監督 ハナ・マフマルバフ 出演 ニクバクト・ノルーズ、アッバス・アリジョメ
アフガニスタンの子供の姿をリアルに描いている。マーク・ハーマン監督「縞模様のパジャマの少年」のような「美化」がない。悲劇に仕立てるという美意識がない。そこが、とてもいい。
6歳の少女が、学校へ行きたい、と思う。隣の男の子が学校でならってきた本を読んでいる。「男が昼寝をしている。くるみが落ちてきて、頭にこっつん。ああ、よかった、これがカボチャだったら俺は死んでいる。」というような話。何とか字が読めるようになりたい。「お話」を読みたい。だから、学校へ行きたい。
学校へゆくにはノートと鉛筆がいる。合わせて20円(円、というのは、いい加減な私のでっちあげ。ほんとうはナントカカントカという通貨の単位があるのだが、面倒なので、円で我慢してね)。でも、お金がない。卵を4個売れば20円になる。生み立ての卵を持って市場を歩く。でも、だれも買ってくれない。そればかりか、2個は落としてしまう。10円にしかならない。あっちこっち歩くが買い手はいない。鍛冶屋さんがパンなら買う、という。そこで、パン屋へ行って物々交換。パンを持って、鍛冶屋へ行って、やっと10円。文房具屋へ行って、ノートだけ買う。鉛筆は、おかあさんの口紅で代用することにする。
で、子守をしなければならないのだけれど、赤ん坊の足を紐でしばって、男の子と一緒に学校へ。でも、そこは男子校。「女の子は、川の向こう、あっちへ行け」と言われ、追い出されてしまう。女の子の学校へ行ったは行ったで、座る場所がない。それでも、なんとか、もぐりこむ。鉛筆がわりの口紅をみつけられ、教室はにわかに化粧ごっこがはじまる。それを先生にみつかり、またまた追い出されてしまう。なかなか、学校へ通うのもたいへんである。(おしんのように、学校の外から窓越しに勉強--というわけにはいかない。)
このあたりの描写もおもしろい。卵を売り歩くシーンもいいが、特に、ノートと鉛筆の金がほしくて、おかあさんを探してあっちへ行ったりこっちへ来たりするシーンが、なかなかいい。険しい尾根の道を歩きながら、「おかあさん、どこ。崖の道を歩くのはこわいよ。崖から落ちたらおかあさんも困るでしょ。おかあさん、どこにいるの?」とさまようシーンがいい。尾根には深い亀裂も入っている。傍から見ていても危険なのだが、そこはやはり、現地の子(と、思う)。おぼつかない足どりではあるのだけれど、どことなく慣れている。何度も何度も、その道を通った感じが全身から滲んでいる。子供は、とても順応性がある。とても、たくましい。その感じが、このシーンにとてもよくでている。
だからこそ、その後の「子供の情景」がいきいきとしてくる。
女の子は、学校へ行きたい。ただ、そのことしか考えていないが、男の子たちはそうではない。非日常。とんでもないことに、こころを奪われる。アフガンでとんでもないこと、と言えば、戦争。それしかない。「タリバンごっこ」に夢中である。(私たちの世代が「アンポ」ごっこ、みんなで集まって「アンポ反対、アンポ反対」とデモもごっこするのに似ている。)
みんなで女の子を取り囲んで、棒切れの機関銃で「プシュー、プシュー」(バンバン、バキューン」とは言わない)、ノートを取り上げ、まっさらな紙で紙飛行機つくる。友だちの少年をアメリカのスパイに見立て、落とし穴に落としたりもするし、ほかの女の子たちさらってきて(?)、洞窟に監禁したりもする。遊びだから、撃たれて死んだふりをすれば解放されるのだが、女の子たちには、その遊びのルールもわからない。男の子たちは、野原の道も洞窟だけでタリバンごっこをするわけではない。大人たちが一生懸命働いている畑(?)でも、みさかいなしに女の子やその友だちを追いかけ、「プシュー、プシュー」。大人は大人で、「やめなさい」というような注意などしない。子供相手に時間をつぶしたくないのだ。
大人は、こどもをかまわない。最低限のことしか、しない。それ以外のことをする余裕がない。これが戦争の「日常」なのだ。庶民の「戦争」の日常なのだ。そのなかで、子供は、かなえられない夢を、それでも追いかける。学校で文字を習いたい。物語を読んでみたい。何が起きているのかわからないが、タリバンごっこは、棒切れがあればできる。体を動かし、時間を忘れることができる。勉強と、戦争ごっこに、区別はない。どちらも、自分の知らないことが、そこで起きている。だから、それに夢中になる。そこで生きるしかない。
悲惨だけれど、そこには不思議ないのちの輝きがある。「縞模様のパジャマの少年」のような、悲劇はない。現実が悲劇になるには、ある虚構が必要なのだろう。子供は何も知らない、というような、大人にとって都合のいい虚構が。「子供の情景」の監督は、そういう「虚構」を排除している。そのかわりに、子供の欲望が引き寄せる世界をていねいに描写している。それはある意味で悲惨だが、とてもたくましい。そこが、この映画のいいところだ。