ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




浅野ビル。中央区日本橋1-3。2010(平成22)年5月8日

中央通りと永代通りが交わる日本橋交差点から北の方向を撮った最近の写真だが、角のビルから左へ、永代通り沿いの3棟のビルがすでに解体された。今は新築工事に入っているものと思う。
角のビルは、伊予銀行東京支店が入っている「浅野ビルディング」。1960(昭和35)年10月に竣工した。その左は「東京建物日本橋ビル」で、解体工事の準備に入ったのか、足場が組まれていて、ビルの看板も「大成建設」だけだ。
さらに隣は「日本橋中央ビル」というが、看板が見当たらないのでテナントは大方が出てしまったらしい。1986年の地図では北海道拓殖銀行が入った「東京たくぎんビル」であり、1969年の地図では「北海ビル」の名称になっている。1955(昭和30)年7月の竣工、9階建て地下2階。


東京建物日本橋ビル
2007(平成19)年6月7日

不動産のサイトによれば、1959(昭和34)年11月の竣工、10階建て地下2階、というビルである。1986と1969年の地図では「大和ビル」となっている。
昭和30年頃の火保図に「ヤシマホテル」となっている場所である。The world of HOTEL LABEL>ヤシマホテルによれば、軽井沢万平ホテルは昭和6年に東京進出して「麹町万平ホテル」を開業するが、その翌年、昭和7年7月に日本橋にも「八洲ホテル(やしまホテル)」を開業した。終戦後は進駐軍に接収されたが、昭和23年には解除され、「政府の貿易庁直営ホテルとしてバイヤーズホテル」として使用され、昭和27年には「ホテルヤシマ」として元に戻る。しかし、早くも昭和31年に閉鎖された。
当サイトには「今日この地に立ってみると、建物自体は取り壊されてはいないようで、当時の面影が感じられます」とあり、他にも写真の建物が戦前のホテルだという話を聞く。縦長の窓2個を1つにまとめて横長の窓に改修したとみれば、外観は当てはまるようである。竣工年の1959年は、建物の後ろに増改築したことを言っているのかもしれない。

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コメント
 
 
 
東京建物日本橋ビル (凛太郎)
2013-03-21 10:47:50
このビルは、一時、大和ハウスの東京支社として使われていました。僕も新入社員の頃、半年くらい通ったことがあります。
設計は渡辺仁の筈ですが、当時の設計部に渡辺仁の名を知る人は皆無だったのを覚えています。
大和ハウスを止めるきっかけの一つにもなった出来事です。
 
 
 
>凛太郎様 (流一)
2013-03-23 14:11:56
「大和ビル」は社名からきているのだろうとは思っていましたが大和ハウスでしたか。大和証券などと書かなくてよかったです。凛太郎さんがここで仕事をしたことがあるとは! 懐かしいところですね。
建築を勉強してきた人でも、建築史となると趣味の範囲なのでしょうか。
 
 
 
渡辺仁 (凛太郎)
2013-03-25 09:19:54
追記です。
渡辺仁は大学での「近代日本建築史」の講義では、皇室博物館コンペにおいて、コンペの要項にあった日本趣味的な意匠、つまり帝冠様式を採らずにインターナショナルスタイル案で応募した前川國男に対し、時流(要項)通りに帝冠様式を採った当選案の設計者として、そして、戦後GHQ本部となった第一生命ビルの設計者としても登場する建築家で、一級建築士試験にも出題されてもおかしくない程の有名建築家です。
建築士なら渡辺仁と岡田信一郎くらいは、昭和初期の建築界を彩った建築家として、知っておくべき建築家だと思います。
 
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