ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




ヤマト電気製作所。台東区下谷2-13。1989(平成1)年3月19日

当ブログ前回の通りを少し東へ行ったところで、写真右の神社は小野照崎神社。3軒分に区切られた長屋形式の家である。
『東京の町を読む』(東京のまち研究会著、相模選書、昭和56年)にこの家の1階平明図画載っている。それを見ると右側の1軒は三角形の平面である。『東京の町を読む』には「震災復興時の広い新設道路と小野照崎神社の参道にはさまれた制約のある角地に建つため」と書かれている。この家の1階の造作を見ると、床屋だったようだ。右端の消火栓の看板が架かる内側はトイレである。建物の2階は少し後退していて前面に申し訳程度の1階屋根が付いている。2階の壁面や窓は看板建築と同じ形式だ。窓が大きいから戸袋が目立つ。



近影。2006(平成18)年4月9日

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コメント
 
 
 
塔屋が面白い (Design_walker)
2010-08-13 23:55:38
1989の写真では真中の店舗の看板の為に塔屋の様な物を二階に建てているのですね。ルーバーが付いているあたりが面白いですね。通気を気にしていたのでしょうか。この写真を見た瞬間に床屋と思ったのですが、当時は横長の窓に白い壁面、壁から出てくるテントは共通の仕様だったのでしょうか。
 
 
 
>Design_walker様 (流一)
2010-08-15 08:49:43
建物中央の看板は断面がL形の鉄棒かなにかで枠を組み立てて板を貼り付けたものだと思います。ルーバーの開口部は、その上の看板を支える支柱にもなっているようです。ルーバーにしてあるのは家の窓から通りを見下ろせるようにという工夫のように感じます。
床屋の横長の窓を並べた造りは、床屋独特のものなのでしょうか? 美容院にもあったのでしょうか? 誰が何時やり始めて何時ごろにやらなくなったのでしょうか? なんとなく全国的にあるような気がしますが地域的な特徴があるのでしょうか? 誰か研究してくれないかな、と思っています。
 
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