がわからなくなったら、そこに「……ではなく」を補うと、榎本の書いていることばを楽に(?)追いかけることができるようになる。なんといっても、それ以前に書かれていることばを、「……ではなく」と切り捨てて、次のことばの「意味」だけを考えればいいのだから。
この前に書いたことばを否定し、まったく別のことばに身をゆだねるようにして進むことばの運動--これは、私の定義では、全体に「散文」ではない。
これは、ことばの暴走であり、「行分け詩」の手法のひとつである。書いてしまったことばを否定し、ただ次のことばだけを、「いま/ここ」ではないところへ突き動かしていく。ことばが、ことば自身の自律運動で、まったく新しい世界を捏造するのにまかせてしまう。こういうことは、行がかわるたびに「空白」を呼び込む「行分け詩」の得意とするところである。
榎本は、形だけ「散文」風にみせかけながら、実際は「行分け」の「詩」を書いているのである。「意味」ではなく「意味」を否定することで「無意味」を創り出し、その無意味に「詩」ということばを結びつけようとしているのである。
これは力業だなあ、と思う。榎本の詩は力でぐいぐい押して書いていく詩なのである。
で。
というのも変だけれど、こういう力業はたいへんな体力を必要とするので、どうしても途中で「散文」に押し切られるところがある。「散文」(意味)の方が、たぶん、ことばを動かしやすいのだ。
たとえば、次のようなところ。
鋸の刃はときどきチェロやコントラバスを弾く弓で擦奏され、金属質でありながら柔らかで、グラス・ハーモニカに似た音がするそれは撓り具合で音程が変化し、自在に音階を演奏できるため、特殊な楽器ではあるものの、効果音としてではなく、独奏楽器としても用いられることもあるが、
ここでは「意味」がストレートに動いている。そして、榎本の「ではなく」は「効果音としてではなく、」という部分に姿を現わしているのだが、これは衰弱した「ではなく」である。「効果音としてではなく、」は省略して、特殊な楽器ではあるものの、独奏楽器としても用いられることもあるが、」とするとき、「意味」が完結になる。
不必要な「ではなく」が、無意識に入ってしまう瞬間がある。
こういう部分を捨てて、「ではなく」を実際には書かないまま「ではなく」を含んだ文をつないで行くと、榎本の詩は、とんでもないものになるなあ、と思う。
榎本の詩は「散文詩」ではないのだけれど、そういう世界へたどりつけば、もう誰も「散文詩」とはいわないだろうと思う。いまはまだ「散文詩」ととらえられているのが残念である。榎本自身も「散文詩」ととらえているように見受けられるので、それが残念である。