詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岡井隆「満員電車のなかのレクイエム」

2011-12-17 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
岡井隆「満員電車のなかのレクイエム」(「現代詩手帖」2011年12月号)

 岡井隆「満員電車のなかのレクイエム」(初出「ユリイカ」11年07月号)を読みながら、ことばの回復のさせ方というものを考えた。

  あの三月一一日帰宅できなくて或る所へ泊つた。
もう一度あの日の午後を たとへば だ「インドラの網」に置いてみるなら
  そこへは次々に老若の男女が入つて来た。
人々はみな奇妙な笑みをうかべてはわたしを見つめ やがて眠った
  そのころ遠くて近い海岸で大勢の人が死んだのだつた。
向かうから来るものなのだ向から来て天上へ連れ去つて行く

  霊もまたわたしの感覚には届かなかつたらしい。
かずかぎりなき霊が喚(よ)ばつてゐたことに気づかず枕など直してた

 スタイル(形式)がかわっている。2字下げの行が交互に出てくる。2字下げの行は短く、突き上がっている行は長い。とても読みづらい。行のはじまりのでこぼこ感にじゃまされて、ことばがすんなり入って来ない。
 東日本大震災のことを書いている。そのこと、岡井が体験したことを書いているのだが、これはいったいどういうことなんだろうなあ、としばらくぼんやりしていた。
 ふと、頭が下がっている行だけ読み、ひと呼吸置いて頭が突き上がっている行を読んでみた。すると、

 あ、
 行が突き上がっているのは短歌である。

 頭が下がっているのは、現実の情景である。

  あの三月一一日帰宅できなくて或る所へ泊つた。
  そこへは次々に老若の男女が入つて来た。
  そのころ遠くて近い海岸で大勢の人が死んだのだつた。
  霊もまたわたしの感覚には届かなかつたらしい。

 三月一一日、岡井は帰宅できなくてあるところに泊まった。そこにはやはり帰宅できないひとたちがやってきた。
 そして、その後(帰宅したあと?)、岡井は大震災の津波で大勢の人が死んだことを知った。
 もしかして、あのとき、あの泊まったところで出会った大勢のひとは、岡井のように交通機関がなくて帰宅できなかった人なのではなく、帰ろうとしても帰れない死者たちではなかったのか。その霊ではなかったのか。
 そして、そう感じたことがら、事実というよりは、精神でとらえ直した三月十一日が、頭が突き上がった行である。その行は、短歌である。


もう一度あの日の午後を たとへば だ「インドラの網」に置いてみるなら
人々はみな奇妙な笑みをうかべてはわたしを見つめ やがて眠った
向かうから来るものなのだ向から来て天上へ連れ去つて行く
かずかぎりなき霊が喚(よ)ばつてゐたことに気づかず枕など直してた

 正確に5・7・5・7・7のリズムがそこにあるとはいえないかもしれない。けれど、音の基本が5・7・5・7・7で構成されている。そのリズムのなかで、現実と精神を交錯させている。
 ことばを鍛え直している。
 ことばが無意識に動いていくのを、無意識に制御している。

 なぜ、岡井が泊まったところへ来たひとびと、そのなかに帰ろうにも帰れない津波の被害者の霊がいると気がつかなかったか。
 この疑問が岡井を苦しめる。
 その苦しみのなかで、やってこなかった霊と交感する。
 そのときことばは、「歌」になる。
 「歌」と書いてしまうとなんだか、軽い感じがするのだが、肉体のなかにあることばの肉体のリズムと交感し、岡井自身の肉体を超える。

  賢治が病んで会つた魔だつたのだ。
丁(ちょう)、丁、丁といふあの気合だな ゲニイめが海のなかから来たんだと思ふ
  あれから三箇月たつた宵の電車の中。
会へなかつた「雁の童子」に今度こそ銀色に透(す)いて会ふかもしれず
  満員電車にたまたま一人の老人としてわたしは居た。
それ向きの本はあちこちに置いてありタッピング父子もゐる筈
  奇妙な宵ではなかつたがどこか歪んでもゐた。
ひるすぎに渡つた橋が夕ぐれにもう一度ほのと見えて渡つて
  今朝も、あの「天人」が見えてゐた。
生まれては直ぐ死ぬ朝のとりとめもない雲たちの墓場 曇天
  そして、満員電車のレクイエムだ。
ヴィクトリアのレクイエムきいて来たばかり。さはがしき霊よ天に鎮まれ

 宮沢賢治のことば。さらに音楽が岡井を、「岡井のいま/ここ」から引き剥がす。引き剥がされて、そして再び岡井はもどってくる。そのとき、大震災の被災者の霊と交感する。その交感の仕方--そこに、岡井独自の精神以外のものがまじる。そのことに、私は、震えるような何かを感じる。
 何か大きなものに対し、自分一人では立ち向かえない。
 そのことを岡井は知っている。
 だから賢治のことばを頼りにする。レクイエムの調べを頼りにする。そして、岡井が肉体化してきた短歌のリズムを頼りにする。頼りにすることで、だれかとつながる。
 被災しなかった者こそが、だれかを頼りにしないことには、「いま/ここ」を生き抜いていけない。
 その静かなかなしみを感じた。その静かな正直を感じた。





注解する者―岡井隆詩集
岡井 隆
思潮社

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