三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

ブリヂストン社宅と上水道について(8)

2016-11-30 03:43:22 | 日記
というわけで、専用ではないが、ブリヂストン東京工場、水源地、浄水場を確保する。
上水施設は、戦前の陸軍兵器補給廠の施設を、利用した可能性は高い。
もっとも、おそらく、同じように、戦前の軍事施設、軍需工場の跡地を利用した、他の、たとえば、集合住宅等の建設も、同様だったと思われる。
とくに、そのような施設を、わざわざ、新規に、建設する理由がないからだが。
他にも、西武拝島線、小川駅、萩山駅間、陸軍兵器補給廠の引込線を転用している。
つまり、そうした施設の基盤は、戦前から、用意されていあのである。
(2013年9月記)

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ブリヂストン社宅と上水道について(7)

2016-11-30 03:42:34 | 日記
話は、ブリヂストン社宅に戻るが。
では、「小川東町浄水場」および水源が、整備される以前の、陸軍兵器補給廠の上水施設は、いったい、どこにあったのだろう。
場所は、まったく、わからないものの、新しい浄水場、水源から、離れた場所にあったとは、考えにくい。
終戦直後のアメリカ陸軍軍用地図を見ると、陸軍兵器補給廠というのは、府中街道から東側ではなく、西武国分寺線から東側だと、わかる。
そういえば、ブリヂストン東京工場が完成したころの地図では、ブリヂストン社宅、府中街道の西側にも、建てられている。
そう考えると、陸軍兵器補給廠の上水施設、つまり、水源地や浄水場は、やはり、「小川東町浄水場」の近く、小川駅の北東側に、あった可能性が高い。
(2013年9月記)

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ブリヂストン社宅と上水道について(6)

2016-11-29 03:39:58 | 日記
広大な敷地を持つ、軍事施設、あるいは、軍需工場、当然、上水施設を、完備していることだろう。
では、それらの施設、いったい、いつ頃、完成したのだろうか。
たとえば、陸軍兵器補給廠、東部勤労訓練所、1942年に、完成している。
終戦の3年前。
その他、郊外に、展開する、同じような、軍事施設、軍需工場の完成も、同じ頃。
短い期間に、だいたい、完成している。
戦時下だからだろうけど。
(2013年9月記)

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ブリヂストン社宅と上水道について(5)

2016-11-29 03:38:41 | 日記
たとえば、陸軍兵器補給廠、小川駅をはさんで、西側には、東部勤労訓練所の敷地があったわけだが、その施設は、終戦後、厚生省職業補導所へと、移行している。
今の、職業能力開発総合大学、東京障害者職業能力開発校、緑成会病院の敷地。
こちらは、戦前の施設がそのまま、移行していると思われる。
それで、終戦後、近くに、集合住宅を建設するわけだが、困ったことに、上水施設がないのである。
どうしたのかというと、旧東部勤労訓練所の深井戸から、上水管を、伸ばして、上水施設とした、ということだ。
さらに、2年後、それでも、賄えず、今度は、旧陸軍兵器補給廠内水道施設の、使用許可証を申請し、許可されているのだ。
ということは、小平市に関する限り、1959年12月18日、第一水源を確保するわけだが、それ以前、上水施設は、すでに、存在していたことになる。
(2013年9月記)

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ブリヂストン社宅と上水道について(4)

2016-11-28 04:01:13 | 日記
このことは、とくに、小平市の陸軍兵器補給廠だけに限ったことではないだろう。
終戦後、軍施設、軍需工場施設等、アメリカ軍の施設に転用されたり、あるいは、他施設に転用されたりしていたなかったとしても、消滅したりはしていないのだ。
とはいえ、それ自体、なにかの予定とも思えない。
法律的な所有権、行政上の問題、さらに、建造物の撤去や整地するための、費用が、そもそも、用意されていない、といったことの、結果だと思える。
農地への転用自体も、短期的な対応、ということなのかもしれない。
想定していたかどうかは、別にして、急速な、郊外化、市街化に、直面したとき、目の前に、手つかずの、広大な、施設が、放置されていたわけである。
(2013年9月記)

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