都立工芸高等学校。文京区本郷1-3。1988(昭和63)年頃
都立工芸高校は外堀通りの水道橋交差点に正対して校門があり、校庭が前面にあってその奥に校舎が見えていた。校舎までは距離があったから長い正面の全体を眺めることができた。
『総覧』では「都立工芸高等学校(旧府立工芸学校)、建築年=1928(昭和3)年、構造=RC3、設計=東京府、施工=高梨定吉」。
『都立工芸高校100年の歩み』によると、1907(明治40)年、東京府立工芸学校として京橋区築地に開校している。震災後の1927(昭和2)年、新校舎が完成して現在地に移転。1962(昭和37)年からおよそ10年間にわたり改修工事が入っている。現在の校舎は1993(平成5)年から工事が始まり、創立90周年の1997(平成9)年に完成した。
水道橋上から撮った校舎の横側が写っている写真。三角の切妻のようなパラペットのためか、古典様式の建物にも見えるが、滝がかかっているような付け柱の壁面は表現主義を感じさせる。1988(昭和63)年10月10日(下も)
撮影時から20年経って水道橋交差点の景観はすっかり変わってしまった。当ブログには、後楽園GYMがあった西北側と木造2階建ての店舗が並んでいた西南側を記録してあるので、ついでに紹介しておく。
『後楽園GYM(2008.08.03)』
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ちょうど通っていた時のもので
思わず投稿させていただきました。
当時野球部に所属していて
1年生のときはボール拾いばかりでした。
ご覧のようにグランドが狭く
先輩が打った球はフェンスを越えて
運が悪い時はボールが車に直撃して
車の持ち主が校門の所へ来て
仁王立ちして待ってたりと
そんな誤る仕事も1年生の役目でした。
軟球の為、ガラスが割れたり車のボディーが
凹むまではなりませんでしたが、
たいがい誤って許してもらえました。
それが理由ではないのですが、それから何ヶ月かで
野球部を退部しましたが
今の時代なら問題になるところ
昔の人はつくづく優しいなと実感しましたねー。
当ブログを訪問ついでに駿河台、神保町あたりの記事も見ていってください。見覚えある建物や街並みがあるのではないかと思います。