蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

不思議な日本語(47) (bon)

2024-03-30 | 日々雑感、散策、旅行

 春の嵐ならぬ、未だ続く冬の嵐のようなお天気でしたが、ようやくさくらも開花
が許されたようで・・気温も上がり一気に! となるかもしれません。 3月もあと
1日というところまで来たというのは何年振りか? 
 私らが高校時代には、入学式頃が見ごろで、校門を入ると緩やかなカーブを描いた
スロープに添って、満開の花をつけた桜の下を通ったものでした。

 昨日(3/29)のお昼過ぎころから陽射しが届き気温の上昇とともに、ベランダの
鉢植え 陽光桜は、待ち焦がれていたように大きな花をつけ始めています。

 何だか月末恒例になったような、不思議な日本語は、今回47回まできました。適当
に順不同で並べた言葉の不思議に迫ってみていますが、あまり面白くないものもあり、
今回はその典型かもしれませんが・・。

 ・度胸  この言葉がどうして、そのような意味になるのでしょうか? 「度胸」
をgoo辞書で調べてみますと、「物事を恐れない心。気おくれしない精神力。きもっ
たま。」とありました。 ネットを見ていますと、語源・由来として、「度」は
「示される言動や心の様子。」「胸」は「胸のうち。心。」とだけあり、これだと
あまりよく意味が分からないので、さらにネットを繰っていましたら、次のような
説明に出会いました。 

 「度肝を抜かれる」は非常にビックリするという意味だが、この場合の「度」は、
ただの当て字で「肝を抜かれる」の強調として「ど」が入ったとあり、「ど根性」
「ど真ん中」と同じだ。そして、胸は心臓のことで、すげえ心臓=ど胸・・となって
意味が通じる とありました。そして、「度」は、測るという意味があり、温度、
角度があり、「落ち度」の度は法のことだとあります。ご法度などもあります・・が、
度胸の度は、強調であると・・。

          (いらすとやより)

 まぁ、そうかもしれませんが、今一つしっくりと納得できないまま、かって、もう
45年くらい前になりますが、勤務地が大阪であった頃に職場の何人かで奈良県の大峰
山の修験道に行くことになりました。いわゆる「度胸試し」を体験するためでした。
 子供の頃に、大峰山の「谷底覗き」の話は聞かされていましたから、それは怖い
経験をするのだろうとあらかじめ覚悟はできていたつもりでしたが、山伏の先達さん
を頼んだ、我々一行の業?は、7つの「度胸試し」のポイントがあり、「谷底覗き」
もそのうちの一つでした。

 今思い出してもゾッとする何か所かがあり、その一つは、殆ど足場が無いような
急な崖を持つところが無いまま斜めに登って行き、先端まで行くと、目の前に張り
出した別の崖に飛び移るというもので、崖の割れ目から下を見ると千尋の谷・・。
先達さんの足運び通りに一人ずつ進むのです。 また、別のポイントは、谷に出っ
張った大きな岩を、鎖もロープもないまま外回りに回るのです。細心の注意を払って、
ゆっくりと回り込むのですが、もし、何らかのはずみで足元が滑ったりすれば、その
時はほぼ助からないそんなところをです。

 「谷底覗き」は、肩に太いロープをつけて、後ろでそのロープを引っ張ってくれて
いるので、身体を殆ど突き出されても安心の気持ちがあるので、なんら度胸試しには
ならなかったのです。あの「岩めぐり」のそのことを思えば・・。 で、これらを
クリアして帰る頃の皆の心境は、「怖いもの無し」の気分で、心が堂々と大きくなっ
たようでした。

 度胸 がずいぶん長くなってしまいました。

・うろたえる  goo辞書に、 狼狽える(うろたえる)は、1 不意を打たれ、驚い
たり慌てたりして取り乱す。狼狽 (ろうばい) する。「うそがばれて—・える」
 うろうろと歩く。うろつく。 とありました。

 ここで、「狼狽」の字は、フジテレビの記事に次のような解説がありました。
「狼(ロウ)」も「狽(バイ)」もオオカミに似た伝説の動物で、「狼」は前足が
長くて後足が短く、逆に「狽」は前足が短くて後足が長いため、前足の短い「狽」が
「狼」の背中に乗っかって歩くことでバランスを取っていたのです。しかし、うっ
かり2匹が離れるとバランスが崩れて動けなくなってしまい、2匹が驚いて慌てふた
めくことから「狼狽える」という言葉が生まれたとありました。

 なんだか落語にあるような話ですが、中国の故事に基づいているとありました。

           狼狽
          (越智クリニックより)

 ・勘ぐる 「あれこれ気を回して悪い意味に考える。邪推する。」という意味です
が、「察する」という言葉も、相手の気持ちや意図を推察する意味で、どうして
「勘ぐる」は、悪い意味に捉えているのでしょうか? 「勘」は、勘がいいなどの
勘で「直感で物事を判断する、考える」などの意味ですから、これに悪い考えがある
わけではなさそうです。ならば「ぐる」にそのような意味合いがあるのでしょうか?

「くる」は「手繰る」あるいは「からくり」や「やりくり」の「繰る」だそうで、
何やらそこに仕掛けがありそうな感じでもあります。 疑い深く考えることを意味し、
そこに隠された意図や情報があるのではと・・「邪推」するとの意になるのでしょう。
近世の中頃から使われ出したとあります。

          (ネット画像より)

 

 ・尻をまくる  goo辞書に「急に態度を変え、けんか腰になる。居直る。けつを
捲る。」とあります。
 時代劇の舞台などで、ならず者が着物の裾をまくって、その場に座り込むシーンが
ありますが、追い詰められて逆に脅すような態度をとることを言いますね。居直る
・・ですね。そのような状況、仕草から出た言葉のようです。

 「それまで黙って聞いていた彼は、尻をまくって反論に出た」つまり、「居直っ
てふてぶてしい態度をとる」という意味ですね。「尻をまくる」には逃げ出すという
意味はありません。


 ・取材  goo辞書には「芸術作品や報道記事の題材・材料を、ある物事や事件など
から取り集めること」とあり、まさに文字通り「材料を取る」なんですが、なぜ
「材料」なんでしょうね。

 「材料」の意味を引けば、「それに手を加えて何かを作り上げる、もととするもの。
・加工して製品にするもと。原料。資材。・研究、調査などの結論を出すもと。デー
タ。資料」とあり、なるほどそういうことなのかと思いますが、スポーツや展覧会
などを動画や写真で報道するのは、特に取材とは言わないのではないか?
 その材料を単に伝えるだけでは取材ではなく「中継」や「報道」であり、作者や
選手等からの話を聞きだしたり、それにまつわる周辺情報などの調査結果から状況を
伝えることが含まれている必要があるように思えるのです。ここに「取」の意味が
込められているのかもしれません。

 取材の形式に「ぶら下がり(取材)」や「囲み取材」という業界用語?があるよう
です。ウイキペディアに、「ぶら下がり(取材)」とは、記者が取材対象者を取り
囲んで行う取材形式をいい、政治、スポーツ、芸能だけでなく企業などの場合もあり、
会見場やホテル等で行う通常の記者会見とは区別されているそうです。
 取材対象者が歩いて移動する際に大勢の記者がすぐ横について歩きながら質疑応答
しているような場合を指しているとあります。 ゲリラ取材、電撃的取材なんですね。

 「囲み取材」は、あらかじめ時間と場所を決めて行われるような場合で、対象者に
しっかりと取材を受ける意思があることが前提となっている場合とありました。

 

 

 

Solamente una vez - Veracruz - Noche de ronda

 

 

 


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