三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定az4

2021-05-31 03:01:37 | 日記
1956年12月29日の小勝花火工場での爆発事故は、昼前、1958年7月30日の爆発事故は、昼過ぎ、となっている。とくに前者は、年末休みに当たっている。地域住民の多くが事故を目撃したはずだ。さらに、規模の大きい爆発事故が、一年半という短い期間で発生しており、地域住民の多くが記憶にとどめたに違いない。また、多くの警察署員、消防署員も現場に向かっており、記憶にとどめたはずだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定az3

2021-05-30 03:21:10 | 日記
私事ではあるが、学生の頃、1981年10月13日に発生した、神奈川県金沢区、小柴貯油施設の爆発事故については、いまも、記憶に残っている。距離は、10キロメートルは、あっただろうか。それでも、爆発による空振で、突然、学校の校舎の窓ガラスが、風もないのに、がたがたと、揺れたのだ。小勝花火工場爆発事故の現場と、たとえば、多磨駅周辺とは、2キロメートルしか、離れていない。爆発音は、聞こえただろうし、とくに、1956年12月29日の爆発では、激しい火災を伴っている。立ち上る、巨大な黒煙は、誰しも、目撃したことだろう。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定az2

2021-05-29 04:02:33 | 日記
三億円事件の10年前に起きた、大規模な爆発事故、小勝花火工場爆発事故、現場は、たとえば、多磨農協脅迫事件とどのように関わるのだろうか。現場は、多磨農協脅迫事件での指定ルート、真ん中あたりとなっている。三億円事件犯人が、指定ルート地図を作ったとすれば、小勝花火工場爆発事故を知っている可能性は非常に高い。たとえば、当時の、小勝花火工場爆発事故の新聞記事に載っている地図と、多磨農協脅迫事件での指定ルート地図は、重なる部分が多いのだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定az1

2021-05-28 03:34:41 | 日記
小勝花火工場爆発事故と大規模火災に対し、府中消防署、米極東空軍府中基地から消防車、30台が、現場に出動した。さらに、府中署の警察官、50名、警視庁予備隊二個中隊も、現場に、出動した。14時には、鎮火したらしい。その1年半後、1958年7月30日昼過ぎ、再び、爆発事故が、発生している。第13工室棟が、大爆発、建物が、吹き飛んでいる。また、そのわずか数日後、1958年8月2日夜、またしても、敷地内花火倉庫が爆発している。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定ay12

2021-05-27 03:04:00 | 日記
1956年12月29日に発生した小勝花火工場爆発事故は以下の通りである。爆発事故の発生は、1956年12月29日昼前、年末、大掃除の後、ほとんどの従業員は、帰宅した後だったようだ。当時の新聞記事によると、仕上げ室で、大爆発があった後、周囲、17棟の建物に、次々と、燃え広がり、火の海になったそうだ。また、黒いキノコ雲が、立ち上り、黒煙の中、曳光弾のような、火花が飛び交ったそうだ。目撃者によると、建物が、次々と、一瞬にして、燃え上がったということだ。
(2013年12月記)

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