ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





上:萩原屋米店。墨田区東向島1-8
2013(平成25)年3月17日
左:雨宮酒店。東向島1-9
2009(平成21)年3月29日

鳩の町商店街の墨堤通り側の入り口から東の方へ行ったところで、立派な出桁造りの米屋だった商家が残っている。商売をやめたのは1990年代かと憶測する。裏は「萩原駐車場」で「萩原商事不動産」の管理だから、家作なども持っているのだろう。
右の横丁の向かいは区立露伴児童遊園で、幸田露伴が1908(明治41)年から大正13年まで住んでいた家があったところ。『小林泰彦の謎と秘密の東京散歩』(2013年、JTBパブリッシング、1512円)によると、1972年に明治村に移築された蝸牛庵は1897(明治30)年から児童遊園の家に移るまでいた家で、児童遊園の家から目と鼻の先、鳩の町商店街の墨堤通り側の入り口にある雨宮酒店横の駐車場にあったという。当時の住所で「寺島村字新田一七一六番地」らしい。『文化財ナビ愛知>明治村幸田露伴住宅』には「明治初年、隅田川のほとりに建てられたもので、当初は豪商の寮(りょう)(下屋敷、別荘)であったらしい。その後、酒類を扱う甲州屋雨宮家の持ち家であったものを、幸田露伴が借家した」とあるから、雨宮商店はかなりの旧家らしい。
露伴が最初に寺島村に移り住んだのは1893(明治26)年。「寺島村字番場二五五番地」という(『東京村.com>江東4区ゆかりの人物・ゆかりの地(14)』)。「南葛飾郡寺島村大字寺島字馬場255」は明治通りの白髭橋東詰交差点辺りになるようだが……。
ぼくは中学の国語の授業で『五重塔』を読まされたが、以後それきりだ。



平屋の長屋。東向島1-8。2009(平成21)年3月29日

墨堤通りの下を平行して鳩の町商店街と地蔵坂通りを結んでいる裏道にあった長屋。現在は取り壊されて駐車場になっている。元は三軒長屋だったような感じで、1985年の住宅地図では、長屋の左側が「左手製作所」で駐車場のところが「桜井クリーニング」。

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