三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定br9

2022-01-31 03:04:45 | 日記
もう一度、府中市におけるダストボックスの歴史に触れておく。1966年3月、一部地域に、試験的に、配備され始めていく。そして、1967年、おそらく、半ば頃から、本格的に全市内、順次、設置となる。全市内、すべての配備が完了したのは、1968年9月である。まさに多磨農協脅迫事件が発生していた時期なのである。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定br8

2022-01-30 03:10:11 | 日記
第三回多磨農協脅迫事件では、綿新商店の前にあったダストボックスは名札付きでなく、普及型ダストボックスだったと考えられる。そういうことが三億円事件犯人にもわかったので、今回は最初から、「ダストボックスの下」、と言ったわけだ(なお「三億円犯人の独白」、75頁、77頁では、いずれも、名札入れとなっている)。ダストボックスの下は、名札入れに差し込むのと比べて、脅迫状の置き場として適しているとは思えないが。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定br7

2022-01-29 03:11:25 | 日記
一橋本、79頁によると、脅迫電話は、以下である。「お宅の前に緑の箱があるでしょう。その下に手紙が置いてあるから、至急、日東ハイヤーで、多磨農協に届けて下さい」。ここに出てくる「緑の箱」というのは、当時、府中市での、ダストボックスの固有名詞である。緑色の箱、といったことではない。第三回多磨農協脅迫事件では、ダストボックスの名札入れ、となっていて、実際は、ダストボックスの下に置いてあったわけだが、今回は、電話の時点で、すでに、下、となっている。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定br6

2022-01-28 03:00:22 | 日記
三億円事件犯人は、府中市にしか存在しないダストボックスについて知っており、さらに、府中市の住民が、どの程度、ダストボックスについて周知しているかを知っているどころか、共有している。また、府中市内でのダストボックスの固有名詞、「緑の箱」についても、その言葉の使い方を共有している。とすると、三億円事件犯人は、府中市内の市井の中で暮らしてた可能性がかなり高いと言える。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定br5

2022-01-27 03:07:26 | 日記
府中市のダストボックスは、最初期に、導入され、その存在は、まだ、府中市以外では、知られていなかったはずである。また、全市域に配備されるのが、1968年9月であり、多磨農協脅迫事件等、一連の事件が起こっている時点でも、配備が完了してはいない。さらに、府中市内での、「ダストボックス」の固有の名称、「緑の箱」という言葉を、三億円事件犯人は、知っているわけだ。
(2013年12月記)

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