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本を読んでいるのにその感覚は読むのではなく音を聴いている、文字を目は追っているのにそこに見ているのは極めてくっきりとした写真の数々・・・そんな不思議な感覚に陥り、それを楽しんでいたこの2冊の本。
「パリ左岸のピアノ工房」のリュックのピアノ工房に溢れるピアノの音を、そこに並べられているプレイエル、エラール、ベヒシュタイン、シュティングル、ファツィオーリetc.etc.という次々現れるピアノの名前を読んでいるだけで、ああ、聴いてみたい、どんな音かなあとその中に書かれている描写を頼りにわくわく想像してしまう。そして、著者が遂に自分のピアノに巡り会い、彼の家に迎え入れる場面はピアノを迎える喜びに満ちている。ピアノにまつわる音楽の楽しみ方、演奏の学び方、調律師の話など様々なことが散りばめられており、それを読み進みながら自分自身のピアノとの出会いに感謝し、関わり合いの深さについて思っていた。
写真家の長島有里枝氏がペンをカメラで被写体を撮るように使って書き現した一冊の本「背中の記憶」。この本は、「パリ左岸~」が読んでいるにも関わらず聴いていた、と感じたように、読んでいるのに見ている、という感覚を読んでいる間中抱き続けていた興味深い一冊だった。よくこんなに細部にわたって詳しく記憶しているなあと驚かされつつ、詳細に述べられているからこそ、読み手が見ることができるのだと納得しつつ読み終えた。
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