今日の草履は、一般綿生地シリーズMサイズ24cm〔3000円〕
紺唐草をベースに、同系の紺を合わせた配色Ⅱパターンです。2006年の人気ランキングでも上位だったこの配色は、きっと今年も大活躍してくれると思います。
娘たちの冬休みが終わり、昨日から登校が再開されました。休み明けは荷物がいっぱい‥というのは昔の話のようで、今は宿題もペーパーだけですから楽なもんです。昔はあったけど今はない宿題、「工作」もその一つですね。
以前のブログでも少し触れましたが、25年前に他界した私の実父は樺細工の職人でした。樺細工を志したのは私が保育園くらいのときですから、親父は40歳くらいと思います。私がものごころついた頃は靴を作る職人で、仕事場へ私もよく遊びに行ってました。その靴屋さんの廃業に伴って、親父は樺細工へ向かったように憶えています。
ものづくりには私も子どもの頃から関心がありましたから、自宅裏にある親父の作業場へよく出入りしていました。親父は「タバコケース」を専門に作っていて、作り方は子どもなりに理解していたもんです。最後の仕上げなどは、しょっちゅう手伝っていました。
小学4年の冬休み、宿題の工作をなににするか悩んだ私は、ふと樺細工の「タバコケース」を作ってみたいと思ったんですね。親父に言うと、賛成でも反対でもないような返答だったと思います。おそらく、私に出来るわけがないと思ったのと、小学生にタバコケースはマズいというのもあったかも知れません。
さすがに、最初から最後までをひとりで作るのは無理でしたね。「にかわ」の扱いがこれほど難しいとは思いませんでした。焼きゴテの温度を誤ると、桜の皮がくっついてくれなかったり、逆に焼けこげてしまったり。
それでも親父は、それまでは触らせてくれなかった工程をいろいろやらせてくれました。どうにか形になると、仕上げの研磨は手馴れたもんです。まず細かいペーパーで研ぎ、さらにバフ磨き、最後はワックスを塗って出来上がりです。その出来栄えには、私自身が驚いたものでした。
冬休みが終わり、私が作ったタバコケースを担任の先生へ渡しました。先生はにわかに信じてくれませんでしたね、『おめぇの父さんが作ったもんだべぇ』ってなもんです。
手伝ってはもらったものの、確かに私が作ったものだということを説明すると、半信半疑ながら「工作コーナー」へ展示はしてくれました。
今でもそのときの心境を鮮明に憶えているんですが、先生が信じようが信じまいがそんなことはどうでも良いことでした。展示されたタバコケースが誰の手によって産まれたものなのか、私と親父だけは知っていましたから。
あれから30数年が経過しました。私が草履作りをはじめた頃、当時小学2年生の三女が興味深げに見ているものでした。
間もなく、「時代は巡るなぁ~」をしみじみ想う出来事と遭遇します。
後編へ続く‥。
紺唐草をベースに、同系の紺を合わせた配色Ⅱパターンです。2006年の人気ランキングでも上位だったこの配色は、きっと今年も大活躍してくれると思います。
娘たちの冬休みが終わり、昨日から登校が再開されました。休み明けは荷物がいっぱい‥というのは昔の話のようで、今は宿題もペーパーだけですから楽なもんです。昔はあったけど今はない宿題、「工作」もその一つですね。
以前のブログでも少し触れましたが、25年前に他界した私の実父は樺細工の職人でした。樺細工を志したのは私が保育園くらいのときですから、親父は40歳くらいと思います。私がものごころついた頃は靴を作る職人で、仕事場へ私もよく遊びに行ってました。その靴屋さんの廃業に伴って、親父は樺細工へ向かったように憶えています。
ものづくりには私も子どもの頃から関心がありましたから、自宅裏にある親父の作業場へよく出入りしていました。親父は「タバコケース」を専門に作っていて、作り方は子どもなりに理解していたもんです。最後の仕上げなどは、しょっちゅう手伝っていました。
小学4年の冬休み、宿題の工作をなににするか悩んだ私は、ふと樺細工の「タバコケース」を作ってみたいと思ったんですね。親父に言うと、賛成でも反対でもないような返答だったと思います。おそらく、私に出来るわけがないと思ったのと、小学生にタバコケースはマズいというのもあったかも知れません。
さすがに、最初から最後までをひとりで作るのは無理でしたね。「にかわ」の扱いがこれほど難しいとは思いませんでした。焼きゴテの温度を誤ると、桜の皮がくっついてくれなかったり、逆に焼けこげてしまったり。
それでも親父は、それまでは触らせてくれなかった工程をいろいろやらせてくれました。どうにか形になると、仕上げの研磨は手馴れたもんです。まず細かいペーパーで研ぎ、さらにバフ磨き、最後はワックスを塗って出来上がりです。その出来栄えには、私自身が驚いたものでした。
冬休みが終わり、私が作ったタバコケースを担任の先生へ渡しました。先生はにわかに信じてくれませんでしたね、『おめぇの父さんが作ったもんだべぇ』ってなもんです。
手伝ってはもらったものの、確かに私が作ったものだということを説明すると、半信半疑ながら「工作コーナー」へ展示はしてくれました。
今でもそのときの心境を鮮明に憶えているんですが、先生が信じようが信じまいがそんなことはどうでも良いことでした。展示されたタバコケースが誰の手によって産まれたものなのか、私と親父だけは知っていましたから。
あれから30数年が経過しました。私が草履作りをはじめた頃、当時小学2年生の三女が興味深げに見ているものでした。
間もなく、「時代は巡るなぁ~」をしみじみ想う出来事と遭遇します。
後編へ続く‥。
お父さんの作っている姿と、その樺細工に興味津々の小学生。
私の父方のおじいちゃんは大工でした。
父親はモノ作りに従事はしなかったものの、
画がとっても上手で、
時代が時代ならデザイナーになれたんじゃないか、
なんて今も思ったりします。
描く作る、という環境にいたせいか、
私も作ることには興味以上のものがあります。
私の子供も私の作る仕事を多少は理解しているようです。
「巡るなぁ~」、なんて日がくるのかなあ・・・。
そうですかぁ、やっぱりお父上も画の才能があったんですねぇ。
それじゃあなおさらご子息もその血を引きますよ。長男さんはすでにその兆候があるんじゃないですかっ!