三栄ビル。港区新橋5-23。1986(昭和61)年2月2日
『総覧』に「三栄ビル、港区新橋5-23-7、昭和7年(1932)、RC4、設計=国枝博、施工=清水組」の記載があるビル。
前の大通りは日比谷通りで、三栄ビルの右の街区は芝郵便局前交差点まで、浜ゴムビル(横浜ゴム本社、1961年竣工)である。写真では社名を書いた看板がなにもないのでテナントはみな出てしまっているようだ。三栄ビルの後ろには「浜ゴムビル別館」があり、昭和40年代の地図には「三栄ビル 横浜ゴム製造KK」とあるので、このビルも横浜ゴムが使っていたようだ。
右写真では後ろの半分はすでに解体されてしまっている。現在、その場所に「ニュー三栄ビル」が建ち、前の半分が改築された三栄ビルである。
設計者の国枝博(1879-1943)は、1905(明治38)年、東京帝国大学工科大学建築科を卒業。大阪を拠点に活躍した。朝鮮総督府に在任中、主任技師として朝鮮総督府庁舎の設計に携わる。残されている作品には滋賀県庁本館(1939年)、八木通商ビル(大阪市、1929年改修)など(ウィキペディア参照)。当ブログでは 平和生命館(中央区銀座、1932年)を収録している。
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ふとネットで自社ビルを検索していたらここに行き当たりました。
現在は写真の姿も無くなりましたが、先代の父親が建てたビルです。
その当時は非常に趣もあったのですけどね。
裏のニュー三栄ビルとは通路で繋がっており、そこは伯父の持ち物だったんです。
内部は昔の学校の様な石造りで頑強な造りでした。
当時似た造りで思い出すのが銀座の交詢社ビル。
もう30年以上前の話になってしまいました。
とりとめのない話を書いてしまってすみませんでした。
余りにも懐かしい写真で嬉しくなって投稿させていただきました。
旧三栄ビルの写真はネットではほとんど見られないようですね。私は港区の写真はほとんど撮っていないといっていいのですが、新橋周辺なら少しは歩いています。この写真は、慈恵医大へ向かっている途中で目についたものかと思います。解体直前かと思いますが、一応は記録できてよかったです。