純喫茶藤、喫茶TOP。千代田区神田神保町2-19。1985(昭和60)年8月4日
靖国通りの南の裏通りで、右奥が白山通り。さくら通りの旧相互無尽の裏である。
昨日、出かけた帰りに神保町によって『1960年代の東京』(写真:池田信)と『隅田川の向う側』(半藤一利著)を購入したのだが、ついでに写真の建物がまだあるかと確認に行ってみたら消えて駐車場になっていた。Googleマップの航空写真には写っているがストリートビューだとシートに覆われて解体中である。ついこの間も写真を撮ったのに、と思ったらそれは2006年3月のことですでに3年前のことだった。
上の写真は純喫茶藤の並びにまだ何軒か古い家が写っているので出しておく。住宅地図では純喫茶藤がアサヒ商会となっていて、その右が千歳テーラー、2軒おいて共栄梱包とパンナビ。
1枚目の写真では純喫茶藤の日除けがひどい状態だがそれが取り替えられている。建物右の店にのれんが写っている。飲食店が入っていたのだろうか。写真左の旧相互無尽(第一相銀別館)との間の家が写っている。1987(昭和62)年2月22日
純喫茶藤の石張りにした壁面と、TOPの入口が分かる写真。「図書出版・論創社/図書出版・木魂社」の看板がかかる。1991(平成3)年6月30日
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私の父が写真の「純喫茶TOP」を経営していました.
お写真のお店は,「本店」で,「支店」は近くの小学館ビルの地下で3年前まで営業しておりました.
本店が取り壊される時は,とても残念でしたが,このお写真を拝見して懐かしく思いました.
お写真で「純喫茶 藤」さんの右隣ののれんが見えるお店は,中華料理の「末広」さんでした.大人4~5人しか座れないカウンター席のみでしたが,ドライカレーやラーメンなどボリュームたっぷりで美味しかったです.
純喫茶TOPと純喫茶藤さんの間には,細い通路があり,TOPと藤さんと末広さんの裏口になっていました.主にゴミ箱を置いていました.
私は,神保町に生まれ,今も神保町に住んでいますが数々の懐かしい写真に感動しました.
またサイトを拝見いたします.
当ブログでは、神田はカテゴリーとして独立しているように、わりと詳しく取り上げていますのでお楽しみいただけると思います。
もう少しだけこれらのお写真について補足いたします.
父は,おそらく昭和20年代後半にTOPを開店したそうです.
ですから,その以前からこの建物はあったそうです.
このお写真の後,工事などで地面を掘ると関東大震災時のものと思われるものや貝殻などいろいろ出てきたそうです.
『TOP』は,1階と2階が客席になっていて,店内2階の右の壁の小さなドアから急な階段で3階に行けるようになっていました.若い頃は,3階に住んでいたそうです.その後は倉庫にしていました.『TOP』だけは他の店舗とは独立して3階まで通じていたのです.
お写真をよくみると,純喫茶『藤』さんと,『末広』さんとの間にシャッターが見えるかと思います.この部分から他の2階や3階部分に行ける階段となっていました.実際にその階段を登って上の階の出版社さんなど,いくつかの部屋に行ったことがあります.
また,TOPの左側に見える民家みたいな建物は,昭和50年代までは,てんぷらの『天作』,その前後「遠藤印刷」さんが入居しておりました.『天作』さんは,三崎町に,印刷屋さんは,飯田橋に移転しました.その後は,しばらく空き屋になっていましたが,お写真の直後くらいに取り壊され,長い間「空き地」になっていました.
お写真では隠れていて見えませんが,実はこの建物のちょうど裏手は民家になっていました.
「空き家」と旧第一相互銀行別館の間に道があってそこから入る感じでした.
他のお写真も拝見いたしました.ちょうど掲載されている時代に,私はよくさくら通りやすずらん通りを毎日遊び場にしていたので,どの建物も馴染みのものばかりです.
昭和50年代~平成8年位までの神保町2丁目の奇数・偶数番地,西神田近辺は,よく覚えています.
またわかることがありましら,コメントいたします.
懐かしい数々のお写真ありがとうございます.
この辺りをストリートビューで見てみました。TOPの建物があったところは駐車場のままですね。「天作」の建物は間口の狭いビルに。さくら通りの手塚印刷が取り壊されて「裏手の民家(鈴木家)」が見えていますね。今では古いままの建物は朝田質店だったものくらいでしょうか?
都心ですからビル化が進むのは当然なのですが、住んでいた方々が離散していってしまうのはやはりさみしいですね。