三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定aw9

2021-04-30 03:03:07 | 日記
三億円事件犯人が残した、第五回多磨農協脅迫事件のときの脅迫状の地図には、「コン柱置き場」という表記の場所が書かれたある。「コン柱」が何を示しているのか、判らないが、「コンクリート」が関わっていることは間違いなさそうである。砂利は、コンクリートの材料として利用されているので、そういうものの置き場があっても自然ではある。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aw8

2021-04-29 03:47:01 | 日記
指定ルート地図で、その先に載っているのは、飛島道路、富士舗材工業の敷地、さらに、菊屋燃料(記載は菊屋プロパン)、神社(押立神社)となっている。道標というよりも、三億円事件当時は、それ以外の施設は無かったともいえる。押立神社を「ジンジャ」と表記したのも、それ以外なかったことと、地元の神社だからだろう。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aw7

2021-04-28 03:08:40 | 日記
その先には、多摩川沿いに、広大な西武建設是政コンクリート工場があったはずだが、砂利採取の禁止ということで、操業を停止している。1967年1月31日、是政事業所の砂利砕石部門を廃止、「社内報西武」とあるのが、その操業停止を示しているとすれば、第一回多磨農協脅迫事件が、1968年4月25日であり、西武建設是政コンクリート工場が操業を停止したのは、一年ぐらいしか経過していないということになる。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aw6

2021-04-27 03:14:51 | 日記
傷んだ松の木には、「ツタ建材」の立て看板の掲げてあったようだ。「三叉路の目印」であり、いまの小柳町郵便局のあたりということになる。前述のとおり、三億円事件当時、三億事件犯人による、指定ルート地図の通り、道標は、「ツタ建材」の立て看板であり、松の木ではない可能性が高い。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aw5

2021-04-26 03:42:15 | 日記
中央自動車道のアンダーパスを過ぎると、一橋本、92頁によると、「小柳町の一本松」があるそうだ。だが、実は、府中市教育委員会「府中市の老樹・名木」によると、この松は、「お助け松」という松である。しかも、三億円事件当時は、二代目となっている。さらに、当時は、かなり、傷んでいたようだ。目印なるような状態ではなかったと思われる。その後、三代目となり、別の場所に植えられたものの、その三代目も枯れて、いまは、存在しない。
(2013年12月記)

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