三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

狛江と渡来人(6)

2017-02-19 05:09:41 | 日記
ただ、軍事大国だった、という理由だけで、朝鮮半島に侵攻したりするだろうか。
やはり、それなりに、生活と直結する、切実な理由がなければ、海を渡ってでも、侵攻しようなぞと、思わないだろう。
たとえば、やや時代は、古くなるが、遊牧民、匈奴の例がある。
以下、「スキタイと匈奴 遊牧の文明」講談社学術文庫、306頁を引用する。
ここで、匈奴の略奪の対象が何であったかを思い起こしてほしい。匈奴が金銀財宝を奪っていったとか、絹織物や穀物を奪っていったなどというような記事は、『史記』にも『漢書』にもまったく登場しない。史料に出てくる略奪の対象は、人間と家畜だけである。
ということだ。
また、その規模については、同書、同ページ。
一つの村ごとごっそり連行していったのではないだろうか。
たしかに、大和王権下での開拓が行き詰ったとすれば、他国から、住民を村ごと、連行して、開拓に従事させた方が、効率的だろう。失敗したとしても、在地の首長は、まったく、影響を、受けない。
成功すれば、そこから、税を徴収すれば、いいだけである。
しかも、軍事力は、有り余るほどにある。それを使わない手はない。
(2013年9月記)

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狛江と渡来人(5)

2017-02-19 05:08:25 | 日記
倭の大乱は、西暦では100年代。その後、卑弥呼の登場。そして、大和政権になる。次いで、四道将軍による制圧があり、ようやく、日本列島、戦乱が収まるわけだ。
一方、当時、中国大陸はどうなっていたのだろうか。
後漢が、西暦220年、滅びて以来、統一された国家は、登場していない。統一国家が登場するのは、581年、隋の建国まで、待たなければならない。
とすると、その間、東アジアには、少なくとも、巨大な軍事国家は、存在しない、ということになる。
つまり、覇権国家なき東アジアの中、国内の戦乱に明け暮れた末、ようやく、統一された、大和政権は、存在したわけだ。
しかも、余技として、巨大古墳を造営可能なまでに、人員を動員できるのだ。
おそらく、西暦400年代から500年代、大和政権は、東アジアの中でも、有数の、軍事大国だったのに違いない。
(2013年9月記)

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